……結婚?
あのあと、一週間ほどして事実確認が済んだ侯爵はゾエの手を引いて帰ってしまった。けれど僕に対する評価は悪くないようで、それとなく僕とゾエの未来について期待を込めた言い回しをしていた。
僕もそれにまんざらでもない回答をして、それを理解しているのか、ゾエは終始頬を染めていた。それが可愛くてついついやりすぎてしまうと、今度は顔をさらに赤くして僕を睨みつけるのだけど、そうなると今度は侯爵が間に入って「お似合いだ」と話を持っていくのだ。
一度目の人生では彼女は僕への謝罪の後すぐに帰ってしまったけれど、今度は当初の予定通り一週間滞在していった。
その間僕たちは庭で花を見たり、噴水の前で様々な会話をしたり、これまで読んだ本の話で盛り上がった。
「トルマの赤い屋根は読んだ?」
「三歳の時に教材代わりに一度だけね」
「三歳であの本を読んだの?!」
「うん、でもあの頃は意味までは理解できていなかったよ。あのあとキングスへーヴィの歴史を学んでそういう事かって気づいて……」
「キングスへーヴィを知ってるってことはアンテ・ガロン王国史の三巻を読んだってこと?それも三歳で?」
「いや、アンテの王国史を読んだのは五歳になってから。あのあと気になってトルマの赤い屋根を探したんだけど、トリスタンが使っていたから結局読めなかったんだ」
「まあ、二年前に読んだ本と関連づけられるなんて、殿下ははくしきなのね‼」
彼女はとりわけ本の話をするときに盛り上がった。僕から飛び出す様々な分野の本をまだ五歳の彼女は知っているという。もちろん、彼女が手に入れられない本は名前だけしか知らないらしいが、彼女の家庭教師が教えてくれるらしい――これも、一度目の人生で聞いたことのある話だけれど。年齢もあるのか気を許した僕に彼女は何でも話してくれた。
「あら?殿下ったら、ポケットに何を隠しているの?」
彼女の腕が僕のズボンのポケットに当たってそんな事を聞かれる。教えてもいいけど、敢えて秘密にしておくのも悪くはないと「秘密」と濁せばゾエは「ケチ」と拗ねる。
「それじゃあ、次にゾエがここへ来る時には君が読みたい本を用意しておくよ。だから、読みたいものがあるなら教えてね」
強引に話を逸らすとゾエはそれに乗ってくれた。天使が何かを企むように笑みを浮かべると僕の目を見る。
「ふふっじゃあ……」
「ゾエ、それからクリーデンス殿下、少々お話がございます」
ゾエと侯爵が帰る前日のティータイムに声が掛かった。どうやら陛下が到着したらしい。僕は立ち上がるとゾエに手を貸して二人で侯爵の後について行く。
「ねえ殿下」
「なんだいゾエ」
「先ほどのお話だけど、私ね――」
「え?——」
「どうぞこちらです」
ゾエは僕にだけ聞こえる声でそっと耳打ちすると聞き返す声を侯爵が遮ってしまった。顔が熱い。ゾエはそんな僕に「行きましょう」と耳打ちすると僕を引っ張って中に入る。僕はふわふわとした心地でゾエと共に父と母が待つ応接間に足を踏み入れた。
「おやおや、二人は相当親密な仲のようだ」
父が揶揄うように言う。それを受けて母も「本当に」と穏やかな目で僕たちを見つめる。けれど僕の心臓はそれどころじゃないほどに力強く脈打ち、隣で僕の手を握るゾエの事で頭がいっぱいだった。
――マリー・アンナの調べをお願いします。
マリー・アンナの調べとは貴族の子女に人気の詩集の名前。そしてマリー・アンナとはその本の中に出てくる幸せな少女の名前だった。彼女がなぜ幸せなのか?それは彼女が愛する人と結婚をする花嫁だからだ。だから、この国で女性はプロポーズを受けるときマリー・アンナの調べを婚約者に頼むという。
また、例外として王族との婚約はそのまま結婚を意味するものだから、つまりそれに答えるときにも使われるという事だ。聡い彼女は僕が気付くか賭けに出たのだろう。そしてその賭けに勝ったからこそ、こうして年甲斐もなく喜ぶ僕をここぞとばかりに揶揄うのだ。彼女のこの狡い一面を知っているのは僕だけ。
僕は悔しさよりも彼女を誰にも奪われたくない気持ちに駆られた。
「父上、母上、お願いがあります」
「あら、他の人間がいる場では女王陛下と言いなさい」
「いえ、これは王子と王、それから女王としての話ではありません。僕ことクリーデンスとその父母としての会話です」
「ははっ、あのクリーデンスがなあ、面白い申してみよ」
悪ノリする父上に母上は呆れたように「もう」とこぼしたが肯定しているようだった。
「僕は、こちらにいるゾエと結婚します‼」
男クリーデンス、齢九にして、結婚の挨拶をしてしまいました。九十八まで生きてもしなかったのに、三度目で勢い余っちゃいました。
その場にいた僕以外の全員が硬直したまま動かなくなり、僕も自分の言葉を反芻して間違えたと死にたくなる。僕が認めてもらおうと思ったのはあくまでも婚約だったのに、一足飛びに結婚だなんて。ふと隣を見ればゾエは顔を真っ赤にして頬を膨らませている。しかも、それなりに容赦ない力で僕の右腕を殴ってくる。
「可愛い……」
自然と頬が緩む。僕の中の九十八歳が幼いゾエを孫のように見てしまう。僕の一言に固まっていた大人たちも意識を取り戻し、大きな声で笑い出した。
「け、け、結婚って!クリーデンス、意味が分かっているのか?」
父はゾエの真似をするように僕の左腕をつつく。
「ふふふっついこの間まで母上と結婚するーとか言っていたのに……」
母よ、それは子供の時誰しも通る道です。引き合いに出さないでください。
それからゾエも叩く力を強くしないでください。流石に痛いです。
「ゾエ‼殿下が心変わりしないように頑張ろう‼」
侯爵、貴方が頑張れることはありませんし心変わりなんて死んでもしません。これは実証済みです。
自分のトンデモ発言が招いたこととは言え、恥ずかしさにいたたまれなくなる。と言うか前世の自分からすると大分若い大人たちに子ども扱いされるのはどうにも腹立たしい。
「わかりました!わかりましたから!答えは?!いいんですか?ダメなんですか?」
僕の声に突然真顔になった父。あまりの変化に後ずさると、父は濁った眼差しで僕を見つめる。
「ダメだ。絶対にダメ。お前とアンリールの娘の結婚は断固反対」
気が付くと僕の拳は父の顔面にめり込んでました。完。
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