第8話・家族の家
清は川原を散歩していた。時間は午後一時。飲食店にとって一番の稼ぎ時である。にもかかわらず、清は店を放置していた。
(どうせ誰も寄り付かないんだ。店に居たって何も変わらねぇ。)
店に居ると後ろ向きなことばかりを考えてしまう、ならばいっそ、こんな川原の方が幾分マシだった。それに、店に居れば、嫌でも弓子のことを思い出してしまう、今の清には、そのことが耐えられないのだ。
この川原は、春には桜が咲き乱れ、多くの花見客で賑わう。しかし今は、すべての葉が落ち、まるで枯れ木の様相となっている。川の両側に並ぶ数多くの枯れ木たち。その枯れ木が、季節が廻ればまた花を咲かせ、葉を芽吹く。時が流れれば、繰り返し蘇るような桜が、清は好きだった。
(こんななんもなくなっても、また春には咲くんだからな。)
長くても半月ほどで散ってしまう桜。今眠っているように見える姿も清はまた好きだった。
清は桜の姿に今の自分を重ねていた。こんな時間に店を空けていても平気になるなんて思いもしていなかった。それもこれも、今まで自分が重ねてきた結果だと受け止めている。
(いっそ全部捨てちまうか。)
それもいいと清は思った。過去を清算するわけでも、未来に希望を残すわけでもなく、ただ「捨てる」。そんな最後も悪くはないと一人の川原で考えていた。
*
徹郎と吉子は店に向かっていた。吉子はこれから何をするにしても一旦家に戻り荷物を取ってこなければならないし、徹郎は清に話さなければならないことがある。
「吉子ちゃん。俺おじさんに会いに行くけど、吉子ちゃんはどうする?」
「私も帰ります。」
昨夜の徹郎がパソコンに集中していたせいで落胆している吉子はさらにかたくなな態度をとってしまっている。さすがにいきなり敬語になった吉子に疑問を抱く徹郎だが吉子に尋ねても、「なんでもありません。」と言われてしまえば、それ以上に尋ねることは出来なかった。
昨夜と違い、一切会話のない田んぼ道。太陽が照っているのに寒気すらする。何度か徹郎から会話のきっかけを作るが、吉子からは冷たい返事しかない。
店に着くころには徹郎もすっかり吉子に話しかけるのをやめていた。
昨日は店舗入口から入ったが、今は裏手に回り勝手口から店に入る二人。
「ただいま~…。あれ?」
店に入ると人の気配がない。どうやら誰もいないようだが、今の時間は一時過ぎ。最近開店休業であることを考えても、どうかしている。しかもカギはかかっていない。
「お父さん、何してるのよ…。不用心だなぁ。」
吉子がつぶやくと、徹郎が話しかけてくる。
「『金の管理はしてるから大丈夫』とか言ってたまに出かけちゃうんだよね。」
「なんで小清水さんがそんなことご存じなんですか。」
吉子は徹郎に向けて容赦ない冷気を浴びせる。もしかすると、吉子本人はここまで露骨とは思っていないのかもしれない。しかしその言葉は、今の徹郎には、取り調べをしている刑事が、犯人に浴びせるものに近く感じた。
「えと…。それは、おじさんが店を空けるとき、留守番をしているからです…。」
しどろもどろになりながら答える徹郎。その答えは今の吉子には気に入らない答えであった。
「へぇ…。『他人』に店を任せて、どこに行っているのか…。小清水さん、ご存じですか?」
「いや、それは…。買い出しとかじゃないかなぁ?」
「もしその留守中にお客さんが来ていたら、小清水さん一人でどう対処するおつもりでしたか。」
正論ではあるが、かなり言いがかりに近い吉子の言葉に次の言葉を出せない徹郎。そんな態度にも苛立ちを覚える。本当に苛立つのは素直になれない自分自身になのに。
店に来るまでの道中、ずっと考えていた。徹郎が自分の知らない人と付き合っているかもしれないと想像したとき、何とも言えない気分になった。
別に付き合っているわけではない。「好きだ。」と言葉に出したわけでもない。でも徹郎も吉子のことが好きで、それは変わらないと思っていた。少なくとも、吉子はそう信じていた。事実としてはそうなのだが吉子は昨夜パソコンに向かう徹郎を見たとき、頭から冷水をかけられた気分になった。
(そうよね…。所詮幼馴染だったんだよね。)
ふらふらと客席に向かう吉子。ついていく徹郎。
吉子の絶望を徹郎は完全に勘違いし、どう謝罪するか必死に考えていた。
(今朝から吉子ちゃん怒ってるみたいだけど、俺、何かしちゃったのかなぁ…。昨日ご飯のときははすごく楽しそうだったのに…。)
眠い目をこすりながら一生懸命理由を探す徹郎。その理由が自分にないことを知らない徹郎は頭を抱えるしかない。
店内に張りつめた空気が漂う。動き出したのは同時だった。
「「あの…。」」
全く同じタイミングで話しかける二人。
「吉子ちゃんからどうぞ。」
「小清水さん、どうぞ。」
徹郎には断れない雰囲気を察し、聞きたかったこととは別の、何か適当な質問を探す。
「あの…。そう!この店の名前!」
「棒?」
吉子が首をかしげる。
「そう、『棒』。吉子ちゃんなら名前の由来、知っているかなぁ…と思って。」
なんだ、そんなことか。吉子は内心がっかり半分、ほっとする半分といった気分であった。店の名前の意味ならもちろん知っている。清が決めたことだし、別に秘密にもしていない。弓子が生きていたころにその由来を聞いたときにこの家の娘でよかったと心から思ったものだった。
だが、それを「他人」の徹郎に教える必要はない。今の吉子は「意地でも教えてやるもんか。」とつまらない決心をしていた。
「ごめんなさい。私も知らないんだ。」
吉子自身では気づいていないが、店のことを質問に出されたことで、ここに来るまでかたくなに使っていた敬語が出なくなっていた。さらに吉子は続ける。
「お父さんが考えたことだから、もしかして何の意味もないのかもね。」
「おじさんらしいや。」
笑いながら答える徹郎。ほんの少しではあるが空気が軽くなった気がする。が、そのあとに言葉は続かない。またも流れる沈黙に、再び同時に動き出す。
「「あの…。」」
またも全く同じタイミング。二人は思わず吹き出してしまう。
「小清水さん、どうぞ。」
「今度は吉子ちゃんから。」
お互いの言葉にはさっきまであったとげとげしさや、変な緊張は消えていた。それでも吉子は言葉を詰まらせた。聞きたいことはもちろん、「昨日パソコンで何をしていたのか」、それ以外にない。いざ改めて聞こうとすると、このタイミングでは聞きづらくなってしまっている。何かいい質問はないかと考えていると、ふとした疑問が頭に浮かぶ。
「どうして小清水さん、こんなにお父さんのことを支えてくれるのかなって思って…。」
「我ながらうまく質問を投げられた。」そう思っている吉子。徹郎の方は言おうか言わないか迷っている様子だった。
「どうしたの?言い辛いこと?」
「いや、そーゆーわけじゃないけど、恥ずかしいというか…。」
そんな言い方をされれば、なおのこと聞きたくなる。
「いいじゃない。今私しかいないんだし。」
「うん…。実は、おじさんのためにこの店に来てるんじゃないんだ。おじさんのご飯を食べているとね、また親父がひょっこり顔を出すんじゃないかって…。そんなわけないのにね。」
(そうだったのか…。)
吉子たちが幼いころ、この店にはよく客として来ていた。徹郎の家で遊んで、徹郎の父崇の「そろそろ飯にするか。」という号令とともに、吉子、徹郎、健の三人はそろって「棒」に出かけた。「あとから行く。」という崇を置いて、三人で仲良く田んぼ道を歩いて行った。
もちろんまっすぐ向かうわけもなく、田んぼで泥んこになるまで遊んだ後に「棒」に向かうため、店に着いたら三人そろって風呂に放り込まれた。そのあと閉店まで今度は佐竹家で遊んでいた。そして店が閉まると店舗に降りてきて、晩御飯の支度を待っている。するとそこに崇がやってきて、六人で食事をとっていた。その時間は、徹郎にとって、最高に幸せな一時だった。
「『チビども、いい子にしてたか…。』…今でもさ、その声を待っているんだよ。おじさんもたぶん知ってる。だから、この店がなくなったら俺が困るから、その声を待てる場所にここにいるだけ。結局、自分のためなんだぁ…。吉子ちゃん、ごめんなさい。」
ぽつぽつと、こぼすように自分の気持ちを言葉にする徹郎。
(聞いて悪かったなぁ…。本当に、じゃなくごまかすために聞いていいことじゃなかった。)
吉子は自分がしてしまったことに、本当に嫌気がした。それと同時に、この店をそこまで大切に思ってくれている徹郎に心から感謝していた。
「謝らなくていいよ。すごく、嬉しいから。」
吉子は、精いっぱい、徹郎に対し感謝を伝えようとした。
「嬉しい…?」
「うん。だって小清水さんにとって、ここも『家族の家』なんだなって思うから。」
「そう…かな?」
「そうだよ。」
吉子と徹郎はお互いの目を見つめ合った。吉子は自分の顔が火照ってくるのを感じる。
徹郎の目つきが真剣なものに変わっていく。吉子は目をそらせない。いや、そらしたくない。顔がどんどん熱くなっていく。徹郎が口を開く。
「吉子ちゃん、俺…。」
自分の心臓の音がうるさい。手のひらに汗もかいてきた。
「俺…。」
早く次の言葉を聞きたい。ずっと待っていたその言葉を。
「俺…。のど乾いたから、飲み物もらうね。」
言うが早い、徹郎は厨房に消えていった。
「…どうぞ。」
誰もいない客席に言葉を落とす吉子。「目が点になる。」「開いた口が塞がらない。」。この二つを同時に経験するのは初めてだった。
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