5-2 生き残り
「ユリ・シノさん」
訪ねて行った金物屋の軒先で、ケインの声に振り向いたのは、ひょろりとした顔色の悪い青年だった。足が悪いらしく、歩くたびに軽く体が揺れる。
「その名は、だいぶ前に、消えたはずのものですが」
青年は、へらりと笑う。
「僕、魔力がないんですよ。それで、養子に出されました。もう、魔術師様たちとは、かかわりのない世界の人間です」
商品を整える青年の背中を、ケインは黙って眺める。
「シノ家には生き残りの
青年の手が止まった。
「……弟のことは、知っています」
振り向いて、彼はもう一度へらりと笑った。
「一度、会いに行ったことがあるんですよ。魔力のない兄なんて、恥だと言って追い返されました。まあ俺、頭もよくないし、力もないし。自慢できるようなこと、ひとつもないから。あの子はきっと、親戚をたらいまわしにされて、何とか突っ張って生きているんでしょう。足手まといにだけは、なりたくないんですよ」
*
彼の掌に現れた火球は、赤ん坊の頭ほどの大きさだった。
「カカ・シノ。火球の大きさを調整しろ。そのままだと、室内で扱うには大きすぎる」
並んで火球を浮かべていた数人の生徒が、ちらりとカカに視線を送る。左端の生徒の口元が微かに歪んだのが、ケインの視界の端に映った。
瞬間、その生徒の掌の火球が膨張する。カカの火球の大きさを超えようかという瞬間、カカの火球が爆発するように拡大した。
「……!!」
ケインの右手から風の壁が放たれる。それはぐるりとカカを取り囲み、カカと彼の起こした炎の渦はつむじ風に巻き取られて運動場へと吹き飛ばされる。
「カカ。火球を潰せ。授業は、力比べの場所じゃない」
運動場の真ん中で、風の壁に囲まれて仁王立ちしている少年に向かい、ケインは静かに命令した。カカは黙って、ぎらぎらとした瞳でケインを見返す。彼の火球はさらに膨張し、風の壁を飲み込もうとする。
瞬間、細い水流が上空から伸び、カカの身体に巻き付いた。水の縄にぎりぎりと締め上げられ、カカの火球が消える。
「ロベルト」
「ケイン。いい加減、甘すぎる」
右手から水流を放ったまま、現れた長身の教官は厳しい声で言った。
「もうこれで、俺の拘束は3度目だぞ。こいつは、理性で力を制御する意識が低すぎる。危険だ。力を封じて、退学処分が妥当だ」
カカのぎらつく瞳がロベルトを見つめている。そこにあるむき出しの敵意に、ケインの胸には苦いものが広がる。
「……一度、俺に、預からせてくれ」
ロベルトはため息をつく。
「お前の落ちこぼれ贔屓は、もう病気だな」
ケインはニヤリと笑って見せた。
*
「俺は、辞めさせられるんですか」
「今のままだと、そうなるな」
「……せいせいする」
魔術師学校の個別面談室。カカの正面の椅子にまたがり、ケインは軽くため息をついた。
「少なくとも、君は自分の意志でここに入ったんだろ。ここは、魔術師を養成する学校だ。君は、何を望んでやってきたんだ」
「力をつけて、自分の力で、魔術師たちを黙らせるためです。でも、この学校の奴らも、俺が思っていた以上に腐っていた」
「何か、言われたか。……気づいてやれなくて、すまない。俺は君に、何をしてやれるのかな」
ケインはカカの瞳をのぞき込む。カカはほんの少し、毒気を抜かれた顔をした。
「俺の辛抱が足りなかった、それだけです」
カカの瞳に垣間見える知性の輝きを、ケインは心底惜しいと思う。
「シノ家を、再興したいのか」
「俺には、シノ家の汚名を雪ぐ義務がある」
「君に、『門番』が継げるのかい。今のままの君に、『不動』が手に入るのかな」
「……」
カカの顔が悔し気に歪む。
「でも、俺の家は、俺のせいで、滅んだんだ。俺の死んだ家族は今でもあいつらに、役立たずと馬鹿にされてる。俺はそれを許しちゃいけないんだ」
ユリ・シノを訪ねた時の会話を、ケインは思い出す。
「あの子の母は、あの子を産んだ時に亡くなりました。それが、あの襲撃の日だったのです」
ケインは思わず息をのんだ。
「『門番』の秘伝の術の求めるものは、ただ一つ。シノ家の血を引くものが、冥界と現世の間の『門』に、意識の
ユリの声は暗く平静だった。
「父の意識の揺らぎがどの程度のものであったのかは、今となっては分かりません。とにかく、父は冥府の門が開くことを許し、そして再び閉じることができないまま、
振り向いたユリの顔も、瞳も、静かなままだった。
「弟は、その咎が自分にあると、幼いころから思い詰めてきました。そして、精神を平らかに保つ特別な修行も、施されてはいない。シノ家の術の求める『不動』の精神を、あの子に望むことは、酷なことです」
ユリの唇に苦い笑みが浮かぶ。
「『門番』の術は、すでに絶えているのです」
「“俺のせい”、か。……俺の、誰にも言っていない昔話をしようか」
ケインの声音に、カカが意外そうな顔をした。
「15年前のあの時、王宮のあの場にいた魔術師の、俺は唯一の生き残りなんだ」
今でも、思い出すとケインの胸は苦しくなる。
「冥府の門が開いて、魔獣が現れた時、次の間にいてやっと気づいた俺は奥の間の扉を開いた。ナギ様は、それで注意がそれたんだ。俺だけが、あの場から逃がされた。もしあの時、俺が扉を開くのがもう少し遅ければ、あの人の防御魔法が奥の間の全員を救っていたかもしれない。もう少し早く扉を開ければ、俺が術をもう少し早く使えていたら、扉を開けたのが、俺でなかったら、結果は、違っていたかもしれない。俺のせいで、あそこにいた人たちは、死んだんだ」
今でもあの瞬間を、時々夢に見る。ケインはくしゃりを赤毛をかき回す。
「でも俺は、そのことで自分を責めることはしないと決めている。生き延びたなら、自分のできる最善を尽くす。それが唯一の、贖罪だろ」
ケインはもう一度、カカの茶色の瞳をのぞき込んだ。
「カカ。本当に、家を再興する気があるなら、君はお兄さんに会うべきだ」
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