勧誘
僕は今、馬車に揺られてとある人物の家に向かっている。
僕が滞在している邸があるのはシエレ山の中腹で山を下ったところには天然水で有名なシエレ村がある。ここは今から五年後の豪雨で沈み、再開発としてもう少し高いところに街ができるのだが、今は辺境に相応しい素朴で温かな村だ。
僕を乗せた馬車はチーズの看板が下がった牧場に入っていく。
「坊ちゃま‼」
僕の馬車を見つけるや否や、ボサボサ髪の恰幅の良い男が駆け寄ってきた。彼の名前はベルトラン。この牧場の経営者で幼い頃からお世話になっている人だ。
「久しぶりだな、ベルトラン」
彼は僕が第一王子と言うことを知らない。彼だけでなくこの村に住む人々は僕が山のお屋敷に住む領主の息子だと思っているのだ。実際それも間違いではないのだが、種明かしをするつもりは無い。理由は村の子供たちとはできる限り近い目線で接して欲しかったから。立場上城に戻れば大人も子供も皆僕の前では頭を下げる。僕がどんなに目を見て話したいと言っても、彼らはつむじしか見せてくれないのだ。そんな日々に幼い僕は辟易していた。
ちなみに領主役は父上ではなく、執事のクロヴィス。彼も元はとある子爵家の次男坊なので仕事はできた。村のみんなの前で僕に接するときは流石に泣かれたけれど、それも仕事だと言えば、歯を食いしばって僕の父親役を全うしてくれている。だから彼には定期的に王都のお土産を個別で贈っているのだが、それよりも早く種明かしを、とせっつかれる毎日だ。
「ほらコンセイユ!坊ちゃまが遊びに来られたぞ!」
ベルトランの声に呼ばれて現れたのは幼いコンセイユ。そう、僕が会いに来たのはコンセイユなのだ。彼は僕を見つけるとおもちゃを見つけた猫のように目を細める。
幼い彼は堅物どころか一言でいうならクソガキだった。
「よく来たなあ!」
僕の背中をバシバシと叩く彼に「手加減してくれよ」とこぼすと、コンセイユは「俺様に意見する気か?」と耳打ちする。将来のコンセイユのためにもこういった黒歴史を作るべきでは無いのだが、子供らしい無遠慮さに、嬉しくなると同時に五年後が楽しみだと腹を黒く染めた。
「今日はコンセイユにお願いしたいことがある」
僕がベルトランに言うと、彼は手の中の帽子を握りしめて「それは一体?」と唾を飲みこむ。別に悪い話じゃないと微笑めば、幾分肩から力を抜いた。
「実は、僕の護衛を頼みたくてね。腕の立つ年の近い人間を探していたところなんだ」
そう言ってコンセイユを見ると、彼は顔を真っ赤にして僕を怒鳴る。
「ふざけんな!誰がお前なんかのために働くかってんだよ!俺は第一王子のために剣を振るって決めてるんだからな!」
「これ!コンセイユ!坊ちゃんになんて口の利き方を――」
「いいんだベルトラン。コンセイユ、君はどうして第一王子の護衛になりたいんだ?」
「うるせえ!お前に関係ないだろ‼」
コンセイユはそう言うと、大股歩きで牧場の方へ消えていった。残された僕はベルトランの顔を見る。彼は肩を竦めると「彼奴の事、どうか罰しないでやって下せえ。するなら、俺に……」と頭を下げる。
「いや、僕は気にしていないよ。それより、コンセイユのプライドを傷つけてしまったみたいだ。僕こそ申し訳ない」
「いえ、いいんです。あいつは、ちょっとくらい世の中を知った方が良い」
そう言って遠くを見つめるベルトランの顔は父親のそれだった。それが、なんだか前世の最後に見た父上の顔と重なって胸の内がどうにもざわつく。子を思う親と言うのは、どうにも温かいものなのだな。僕にもそんな風に大切に思える人がいれば――いや、いたような気がする。あの子のような子供がいたらと、願っていた気がする。
「コンセイユは幸せだね。ベルトランみたいな父親がいるんだから」
「領主様だって素晴らしいお方じゃないですか」
「……うん、そうだね」
僕はベルトランに別れを告げてコンセイユを探す。
実を言うと、前世でもコンセイユは第一王子の護衛をしたかった理由を話してくれなかった。だから、巻き戻った今こそ聞いてみたいのだ。
牧場の一角にある栗の木の根元まで来ると、上を向いて声を掛ける。
「コンセイユ、そこにいるんだろ?」
「……」
返事はない。まだ拗ねているようだ。
「どうして話したくないんだい?僕が嫌いだから?」
「……」
「可哀そうなベルトラン。君が僕の言う事を聞かないのなら、彼を牢屋にぶち込んでやろうかな」
「そうはさせるか!」
意地悪な言葉を掛ければ、コンセイユは飛び降りて僕の上にのしかかる。突然の事でびっくりしたけれど、僕だって伊達に王子はやっちゃいない。僕の上に乗るコンセイユの足を掴み、仰向けになる力を利用して彼の身体を僕の下に引き込んだ。そのまま起き上がって彼の上に跨れば悔しがる彼が「ふざけんな!手を離せ!」と喚く。
「僕に勝てないようじゃ、第一王子の護衛は務まらないんじゃない?」
これも意地悪な質問。さっきから僕ってば酷いことばっかり言ってるな。
「うるさい!」
「うるさいのは君だろ?」
「黙れ!」
「……」
「あああああああ!畜生!俺はなんでこんなやつにも勝てないんだ!」
僕からしてみれば、王子としてあらゆる護身術を叩き込まれているし、前世の経験からくる知恵を加味すれば負けるはずの無い相手なんだけど、それでもコンセイユからすれば、自分より体の小さい僕に負けるのは屈辱だよね。
「勝ってどうしたいの?」
「……」
「そうだ、僕の秘密を一つ教えてあげるからさ、コンセイユもどうして第一王子の護衛をしたいのか教えてよ」
「お前の秘密なんざ興味ねえよ」
「いいや?絶対に君が知っておいた方が良い秘密だよ。間違いなくね」
僕がウインクすると、コンセイユは「うげーっ」と顔を顰め、「わかったからどけよ」と暴れるのもやめて僕の目を真っすぐに見つめる。僕はそれを見て大人しく彼から降りると、コンセイユはぽつりぽつりと語り始めた。
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