5-3 不動(第5話 完)

 その再会は、ケインにとっては意外な、そして不本意な形で果たされた。

 カカ・シノが私闘を行い、4度目の拘束を受けた。その報を、ケインは王宮の執務室で、苦々しい思いと共に受け取った。


「……終わりだな」


 さすがに、かばいきれない。相手のけがの程度を確認し、ケインは呻く。


「シノ家の三男坊か」

 涼やかな声に振り返る。師匠である王宮最高位魔術師ナギが、書類の手を止めてケインを眺めていた。


「退学宣告に向かうのなら、私も同行しよう。シノ家の生き残りに、興味がある」



 水の縄でぎっちりと拘束され、カカは無言で荒い息を吐いていた。

(毛を逆立てた、野良猫ってところだな)

 そのぎらぎらとした瞳を見やり、ケインは胸に独り言ちる。

 私闘のきっかけは、魔術師学校を訪ねてきた、シノ家の縁者を名乗る青年がカカ・シノに面会を求めたことだったという。正式な手続きのない訪問に、応対に出た日直の生徒は門前払いにした。その際、ぶしつけな訪問を謝罪し下げたユリ・シノの頭を、シノ家への暴言と共に小突いたところへ、現れたカカ・シノがその生徒に攻撃をかけ、半殺しの目に遭わせたらしい。


「カカ。不意打ちで、急所を狙うのは、いただけないな」

 カカは無言でケインをにらむ。その瞳の奥に微かに悔恨があることが、今のケインには分かっていた。


「……君は、自宅謹慎だ。追って処分が通達される」

 ケインは深く息をつく。退学処分は免れないだろう。


「あの、すいません。弟と、少し話していいでしょうか」


 その時ふいに、静かな声が上がり、室内は一瞬静まり返った。

 縛り上げられたカカの前に、ユリ・シノはひょこひょこと歩み寄る。


「カカ」

 ユリの声はあくまで静かで、怒りも興奮もない。あるのは、ほんのわずかな哀しみの色だった。


「ごめんな。俺のために、怒ったんだろ」


 ギリ。カカの噛み締めた歯が鳴る。


「誰がお前なんか」

「お前にとって、みっともない兄ちゃんで、ごめんな。でも、お前がひどいこと言われて、こんなにずっと傷ついてたと分かってたら、魔術が身に付かなかろうと、貧乏だろうと、俺はお前を手放さないで、一緒に暮らしたのに。……何にも知らなくて、ごめんな」


 ユリの声には、弟の背をさするような響きがあった。ケインの胸が痛む。


「……そんなこと、どうでもいい。どこに居ようと、あいつらは、俺たちを馬鹿にし続ける」

「カカ。ほんとのこと、教えてあげようか」


 カカを見つめるユリの目がきらめいた。


「カカ。兄ちゃんさ、あの人たちに馬鹿にされるの、全然辛くないんだよ」


 カカの目が見開いた。


「嘘だ」

「本当だよ。人より勉強ができたり、魔術が使えたり、ケンカが強い方が偉いなんて誰が決めたんだ。頭を下げるほうより、下げさせるほうが偉いなんて、誰が決めたんだ。兄ちゃんにとっては、ほんとはそんなこと、どうでもいいんだよ」


 ユリは悪戯っぽく笑う。


「誰も。王様も、最高位魔術師殿も、お前にだって。俺の中の俺の価値を変えることなんてできないんだ。兄ちゃんは、兄ちゃんにとってかけがえのない人間だ。お前がそうであるように。それさえ分かっていれば、誰に笑われても、何にも辛くなんてないんだよ」


 カカの顔が歪んだ。


「それから。……シノの家のみんなが死んだのは、お前のせいじゃない」

 ユリの声は海のように深く温かい。


「お前は何も、悪くないよ」

「でも、俺を生んで、母さんは死んだんだ。母さんが死んだから、父さんも、兄さんたちも死んだんだ。ユリ兄ちゃんは、俺が憎くないのか。全てを奪った俺が」

「俺は、全てを奪われてなんていないさ。お前がいる」

「……」


 カカの嗚咽が部屋の空気を揺らす。


「カカ。シノの家の誰も、お前に自分を抑えつけて、無理に魔術師なんぞになって欲しいとは思わないだろう。……でも、お前が本当になりたいのなら、止めはしない。それなら、力を、良いことに、使うんだ。自分を好きになれることに。お前は本当は、優しい子だ。人を傷つけることで、一番傷ついてるのはお前だろ」

 ユリの声には、不思議な響きがある。聞くものの内面を鎮めるような声だ。




「なるほど、貴殿が『外の門番』殿か」

 

 ふいに凛と、愉快そうな声が響いた。

 現れた王宮最高位魔術師の姿に、その場にいた魔術師たちが一斉にこうべを垂れる。


「こちらからご挨拶に伺わねばならぬところを、失敬した。しかし、貴殿はまれにみる不動のお方だ」

「……痛み入ります」

 ユリ・シノは、平然と立ち尽くしたまま、王宮最高位魔術師、ナギを見返す。


「しかし、我らの不見識な同胞が、貴殿や貴殿の弟殿に、無礼を働いていたようなのは慙愧に絶えぬ。今更、あなたのお力を、私共魔術師に貸していただくことは、厚顔なお願いだろうか」

「……そうですね」


 ユリ・シノの声は揺ぎなく淡々と響く。


かんぬきをかけ続けるのは、こう見えて、結構面倒で。俺のやり方は相当手抜きで、ボランティアの気楽なものだけど、15年続けるのは、まあまあしんどかったですよ。できれば、俺の代で、終わりにしたいところですけれど……」


 ユリの目が、うつむいて震える弟を見やる。


「弟は、俺と違って、きちんとシノ家の誇りを受け継いでいるようで。この子が望んでこれから死ぬ気で修練すれば、いずれお役に立てるでしょう」





「冥府からの道が素通しになっていないのは、ひとえにあの方の力のおかげだ。彼が不在であったならば、15年前から、ここは地底と変わらない、魔物どもが跋扈する世界となっていただろう」


 ぞっとするようなことを平然と言い、ナギは居並ぶ王宮魔術師たちを見回した。

 高位魔術師の定例会議。本日は、魔術師学校の生徒の処遇が議題のひとつとなっている。


「魔力などとは比べ物にならない、貴重な力だ」

「どうしてそれほど貴重な方を、あんな扱いのまま放置していたのですか」


 ベスの疑問はもっともだ。


「知らなかった。あの場で姿を見て、初めて悟った」


 全員が絶句する。


「どんなものにせよ、事が起こってから解決する役回りは、目に見えて分かりやすい。事を未然に防ぐ役回りは、そちらの方が何倍、何十倍も有効で重要なことが多いが、評価はされにくいものだ」


 土の属性の魔術師たちが、深くうなずく。思うことがあるらしい。


「カカ・シノの魔力は、用途を防御に限って、使用を許可する。身柄は王宮預かりとし、私と、ユリ・シノがその教育に当たる」


 ナギは静かに宣告する。異議を唱える声はなかった。





「ケイン先生。お世話になりました。気にかけてくれて、うれしかった」


 真っ赤な顔でぼそぼそとあいさつする少年の頭に、思わずケインは手を乗せる。


「……修行、頑張れよ。多分だいぶ大変だろうけど……」


 このけんかっ早い少年が、本当に不動の精神を手に入れられるのか、ケインは今でも心配だ。


「辛い時は、時々遊びに来いよ。息抜きに、東の通りっていう楽しいとこに連れてってやるから……」

「お前の教育は、結局そこか」

「『不動』と真逆の方向性だろうが」


 背後のロベルト、ソシギ両教官から、すかさず突っ込みが入る。


「……先生の背中の荷物も、いつか軽くなること、願ってます」


 大人びた瞳に見つめられ、ケインは自分がうまく笑えているのか、自信が無くなる。


「ありがとな」


 ポンポン、と頭を叩くと、少年は満面の笑顔を見せた。


 誰も皆、多かれ少なかれ、背中に荷物をしょっている。小さくなる背中を見送りながら、彼がその重みを生の実感とできることを、ケインは静かに祈った。


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