3-7 帰還(第3話 完)

「チェロ弾きが、耳を犠牲にするなんて」


 防音結界の内部に、不透明の不可侵結界が張られている。外から魔術師たちが結界をこじ開けようと騒いでいるが、結界を張った当のロベルトはどこ吹く風だ。

 両鼓膜が破れ体の平衡も保てないメイは、ベッドの上の彼の腕に抱き取られている。

 ロベルトは優しく彼女のうなじに口づけながら、そっと耳に手をかざす。


「なんて無茶をするんだ、このひとは」


 メイは目を瞬く。ようやく音が聞こえだし、めまいのおさまった視界には愛しい人の笑顔がある。


「ロベルト」

「メイ。……起こしてくれて、ありがとう」


 優しい口づけ。


 次の瞬間、ロベルトは顔をしかめた。


「時間切れだ」


 瞬間、不可侵結界に亀裂が生じ、風の長剣で結界の膜を斜めに大きく切り裂きながら赤毛の痩躯が飛び込んでくる。

 肩で息をし、怒髪天を突く勢いでケインは叫んだ。


「ロベルト、お前いい加減にしろ!!」


 ロベルトは、ベッドの上で首をすくめた。




「そう、確かに五感はすべて閉じてはいたが、頭一発叩いてくれれば目が覚めるはずだったんだけどな……」


 ケインだったら最初にやるだろうと思ったんだが。

 自分が10日も眠っていた、と聞かされてロベルトは苦笑いする。

 魔術師の医務所では、患者に対して直接触れるということがほとんどない。ロベルトの意識回復に対して、様々な外的刺激も試みられたが、物理的にひっぱたくなどという方法は誰も試みなかった。

 メイのチェロの爆発音レベルの大音響で、ほぼ頬を張られるに近い衝撃を受け、ロベルトはようやく目を覚ましたのだった。


「お前は俺を何だと思っている」


 病人をひっぱたく魔術師がどこにいる。ケインは苦々しくつぶやく。



*****



「あれから、11年ちょっとか」


 魔術師学校の教官控室で、3・4年生の実技指導担当、ケイン主任教官はつぶやき葡萄酒を含む。

 新制魔術師学校開設10周年記念、などという冊子が教官たちに届けられたのは、昨日のことだ。あの、はじめの熱く手探りの日々を思い出し、集まった4人はそれぞれ遠い目をする。


「俺たちも、歳をとるはずだな」


 かぱりとグラスをあけ、全く容姿に衰えのない、5・6年生の実践授業の総合評価担当、および渉外担当のロベルト教官が笑いを含んだ声で言う。


「それにしても、この10年。お互い死にかかったり生傷絶えなかったが良くやったよ」

 1・2年生の基礎理論担当、ソシギ教官の感慨深げな声。


「そういえばケイン、お前、貴族に婿入りするそうじゃないか。とうとう丸くなったか。権力に屈したな」

「愛の力でしょ、言わせないで」


 明らかに面白がっている、1・2年生の実技指導担当、メイ教官の声。既得権益の塊ともいえる、魔術師筆頭2家の娘との交際がうわさされているケインは面倒そうに顔をしかめる。


 ついに、悲願であった王宮魔術師たちの宿敵の討伐が果たされ、王宮最高位魔術師ナギの魔力が取り戻され1年あまり。魔術師学校にも、本当の平穏が戻っていた。



 明日からの新学期も、楽しみだな。

 新たな生徒たちとのあれこれを想像し、ケインは自然と笑顔になる。

 教官控室に、穏やかな夜が更けていく。

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