第3話:三姉妹(上)
「セバスチャン、そこにいますか?」
その少女の声は玲瓏……まるで球を転がしたように美しい。
ノックもなしに突然の入室についていささかいただけない一颯であったが、彼女を目にした途端、そんな不満は驚くほどあっさりと消失した。
黒と白を主としたゴスロリ長のドレスを見事に着こなし、さらりと流れる腰に届くほどの銀髪はまるで月のようである。
冷たくも神々しい、そんな輝きを宿す彼女の肌は異様なほど白い。
まるで骨のような真っ白さだ……。
一颯はほんの一瞬だけ驚愕するがすぐに、平常心を装った。
改めて、少女の目には黒い包帯で覆われていた。これこそ健之助が言う、幼少期より患った難病なのだろう。どうやら彼女は目が見えないらしい。一颯はすぐに察した。
「これはこれは、
「いえ、特にこれといって用件はなかったのですけれど、なんだか賑やかなお話が聞こえたから」
「あぁ、それでしたら――予定が少し早まってしまいましたが、先にご紹介させていただきます。こちらがご主人様のご息女が一人、
「セバスチャン? そこに……どなたかいるのかしら。詳しく教えてちょうだい」
「えぇ、お嬢様。こちらの方は、
「まぁ、それじゃあそこに彼が……一颯さんがいるのですね」
「はい、おられますよ」
「あ……」と、一颯は咄嗟に彼女――夜魅に手を伸ばした。
盲目であるので少女の
杖を使って歩くさまを見やるに、もう夜魅にとっては日常動作も同じこと。
一颯の心配を他所に、スイスイと部屋を進んで「はじめまして一颯さん」と、一颯の右手をそっと優しく包むように掴んだ。
「わたくしは夜魅と申します。今日ここであなたとこうしてお会いできたこと、心から感謝します」
「あ、あぁ……いや、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」と、小さく一礼する一颯の
(なんなんだ、こいつ……本当に、人間なのか!?)
例え娘であろうと、上下関係においては断然相手側が上である。
主人と同等の立場にあろう相手に対して、一颯の思考は失礼極まりない。
もっとも、馬鹿正直に本人を前にして口にするような愚行を彼は侵さない。
自身の胸中でだけで、夜魅に対する疑問を一颯は抱いた。
異様に手が冷たい。それこそ本物の氷を握っているかと錯覚してしまうほどに。
傷一つない乙女と柔肌はすべすべとして心地良いのに、異常すぎる冷たさがすべてを台無しにした。
一颯がそうして困惑していると「あの、どうかされましたか?」と、そう尋ねる夜魅は心なしか不安気である。
「あ、いや。なんでもない……です」
一颯はしどろもどろになりながら、ぎこちなくもなんとか笑みを返した。
「――、ねぇセバスチャン。この後一颯さんとお話ししてもいいかしら!?」
「申し訳ございませんお嬢様。まだ館内の案内や事業についての説明が済んでいなくて……」
「まぁ、そうだったのですね……。それじゃあ、館の案内はわたくしがしてもいいですか?」
「ふふっ、夜魅お嬢様は本当に一颯様をお気に入りになられたようですね――承知しました。では、先に説明の方をさせていただきますので、終わり次第またお声をお掛けしに参ります」
「ありがとうセバスチャン。それじゃあ一颯さん。また後で、必ず」
「え、えぇ……」
嬉しそうに退室する夜魅を見送った一颯は、まじまじと己の手を見やった。
徐々に熱が戻っていくが、触れた指先にはまだ少し冷たさが伝わった。
「――、それでは一颯様。夜魅お嬢様も心からお待ちですので、手短に重要なことだけを説明させていただきます」
「あ、はい」と、一颯は小さく首肯して姿勢を正した。
健之助からの説明は、非常に端的でわかりやすい説明だった。
曰く。夜魅を始めとする
本当に、たったそれだけでいいのだろうか……。
一颯がこう疑問視するのも無理はない。
たかが、と言ってしまうのは早計なのやもしれぬが、コミュニケーションするだけで高額の収入が手に入るなど、この世のどこを探してもまず見つかることはあるまい。
もしこのような求人が世に出回れば、誰しもがこぞって就職しようとする。最悪の場合、争いにまで発展しかねない。
とは言え、大抵の人間は鵜呑みにすることなく警戒する。
おいしい話の裏には必ず深い闇が潜んでいるものだ。
「――、では次にお嬢様達との接し方についてです。まず基本的なことですが、お嬢様に対して無礼は決して働かないこと。暴力などもっての外です」
「いやいや、さすがに俺でもそこはしっかりと弁えているつもりですよ」
「あ、お嬢様達からのお誘いがあった場合は断らずに承諾してください。何かご心配な点がございましたら栄養ドリンクから性欲剤、避妊具もすべてこちらで手配いたしますので」
「いや……いやいやいやいや」と、一颯は激しく手を横に振った。
あまりの流暢にさらりと恐ろしいことを口にした健之助こそ、主人から制裁を受けかねない。
さっきの言葉はとてもじゃないが容認できない。
自制心のない、性欲の塊のような輩にはこれほどおいしい話もなかろうが、生憎と一颯にそんな気はこれっぽっちもない。
どこぞの令嬢に手を出すなど、それこそ自殺行為と同等だ。
「あ、あのちょっと聞いてもいいですか? 今回俺に依頼を持ちかけたのは、もしかして……」
「えぇ、夜魅お嬢様達ですよ」
「やっぱりか……」
さっきの口ぶりからしてなんとなく、そうではないか。この一颯の推測は見事に的中した。
ただ、肝心の理由がいまいちよくわかっていない。
広い世界の中で何故、わざわざ何でも屋を雇う必要性があったのか。
これだけの財力がある家だ。健之助も見た限りとても優秀な執事だろう、彼に命令すれば
「それにつきましては、私がご説明するよりもお嬢様達から直接お聞きした方がよろしいかと思いますよ」
「どうしてですか?」
「それを言うのも野暮というものかと」と、にこりと健之助が笑った。
「……話を戻します。夜魅……さんと他のお嬢様達の接し方についてですが――」
「おぉ、そうでしたな。それでは改めて……」
健之助が静かに語る。
「まず、先程お逢いになられた夜魅様は目が見えません。そのため、どのようなものか質問された時は適当にはぐらかしたりせず、できる限りきちんと説明していただきたいのです」
「なるほど」と、一颯は頷いた。
情報のほとんどは視覚より始まるが、彼女にはその視覚がない。
だから代わりに目となる者が必要不可欠となってくる。今回たまたまその大任を帯びたのが、自分であった、というだけのこと。
これは
あるのはやはり、何故自分であるのか、という一つの疑問のみ。
この屋敷には健之助――他にもきっと、執事なりメイドなりいるだろう――と言った存在がすでにいる。彼らにお願いすれば快く承諾しそうなものを、あえて外部から人材を派遣した彼女らの意図が一颯は皆目見当もつかなかった。
「続きまして――」と、健之助の言葉を遮るようにこんっこんっ、と軽めのノックの音が鳴った。
痺れを切らした夜魅がやってきたのだろうか……。
そんな風に疑問を抱く一颯を他所に「はい、どうぞお入りください」と、健之助が招き入れた来訪者は新しい顔だった。
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