第2話 ③薔薇の夢魔


二人は緊張しながら、足音の主を待った。


そして現れたのは、予想通り女だった。



「あら...牢屋から出られたの?」



歳は二十代前半。


丈の短いタイトなワンピースを着た、派手めの美女だ。



髪と瞳はルシファーのようなワインレッドで、薔薇のように真っ赤な口紅をしている。



「見張りが女一人って、俺達もずいぶんなめられたもんだな」



シエルが言った。



「...薔薇の夢魔...ですか?」



シュヴァリエは女を知っているようだ。



「薔薇の夢魔?」



「はい。ヴォルフィード軍の将軍の一人、薔薇の夢魔。赤髪、赤い瞳、赤い唇の女性で、幻術が得意だとか。


彼女の幻術にかかると、敵味方の区別がつかなくなり、仲間同士で殺し合いが始まる...という噂のヴォルフィードの将軍です。


僕は会ったことが無いので、彼女がそうかはわかりませんが...」



女は鼻で笑った。



「そうよ。私が薔薇の夢魔と呼ばれる将軍。リリスよ。


あなた達の見張りは、私一人で十分ってこと」



気付くと、シュヴァリエとシエル二人の両脚に、蔓が絡まっていた。


棘のある蔓は、胸の辺りまで伸びる。


そして心臓を刺すように、胸の中へ侵入して消えた。


実際身体に穴があいたわけではない。


出血は無いが、確かに胸の中へ蛇のように入っていった…これが彼女が見せる幻なのだろうか?


しかし本当に、心臓に棘の蔓が巻きついたかのように、胸が痛くなり、二人は呼吸困難になった。



「う、うぅ…エンヴィー...?」



シエルが何かを思い出したかのように、顔が真っ青になった。



「ふぅん。エンヴィーって人が、あなたの愛した人なの?」



リリスは面白いものを見るような目で、シエルを見た。



「うぅ…何で...俺の代わりに死んだんだ...何で...」



シエルは頭を抱えながら、ぼろぼろ泣き始めた。


いつも明るい彼の性格からは、想像出来なかった姿だ。



「可哀想に...あなたの愛した人は、もうこの世にいないのね」



リリスは次にシュヴァリエを見た。


シエルのように、様子が変わっていくのを期待していたが、何も変化は無かった。


胸を抑えて苦しそうにしているが、誰かの名前をつぶやくことも、涙を流すことも無かった。



「嘘、あなた童貞?」



リリスが嫌そうな顔をする。



「は?」


「私の幻術は、『経験がない人』には効かないの。その歳でってことは、あなたよっぽど性格に問題あるんじゃない?」



そう言われてシュヴァリエは、恥ずかしさと怒りで顔が赤くなった。


不埒な婚前交渉が嫌いなだけだ。


自分は悪くない。



「まあ、でも...一人効けば十分よ」



リリスは再びシエルの方を見た。



「聞いて。エンヴィーさんが死んだのは、この男のせいなの」



そう言って、シュヴァリエを指さす。


シエルはピタリと泣き止んで、シュヴァリエの顔を見た。



「お前が...?」



シュヴァリエはエンヴィーという名前の女性を知らない、今日が初耳だ。


だが否定してもシエルの耳には届きそうもない。


紫色だったシエルの瞳が赤く変わり、目の光が消える。


恐らくリリスの幻術にかかっているのだろう。


シエルのアルムの紋章が光り、彼の手に双剣が現れた。



「殺す...お前を殺す...」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る