第7話:楽しいお茶会
中庭に案内されてすぐ「これは、すごいな……」と、真っ先に一颯は感嘆の声をもらした。
規模は小規模でこそあるが、質に関してはこの洋館に相応しいと言えよう。
無数に咲き誇る薔薇は、さながら鮮血のように色鮮やかな真紅色を示し、甘く優しい香りが訪れた者の鼻腔をそっとくすぐる。
一颯は花に対して特に何の感慨もない。
いくら綺麗だろうとなんだろうと、しょせんは花で人生においてさして必要がない。
少なくとも一颯はそう思っていて、しかし無関心であるはずの花に一颯は「きれいだな」と、称賛の言葉を自然と発していた。
(花って言うのは、こんなにもきれいなもんなのか……?)
こう自問することさえも、一颯には驚愕に値する心境の変化だった。
これまでにも花ぐらいならば、いくらでも目にする機会があった。
町の方に赴けばそれこそ、花屋がある。身近にあったのに、一切の関心がなかった。
しかし
「いかがでしょうか? この庭園は専属の庭師が毎日欠かさず手入れしているんですの」
「へぇ…確かにすごいよ。この庭園は」
一颯はもちろん、純粋な気持ちで庭園を称賛した。
ただ言葉選びのセンスは壊滅的であり、それは一颯自身がよくよく理解している。
なんとも味気のない、月並みにも程がある言葉だ。すごい、そんな言い回しは幼児にだって言える。ここで巧みな言葉でも送れたならば、相手もとても喜んでくれたのに――とは、少なくとも一颯という男は共感できない。
純粋な気持ちを伝えることこそ、相手の心に響く。これはあくまでも一颯の持論で、もしかしなくとも彼のこの持論に異を唱える輩もきっとどこかにいるに違いない。
だが、一颯に己の考えを曲げるつもりは毛頭なかった。
目にしたものがきれいだったから、ありのままの感想を口にした。
「でしょでしょ!?」と、手話を交えて何故か我がことのように得意げになる美涙。
自分が手入れしたわけじゃないのに……。
もちろん間違っても、雇い主に対してこのような物の言い草は無礼極まりない。
あくまでも自身の胸中の中だけで、一颯はそうツッコミを入れた。
「――早速お嬢様方と交流を深められているようで何よりです」
不意にやってきた健之助に、一颯は「それは?」と尋ねた。
彼の手にある物は陶器製のティーポット――これもさぞ値打ちのあるものだろう、が奇妙な紋様については心なしか不気味である。そして小さなティーカップ……こちらはきっちり四人分。
それら一式が何であるかは容易に察せられよう。
同時に一颯は、奇妙な感覚に囚われる。
「あの……お茶するって話、どこから聞いてたんですか?」
「お嬢様方が何を想い、何をご消耗されているか、言われるよりも先に予測して即座に行動する……執事たるもの、このぐらいできて当然ですので」
さも平然と言い放つ健之助の言葉が、一颯は信じられなかった。
人間の行動パターンを完全に把握するなど、まず絶対に不可能である。
いかに高性能なAIであろうと、人間を真に理解できない。
これはもはや、未来予知の領域だ。唖然とする一颯を他所に、三姉妹はと言うとすでにお茶を堪能していた。
個性豊かな面子であるがそこは腐ってもご令嬢、たったお茶を飲むだけでもその姿は絵になる。
「一颯さんも早くこちらにいらしてください」と、夜魅が明後日の方向を手招いた。
「夜魅お嬢様、一颯様はあちらの方におられますよ」と、健之助がさりげなくフォローに入る。
「あら、申し訳ありませんわ。わたくしったら……」
「あ、あぁいや。俺は気にしてない……ですから、別に」
あれほど敬語を使うなと、雇用主からの
(さすがに、健之助さんがいる前ではできないよなぁ……)
この場にはまず、健之助の存在がいる。
彼女達だけしかいなかったのならばまだしも、一颯がもっとも恐れた第三者がすぐ近くにいる以上、同じような振る舞いは当然できない。
付け加えるならば健之助の眼光も大きな要因の一つとして言えよう。終始穏やかな
これは、明らかに警告だ……。
一颯はそう直感した。
彼女達に無礼は決して許さない。直接本人の口からこう語られずとも、自らわざわざ尋ねる必要もなく、彼がそう警告を発しているのは一目瞭然だった。
故に一颯としては関係上ずっと立場が上にある健之助の警告に従う責務がある。高額の収入源をクビという理由で失うなんてカッコ悪い真似は、是が非でも避けたい。
そんな一颯の心情を、三姉妹がくみ取るか否か。これこそ愚問と言う他あるまい。
「ちょっと一颯さん、わたくし達とはそのような堅苦しい話し方はしないでと仰いましたよ?」
「そーよ! さっきみたいなカンジでハナしてよ!」と、美涙の手話にも熱が入る。
琴葉に至っては書き殴りだ。“敬語禁止!!”――と、荒々しい文字には彼女の感情ははっきりと露わになっていて、不服だと強く訴えている。
「いや、でも……」
「お嬢様方、どうか落ち着いてください」と、しどろもどろになった一颯を颯爽と助け舟を出すように、健之助がにこりと微笑んだ。
口調は穏やかで眼光もさっきと比較して優しい輝きをそこに宿している。
そんな健之助に三姉妹はひどくご立腹な様子だ。
再びあの殺伐とした重苦しい空気が庭園にどんどん蔓延していくのを、一颯はひしひしとその肌で感じた。
「セバスチャン……あなたが、一颯さんに何か言ったのですか?」
そう問い質す夜魅の言霊は鋭利な刃物のようで、鉈のように分厚く重い。
恐ろしい殺気に一颯の方が彼女に戦慄せざるを得なかった。
たかが10代の小娘、怒ったところで何も怖くない。そう侮っている自分が確かにいた。
今一度、彼女達への認識を改める必要がある。少なくとも小娘などという認識は早急に捨て去らなくてはいけない。骨のように白い素肌、異様に冷たすぎる体温、そしてそれぞれが背負った身体的障害……夜魅達は、あらゆる面から言って普通じゃない。
一颯の意識は再度、健之助の方へ。
一般人でない一颯さえもたじろぐほどの殺伐とした空気だ。
一介の執事でしかない耐えられるか、となると一颯の考察としては不可能の三文字が即座に浮かび上がった。
(どうにかして、俺がなんとかしないと……!)
その心配が杞憂であったと一颯が知ったのは、すぐ後のことだった。
「――、お嬢様方。あまりオイタがすぎますと、ご主人様に言いつけますよ?」と、健之助がにこりと笑った。
もっとも笑みだけでなく周囲を漂う殺伐とした空気さえも、彼は我がものとした。仮にも相手は主人の娘である。立場的にはずっと上であるはずの相手に対し有無を言わせない威圧感を堂々と発する。
この事実から一颯は健之助が位置するヒエラルキーが高くあることを理解した。
「ごめんなさい」
「すいませんでしたー!」
驚くほどあっさりと、美涙と夜魅が折れた。琴葉はスケッチブックに書くことなく、その場で深々と頭を下げる始末である。
「わかっていただけたのでしたら何よりです」
周囲の空気が穏やかなものへと徐々に変わりつつある。
その原因であった健之助からも、凄まじい威圧感はふっと消えて元々の温厚な彼へと戻った。
「一颯様」
「は、はい!」と、突然の矛先に一颯はびくりと大きく身体を震わせた。
「ご理解されているとは思いますが、一颯様はあくまでも立場上は執事です。期間限定的であろうと、執事として相応しく恥のない行動をどうか心掛けてくださいね」
「も、もちろんッス……」
一颯はぎこちない笑みを浮かべて返した。
お茶会は、何事もなく進行――たった数分と極めて短いそれを、果たして茶会と要してもよいかはいささか微妙なところではあるが。三姉妹はすっかりへそを曲げて、すこぶる機嫌がよろしくない。
せっかくの端正な顔立ちも今や、不服と言う名の
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