第7話・ある社長

 赤城優は借り物のヘルメットをかぶり、建設途中のビルから眼下に広がる人の波を見ていた。今は七階ほどの高さであるが、最終的には十階建てのオフィスビルになる予定で、完成したらここが優の城になるのだ。

(こういうのも故郷に錦を飾る、と言うのかな…。)


 高校卒業とともに家を出て東京で一人暮らしをした。就職など、決まってすらいなかった。そんな状態にもかかわらず、運よく住み込みの仕事を見つけ、そこで二十年働いた。

 私を雇ってくれたのはコンサルタント会社だった。仕事の内容は社長の身の回りの世話をする…上品な言い方にするならば秘書になるのだろうが、丁稚だったのは間違いない。しかし十年も社長にくっついていれば物の見方も社長のそれに近くなる。三十を過ぎたころに相談に同席し、ただ話を聞いていた。相談が終わり、車を運転していた時、社長の鈴木が初めて私に意見を求めてきた。

「お前、今日の相手で一番印象に残ったのはなんだ。」

「靴…ですかね。」

それ以来、私は社長が親身にしているお客様と会う時には必ず同席させてもらった。新規のお客様は一人で対応させて頂くこともあった。

のちにわかったことにはなるが、社長はもともと私の目を見て、雇うことを決めたらしい。「あいつは獅子だ。自覚がないのがまたいい。」と近しいものには話していたらしい。

コンサルの仕事を回してもらうようになっても社長は私に身の回りの世話をさせてくれた。忙しいという印象はまるでなかった。そもそも新人に聞きたがる者は少ないし、私も躍起になって顧客を探したりしなかったからだ。

しかしあるお客様が私の人生を大きく変えた。

その方が初めて来たときに持ってきた資料はすべてでたらめであった。私はまだコンサルを始めて三年目。まだ駆け出しと言ってよかった。先輩や社長とすぐに連絡が取れればよかったのだが、あいにく誰とも連絡は取れなかった。私一人で決断しなければならなかった。私の出した結論は「コンサル不可」というものだった。

「申し訳ございません。本日お持ちの資料では、ご相談をお受けすることは出来かねます。今一度資料をご確認の上で再度お越しください。」

もちろん相手は激怒した。

「君のような新人をあてがわれるだけでも不愉快なのに、また来いというのか。人を馬鹿にするのも大概にしろ。」

 そう私に罵声を浴びせると、相手は帰って行った。

 私は大変なことをしてしまったと思い、社長に、上司に連絡を取り続けたが、その日のうちに対応することは出来なかった。

 明くる日、社長とお会いし、昨日の報告をした。

「お前は、人としてどう感じてる。」

「はい、お客様の機嫌を損ね、大切な会社の顔に泥を塗ってしまったことを…。」

 そこで社長は言葉を遮る。

「それは会社員としてだろう。赤城、お前はどうなんだ。」

「…間違っていません。あのままではいい加減な仕事になってしまう。私は、絶対に同じ対応をします。」

 正直、辞表を出す覚悟だった。しかし社長は、一言つぶやくように言った。

「ならいい。」

 そこに突然電話がかかってくる。社長が電話を取る。相手は昨日帰ってしまった方であった。私に替わるように促す。

「お電話替わりました。赤城です。昨日は大変申し訳ございませんでした!」

『とんでもない!こちらこそ申し訳ございません。』

「…どういう意味でしょうか?」

『社に持ち帰り、経理に確認いたしました。すると恥ずかしながら、昨日お持ちした資料は昨年度と一昨年度の資料を混ぜてお持ちしてしまったようでして…。それにも拘わらず、無礼を申し上げてしまい大変失礼いたしました。』

「こちらもきちんと確認すれば、原因がお伝えできたはずですのに、失礼いたしました。」

『いえ!…大変恐縮ではありますが、今一度、ご相談いただいてよろしいでしょうか…?是非、赤城さんにお願いしたいのですが…。』

「はい!お待ちしています!ありがとうございます。」

『こちらこそ。失礼いたします。』

「失礼します。」

 電話を置く。社長が笑っている。

「どうだ?初めての顧客ができた気分は。」

「初めての?」

 今まで何人ものお客様を相手してきているのに…。不思議な顔をしていると社長は説明してくれた。

「こっちから頼んでいるうちは客じゃなく先方の召使だ。こっちはもちろんあちらからも敬意を払い合って初めて信頼が結べる。あちらの敬意、裏切るなよ。」

 身がしまる思いがした。そして、なぜこの人についていこうと思ったのか理解した。

(この人、似てるんだ…。)

 それ以来私の「顧客」は増え続け、三年前ついに独立に至ったのだ。

 社長はその際に、独立の資金をすべて無利子で貸してくれた。

「返ってくる保証がなければ、貸さないから安心しろ。どうせすぐ返してくれるのはわかってるからな。」

 プレッシャーには感じなかった。事実、借りた金は半年前にすべて返し終えた。最後の返済の時、社長に言われたのは自分の城を持てということ。この世界実力だけでなく、見栄も意外な力を示す時もあると言われた。

 三年間の業績のおかげで、銀行からまとまった金は借りることは出来る。今都内に借りている規模のビルなら購入すらできる。しかし私は故郷に城を持ちたかった。

 インターネットの発達で、どこに居ても仕事ができる環境になっている。それならば、自分が一番生活したい場所で仕事をするのも悪くはないと思ったのだ。それを社長に報告すると意外な言葉をもらった。

「やはり、あそこに戻るのか…。」と。


 その言葉の意味はまだ分からないが、今、この建てている途中のビルでこの眺めを見ていると、何も考えなくていい気がするのだ。

「社長!」

 物思いにふけっていたため反応に遅れる。ここでは私が「社長」なのだ。振り返るとそこには、青柳兼良の姿があった。私より十も上ながら、私を立て、支えてくれている。しかし今の彼は内心の苛立ちを隠そうとしない。

「社長、まだあの連中を使っているのですか。別の業者に依頼すれば済む話でしょう。」

 青柳は口から泡を飛ばしながら私に怒鳴り声を上げる。

「落ち着きなさい。ここまで工事の進んでいるものを今更別の者に依頼するには金も時間もかかる。それならきちんと仕上げてもらった後、抗議なりなんなりすればいいだろう。」

「私に大怪我をさせた連中をその程度の対応で済ますのですか。」

 青柳はこの建設現場で三か月前、一人の業者に腕を折る大怪我をさせられていた。全治四週間の怪我だったため、もちろん完治はしている。

「そう興奮するな。少し休みなさい。」

「…社長、よろしくお願いしますね。」

 不承不承といった様子で青柳は腕を庇う素振りを見せながら引き下がっていく。わざとらしいが、それほど怒りが冷めやらないのだろう

 私も大事な社員に危害を加えた人間を放置しておけるほど、赤城は日和ってはいなかった。

(仕方がない。直接、抗議に行くか。)

 赤城はかぶっていたヘルメットを脱ぎ、近くにいた人間に投げ渡す。青柳の腕を折った人間の名前は知っている。

 佐竹健。

(さて、どうなることやら。)

 大通りに出た赤城は、タクシーを拾い、行き先を告げる。

「『そば処 棒』まで。」

 運転手の返事とともに、車は動き出す。加速していく車は、そのまま走行車線の流れに乗っていくのだった。

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