第4話 輪舞曲 -先生たちの思い出話②-

4-1 招かざる客

 ケインが魔術師学校の教員となってから9年後、いまだ王国が傀儡の王の脅威にさらされていた頃。

 ロベルトとメイの、もう一つの物語。


***********


「今、私の手に何か見える?」

 開かれた彼女の掌に、薄紫の煙がたゆたう。


「紫の、煙が見えます」

 煙ごしに、すもも色の瞳が微笑んだ。


「他には?」

 目を移すと、はちみつ色の髪の女性の身体全体から、薄紫の煙が立ち上っていた。ふいに、それが右手に集約する。


「先生の体中の煙が、右手に集まりました」

 煙が消え、すもも色の瞳が少年の琥珀の瞳をのぞき込む。


「ダリオ君。あなたの見えているもの、特別なものよ」

 胸の奥に響く、優しい声。


めた魔力が可視化できるのね。訓練すれば、発動前にすべての術が見切れるわ。あなたの力は、無二のものよ」


 この日、少年ダリオの魔術師としての人生を決定づける言葉を彼女は発した。




 「ケイン、お前の友人と名乗る方が、至急面会希望で来訪されている。校門へ来てくれ」


 教官控室で事務仕事に追われているケインの耳に響いてきたのは、ソシギの声だった。

 通常運営に戻り9年。怨霊や精霊からの断続的な攻撃はあるものの、補強した結界を撃破されるには至らず、魔術師学校には表面的には落ち着きが戻っている。ソシギが、ケインに対してこの緊急の連絡方法を使ったのも久しぶりだった。

 駆け付けた校門には、確かにただ事ではない光景が広がっていた。


「カイト、お前、……何をもらってきたんだよ」


 憑依体質の幼馴染、近衛兵の隊服に身を包んだカイト・ハーンベルクは、立っていられないらしく片膝をついた姿勢で荒く息をしている。その背後に、おびただしい数の悪霊を認めてさすがのケインも息をのむ。


「ご本人で間違いないか」

 動じた様子のないソシギの声に、顔をしかめてケインは答える。


「ああ。王宮近衛隊長、カイト・ハーンベルクだ。これまで取り憑かれた霊の数では右に出るものはいない。しかしカイト、お前……除霊をするにしても何もここに来なくてもいいだろ。王宮の方が人手があるのに」

「今日は、王宮は即位記念式典で手一杯なんだ。ナギに、ここに行けと指示された。生徒の実習に使えとかなんとか。……とにかく、どうにかしてくれ」


 確かに、憑りついている悪霊は、一つ一つの力は弱いが数が多い。大人数で一気に除霊に取り掛かる必要がありそうだった。


「しかし、何でこんなことになってるんだ」

「昨日の夜、捜索で西の森に行ったんだ。石の並んでいる広場を通った後、急に体が重くなった」

「昨日……新月か」


 ケインは顔をしかめる。善悪さまざまな精霊の力が濃く漂う西の森。地上の精霊の力が弱まり、地底のたちの悪い精霊が力をふるう新月の夜。


「わざとかっていうくらい、タイミングが悪いな」


 冷や汗を浮かべている友人を見下ろし、つぶやく。


 ケインが思案する間もなく、ソシギの口から低い声がもれ、黒い風が現れる。ソシギの「鉄壁の防御壁」、土と風から成る防御結界だ。黒い風は瞬時に、カイトを運動場へと運び去る。

 ソシギの右手が握られる。瞬間、おびただしい数の悪霊は一気にカイトから引きはがされ、防御結界の中に封じ込められた。あまりの鮮やかさに、ケインは思わず口笛を吹く。


「ソシギ。……やるな。あんた、除霊の力、王国一なんじゃないか」

 ソシギの返答はない。背を向けてカイトに回復魔法を施そうとしていた手を止め、ケインは振り返る。

「……!」

 ソシギの厚い防御壁の中で、すべての悪霊の形をしたものが1か所に集まり、今まさに何かが生まれようとしていた。


「……罠か。シュナギ師がおっしゃる通り、個別に除霊すべきだった。まとめた俺の判断ミスだな」

 ようやく発せられたソシギの声は苦い。


「魔獣……」


 分厚い防御壁の中で、黒い獣が咆哮している。瘴気が結界内の空気を濁らせる。

 ソシギは表情を変えず、防御壁に無言で手をかざし続けている。しかし、内側からの攻撃で魔力が削られつつあるのは明らかだった。


「かなりの力だ。俺の攻撃では、屠れそうにない。ケイン、一撃でやれるか」


 ソシギの問いに、黒い風の壁の中で威嚇する魔獣をしばらく眺め、ケインはかぶりを振る。


「見切れない」


 なにか特殊な術が施されているのか、黒い塊の表面を視線が滑るのみで、ケインにもソシギにも、魔獣の身体が見通せない。ソシギ自身の攻撃でなければ、魔獣を攻撃する際には一度結界を解く必要がある。瞬殺できなければ、ある程度の損害は覚悟が必要だ。特性が見切れない魔獣に対し、とっさに作戦が立たずケインは唇をかむ。

 その時ふいに、二人の前に人影が立った。


「これは、地の精霊の眷属です。分裂し個別に戦うことはできますが、ソシギ先生の壁を削れる威力の魔力を出すには、今の形態を保つ必要があるようです」


 現れた亜麻色の髪、王宮魔術師のローブをまとった青年は、冷静な声で告げる。


「飛び道具は使えるようですが、呪術のたぐいの気配はありません。単純な物理攻撃に注意さえすれば、撃破できるでしょう」


 ケインの目が上がる。


「……ダリオ。王宮忙しそうなのに、悪いな」

「いえ。私は末席ですので抜けても大事ありません」


 ナギにより送り込まれたのであろう、年若い王宮魔術師の、振り向いた琥珀色の瞳がちらりと笑う。

 ケインの右手に風の長剣が握られる。


「よし、……あいつの魔力の核の位置は」

「胸元です」

「ソシギ!」


 瞬間、防御壁が消失する。魔獣の足元に黒い風がまとわりつくと同時に、ケインの長剣が魔獣の胸元を貫いた。

 一言も発さず、魔獣の残骸はソシギの黒い風に吸い込まれる。


「こちらが手薄な日に、憑依の形で使い魔をよこすとは、傀儡くぐつの王の策謀の巧みさは相変わらずだな」

 すぐにカイトに回復魔法をかけ始めながら、ケインはつぶやく。


「それにしては、いやにあっけないな。何かの前触れでなければいいが」

 ソシギの不吉なつぶやき。しかし、宿敵の思惑に馳せた思考は、背後から聞こえた言葉に中断された。


「メイ先生。僕は、シュナギ師に、認められました。約束を、果たさせてください」


 駆け付けたはちみつ色の髪の女性教官に向かい、王宮魔術師のローブをまとった青年、ダリオが唐突に告げる。


「……あなたと何かを約束した覚えは、ありませんよ」


 柔らかい、しかし断固としたメイの声。2人の教官は目を見合わせた。




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