第8話:赫鉄の代理人

 現在の時刻はちょうど午後8時すぎ。

 雲一つなかった快晴も、上質な天鵞絨の生地を敷き詰めたかのような夜空へと移り変わる。


 無数に散りばめられた星はさながら宝石で、中でも一際大きく冷たくも神々しい白銀の満月が大変美しい。まるで宝石箱の中にいるかのような、そんな心境。

 いつもであれば夜空をつまみに酒を楽しむこともできたが、今の一颯に生憎とそれすらもできる余力はこれっぽっちも残されていない。疲労が蓄積した肉体は彼に、とにもかくにも休息を取ることを強く推奨していた。


「マ、マジで疲れた……」と、一颯は深い溜息をもらした。


 これまでに数多くの依頼を完遂した。

 そして今回、人生初となる執事と言う仕事を受注した。

 結果だけを言えば、甘く見ていた。一颯はそのことについて深く猛省した。

 と言うのも一般的な会社のように、執事には基本労働時間や休息時間という概念がほとんどない。


 交代制なので取れなくもないが、そこは雇用主……要するにあの三姉妹の匙加減一つで大きく左右される。一颯の場合だと、ひっきりなしに呼び出された。前向きに考慮すればそれだけ相手側から信頼があるということ。健之助もこれについては純粋に驚愕を示すほどで、だが裏を返せば自由に動く時間が恐ろしいぐらい皆無であると言うこと。


 実際に内容というのも、大半がなんということはない。

 言葉悪くして言えば、すこぶるどうでもいいものばかりだった。

 中には彼女の生活面を支援するという、本来の役目を果たす場面もあったが一颯が応対したのはほんの数回程度――入浴の手伝いはさしもの一颯も承諾できなかったので、メイドと交代したが。

 会社だったら労働基準法違反案件なのは、言うまでもあるまい……。

 いくら声を上げたところで、自分にどうこう意見できるだけの地位も権力もない。



「――、下っ端は大人しく命令を聞くだけってなぁ……」



 一颯がぼやいたのと、ほぼ同時。



「一颯様、少しお時間よろしいでしょうか?」



「健之助さん?」と、突然の訪問に一颯ははて、と小首をひねった。



「夜分遅くに申し訳ありません。まだお休みでないのでしたら、少しだけお時間よろしいでしょうか?」

「え? えぇ、まぁ……まだ寝るつもりはありませんでしたらか、別にいいですよ」

「ありがとうございます」

「――、それで。いきなりどうしたんですか?」

「まずは最初のお勤め、ご苦労様です。今日の報酬分はしっかりと口座の方に振り込ませていただきましたので、そのことをお伝えしに参りました」

「あ、ありがとうございます……!」



 早速確認した電子手帳の数字が、以前より増額している。

 すなわち、健之助が言うように本日の報酬分がしっかりと支払われたこと。

 目に見えてわかる成果に、ついさっきまでげんなりとしていた一颯も、その顔に活気を取り戻す。聖人君子であろうと正義のヒーローだろうと、金がなければ結局はやっていけないのが現実の辛いところだ。


 幼子のように目をキラキラとして電子手帳とにらめっこする一颯に「ところで一颯様」と、健之助の言葉にハッとした。



「実は……一つお願いしたいことがありまして」

「はぁ……お願い、ですか?」

「えぇ。ざっくりと言いますと、今後お嬢様方を何があってもお守りしていただきたいのです」

「――、詳しくお話してもらってもいいですか?」



 一颯はそう言葉を返した。


(俺にわざわざこんな話持ってくるってことは、相当ヤバい案件だな……)


 身の回りの世話だけではない、なんとなくという曖昧な理由ながらもこうなることを既に予測していた一颯にさして驚愕の感情いろはない。

 むしろ恐ろしいぐらい冷静で、ついさっきまで大金を前に頬をだらしなく緩めていたとは思えないぐらい、彼の顔には真剣みが帯びている。



「なんとなく一颯様も想像が付くと思いますが、お嬢様達……もとい、ご主人様はいろんな方からその、命を狙われたことがありまして……」



「あー」と、一颯は納得した。


 企業による潰し合いは、表社会においても別段珍しい光景じゃない。

 他社をどうにかして蹴落として儲けたい。そう思うことは罪ではない。競争相手がいる、いないでは企業の発展や成長にも大きな影響を及ぼす。合法的な手段であれば問題はないが、中には非合法な手段の用いる輩もいるのがこの世界の現状だ。

 つまりは一颯のような裏社会の人間に依頼すること。


(俺のところにも、そう言った依頼あったなぁ……面倒だから断ったけど)



 それはさておき。



「つまり、現在進行形で命を狙われている……と?」

「厳密に言うなればお嬢様達の方です」

「……なるほど。つまり、彼女達を人質としようとしているどこぞの馬鹿がいる……ってことですか」

「さすが。お察しのとおりです」

「いやいや、対象がもっとも嫌がることをするのは常套手段ですからね」



 だとすれば、身の回りの支援なんかよりもずっと得意分野である。

 護衛の依頼は一颯も経験したことがあり、回数についても他と比較して多めな方だ。

 命を懸けた依頼なのだから報酬額が高くて当然ではあるが、特に襲撃がない日は何もしなくとも多額の報酬があっさりと手に入る。



「わかりました。では今後、お嬢様方に危害を加えようとする輩がいたら問答無用で排除します……それでも、よろしいですね?」

「もちろんです。こちらについては対処された分だけ更に報酬を上乗せさせていただきますので」



「マジで!?」と、一颯は驚愕したもののすぐに歓喜の笑みを浮かべた。


 不謹慎極まりないことは当の本人が重々理解している。襲撃なんてない方が断然いいに決まっている。何事も平和が一番であるし、なによりも美涙達に危機が及ぶなど断じてあってはならないのだから。だが襲撃があった分だけ自身の借金返済期間が短縮すると言う事実もまた、然り。


(誰でもいいから、軽く襲ってきてくれないかな……いや割とマジで)


 一颯が従者なのは期間限定的なものであって、永続ではない。

 一日でも早く返済して元の生活を取り戻す。当面の間はこれを目的に生きる現実を今一度噛みしめて、一颯は早速机に向かう。持参した鞄から次々とソレらを取り出しては、一つずつ割れ物を扱うように丁寧に机の上に並べていく。


「これが……」と、もそりと口にした健之助の目には強い関心の感情いろが色濃く孕んでいた。


 一颯が机に置いたソレらは、彼が何でも屋として――赫鉄の代行人の異名の由縁となった代物ばかり。その中でも強く主張するソレに、健之助の目は釘付けとなっていた。



「ほほぉ、これがかの有名な……。噂はかねがね聞いておりましたが、いやはやいざ実際にこうして目にしてみるとなんと美しい色鮮やかな真紅色なんでしょう。まるでルビーのようだ」

「……先に言っておきますけど、あげませんからね」

「承知しておりますよ……」

「後、勝手に触ったらバンしますから」

「いえですから、絶対にやりませんよ……」



 サッとソレを隠す一颯に、健之助が苦笑いを小さく浮かべた。

 赫鉄の代行人――大鳥一颯の異名は、すべてこの一丁の大型拳銃・・・・が起源であった。


 曰く、返り血をたっぷりと浴び真紅に染まる中でもその銃は更に赤く輝く。

 以降、赤い銃を引っ提げて数多の血を流して自らも朱に染める禍々しい姿から、一颯をそう呼ぶ者が一人、二人……ついには彼を知る人間全員が、そう口々にするようになった。


 回転式大型拳銃リボルバーマグナム、名は赤鬼と言う。真っ先にあげる特徴は、鮮血のように赤々とした色合いであることだろう。6インチの銃身バレルはどんな弾薬であろうと適応する高度な耐久性を誇るよう肉厚で大きい。グリップは刀よろしく鮫皮に掴巻が巻かれていた。



「それにしても……随分と大きなリボルバーにございますな」

「重さはだいたい15kgってところですかね。最初はまぁ扱いにくいなぁとか思ってましたけど、今じゃあすっかり慣れちゃいましたね」

「じゅ、15kgもあるのですか!? そ、それはまたなんとも……し、しかしそれだけの超重量級の代物、果たして人間に扱えるものなのでしょうか?」

「それは俺を見てもらえれば一目瞭然だと思いますよ?」

「……確かに。もしも虚偽であれば今頃、一颯様がこうして我々の前にいることはなかったでしょうからな」



「そういうことです」と、一颯は小さく笑った。



「いや、銃なら他にも使いますよ? 用途によって使い分けるのは当然ですし、特に暗殺とかをする場合狙撃銃スナイパーライフルとかも普通に使いますし」



 現実はゲームの主人公のようにはうまくいかない。

 どんな敵だろうとハンドガン一丁だけで迫りくる大軍を淘汰するなど、創作だからこそ許される表現だ。


(結構この界隈に長くいるけど……未だに見たことがないなぁ、そう言えば)


 一颯はそう思った。



「――、だけど。それでもやっぱり付き合い長いのは赤鬼こいつですね」

「なるほど。しかし、どうしてわざわざリボルバーをお使いになられているのですか?」



「あー……」と、一颯は困ったような表情を示した。


 使用する弾薬は50口径用実包弾で、単純な破壊力だけなら申し分なし。

 大抵の相手ならこの一発で粉々に吹き飛ぶ。唯一の欠点はやはり、なんと言っても再装填リロードにどうしても手間が掛かることだろう。

 一般的ないわゆる自動拳銃オートマチックと言われる代物は、弾倉マガジンの交換だけで済む。極めればわずか一秒で装填リロードからの射撃を可能とするガンマンも、この世には実在する。


 対するリボルバータイプの銃は一発ずつ、空にした回転式弾倉シリンダーに込める必要がある。最近ではスピードーローダーも普及されているので、リロードする時間があまりにもかかりすぎるという欠点の克服ができたリボルバーだが、それでもやはり軍配が上がるのはオートマチックの方だと言わざるを得ない。

 装填できる弾薬の多さやリロードの簡単さにおいて、戦場においてももっとも優位に立てるからに他ならない。


 ――なぁなぁ、なぁんでわざわざリボルバーなんて面倒なもの使うんだ?


 と、こう尋ねるか輩は少なからずいた。


 彼らの言い分は至極当然で、こと生存率や成功率を確かなものにしたいのならばより便利なものを用いる。あえてリボルバーなんていう手間のかかる銃を愛用する一颯は、傍から見やれば単なる酔狂者かはたまたカッコつけたがりの愚か者にしか映らなかっただろう。

 彼らの言い分は、とても正しい……。

 だったら今すぐにでもオートマチックに乗り換えるべきか――とは、ならなかった。 

 一颯は散々な言われようの赤鬼リボルバーで現在の地位を築いている。


 ――うるせぇなぁ。こいつでお前の頭スイカみたいにぶっ飛ばしてやろうか? ん?

 ――発想が野蛮人のそれと同じじゃん。怖っ。


 と、揶揄する輩も実績を出せばやがて何も言わなくなった。



「……まぁ。オートマチックの方も使いますけど。身体的にはリボルバーの方があってるんですよ。理由は……自分でもよくわかってないんですけどね」



 一颯は苦笑いを小さく浮かべた。

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