父上

「ちょっと冗談だよ冗談‼何も本気で殴ることないじゃないか‼」

 顔の真ん中に僕の拳型を付けて父上は泣き叫ぶ。鼻の骨が折れてしまったらしく鼻血を流しながら母上の膝の上で唸っている姿は、わが父ながら情けない限りだ。

「その笑えない冗談でゾエを傷つけたんだからそれだけで殴る価値はあるでしょう?」

 僕が立ち上がって父上に向かって一歩踏み出せば隣にいたゾエが僕の腕にしがみつくようにして止める。

「まって殿下!私傷ついてないから!もうその拳を下ろして!陛下が死んじゃう‼」

「安心してゾエ。陛下が死んでも僕が国を回してあげるから……あ、」

「え、何?どうしたのクリーデンス?なんでそんな悪魔のような笑みを浮かべてパパを見るの?」

「いえ、僕が王様になった方がゾエとのが進むなーと思いまして」

 そっとポケットからメリケンサックを取り出すと、父上は母上の膝の上で泡を吹いて気絶してしまった。僕はそれを見届けてからメリケンサックをポケットにしまう。本当に情けない。


 僕の父であるアーネスト・フランツ・ビゼーは前国王の四番目の息子だった。本来であれば受け継ぐはずの無い彼がなぜ受け継いだのか、それは血を血で洗う王位継承戦で誰からもノーマークだったから。第一王子は第三王子に毒を盛り、第二王子は第一王子に刺客を差し向けた。第三王子は何もしなかったが、第二王子が病気で勝手に死んだので残った父が唯一の継承権を持つ王子と言う事で不戦勝。こうして虫も殺せない王様が誕生した。……しかし僕は知っている。父は僕と同じ人間だ。何かあれば、僕がトリスタンにしたように容赦なく敵を排除することができる人間。

 実際、僕が学園に入る直前で他国と戦争になるのだが、父上は先陣を切って敵を蹴散らすと言う暴挙に出る。理由は母上の命を狙ったから。

 そんな父上にとっては泡を吹いて倒れるなんてただのパフォーマンスなのだ。ゾエの同情心を煽るだなんて気に入らない。

「安心して、陛下は僕なんかに負けないくらい強いんだから」

 僕は右腕に添えられたゾエの手に重ねるように手を置き、その可愛い手を握る。

「それから、僕は君のその自由奔放な姿が好きだからさ、君の笑顔が曇るような事があれば最初に僕に相談してほしい。一緒に解決策を探したいんだ」

「……迷惑じゃない?」

「もちろん!愛するゾエのためなら僕は父上だって消せるよ!だから何も怖がらないで」

 跪いて手の甲に口付けをした。こんなことを言っても怯えさせてしまうだけ。分かっていても上手い言い回しが思い浮かばない。生まれ変わってみても僕は僕のままだ。ゾエは僕の目を真っすぐ見つめて困ったように微笑んだ。

「ありがとう」

 彼女の屈託のない笑顔を作らなければ。僕は小さな胸に秘かに誓った。


 ゾエと侯爵が帰った後、僕は父上に呼び出された。実を言うと、父上に対してはコンセイユのような懐かしさは無い。母上に対しても、だ。僕が城を出ると決めてから今生の別れとして自ら会うことを禁じた二人。それが僕なりのトリスタンへのけじめだったからなのだが、そのせいか二人の死に実感が無かった。紙切れ一枚で知らされた訃報だが、それまでずっと手紙のやり取りすらなかった僕たち。薄情だと言われればそれまでだが、それだけの覚悟だったのだ。

「さて、クリーデンス。あらためて聞くが本当にゾエと婚約するのか?」

「はい」

 父上の真意は量りかねるが、僕の揺らぐことのない意志だけは伝えておくべきだと、真っすぐに見下ろす父上の目を見て感じた。

「別に家のための結びつきを求める気はない。しかし、将来お前と共にこの国を担う存在でなくてはならない。彼女にその資質があると言えるか?」

 それは父として、陛下としての言葉。だから僕も第一王子として、向き合わねばなるまい。

「王として、人として生きるために僕には彼女が必要なのです。ですから、もし彼女のいない世界で生きろと言うなら僕は何度でも死を選びます」

「……わかった。いや、止める気はなかった。侯爵も素晴らしい男だしな。しかし、時間というものは時に残酷だ。そして人生とはままならない。一つを手に入れるためには何かを犠牲にしなければならないこともある」

 王の座かゾエかと言う事だろうか?それなら答えは決まっている。

「僕は王と言う立場に興味はありません。僕が望むのはゾエの隣で彼女を支える事です」

「支えられるのではなく?」

 揚げ足を取るように僕の顔を覗き込む父上。僕はふっと笑みを漏らして彼の目を真っすぐに見つめる。

「彼女に支えられねばならぬほど、私は軟では無いのですよ」

 父上は面食らったように目を丸くすると、僕の頭を撫でる。

「まだ子供でいてくれていいんだぞ、息子よ」

「話は済みましたか?」

 立ち上がる父に尋ねれば、彼は軽く伸びをして「まあな」と母をエスコートして出て行った。

 この世界、僕が思うほど一筋縄では無いのかもしれない。父上の顔は一体どこまで知っているのやら……敵わないな。一人残された応接間で降参するように笑いを漏らす。

 ふと窓の外に視線を落とせば、彼女が好きだった花が見える。

「さっそく彼女に花でも送ろうかな」

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