3-6 魔音使い


 先ほどのヒキガエルだ。どこかに傷をつけられたのか。服を引きはがし全身を見回し、ロベルトの左小指が変色しているのを確認し、ケインは唇をかむ。

 突然、メイがロベルトの変色した指をくわえた。そのまま息を吸い込むように、毒を自分に取り込もうとする。


「メイ、よせ」


 メイは解毒の術は修めていない。ソシギが彼女を突き飛ばし、口に指を突っ込む。嘔吐するように、メイの口から緑色の粘液が吐き出される。ソシギの両手はそのまま彼女の口と、ロベルトの口にかざされる。


「足りん」


 一声呻くと、メイをケインの方へ突き飛ばし、ソシギは先ほどのメイと同じように、ロベルトの指をくわえた。ソシギの身体に、ロベルトを侵している毒が取り込まれていく。ソシギの顔が歪み、額には汗が浮かぶ。やがて口を離し、しばらく荒い息をついた後、頭を振りゆっくりとロベルトの脈をとる。


「大丈夫か」


 メイの口に手をかざし、毒消しの魔力を注ぎ込みながら、ケインが叫ぶ。


「ああ、毒は中和した。だが、ロベルトの意識が戻らん」

「ロベルト、戻ってこい。俺たち、これからだって、言っただろ!」


 ケインの呼びかけにも、ロベルトが目を開く様子はない。

 応急処置を続けるうちに運び手が駆け付け、ロベルトとメイはそのまま王宮の医務所へ運ばれた。




「麻痺の毒が混ぜられていた。傷がついたことに、気が付いていなかったんだろう」


 2人だけが残った教官控室で、ソシギは低い声で言う。

 本体が死んでも、効果の消えない毒。常識を超えた攻撃に、ケインは唇をかむ。自分たちが戦っている相手の狡猾さ、強大さに身の内が震える思いがした。


*


「受傷から解毒までの時間が長すぎた」


 医務所の病室。横たわるロベルトの隣で、ケインは唇をかむ。


「俺の処置の時点で、中枢神経に潜り込んだ毒が、一体化を始めていた。自我が保てるかどうかギリギリのところで、彼は殻にこもったんだろう」


 ソシギの声は低い。何とか解毒処置は間に合い、ロベルトは一命をとりとめたが、昏睡状態が続いていた。毒に精神が支配される直前、意識的にか無意識にかは不明だが、彼は自分の精神を殻に閉じ込め、毒から守ろうとしたらしい。しかし、身体的には回復した今も、彼の精神は閉じ込められたままだ。


「魔力の刺激から解呪まで、考えられる方法は尽くして呼びかけているが」


 回診してきた魔術医療専門の魔術師も、声に力はない。


「このままの状態が続けば、身体のみを生かし続けるか、判断を迫られることになるだろう」




 ロベルトが毒を受けて1週間。身体の生命維持には問題ない状態は続いているが、意識の回復には手掛かりのない状況が続いていた。


「どんなことがあっても、あいつの最大限の生命維持を主張する。定期的に魔力を入れてやれば、身体が衰えることもないはずだ。誰が何と言おうと殺させはしない」


 薬湯を手にうつむくメイの隣で、ケインはきっぱりと言い切った。

 メイはほぼ完全に回復し、明日には退院が決まっていた。隣の病室にいるロベルトの病状を聞かされたのは、今日が初めてだった。

 1か月を目安に、王宮魔術師の会議で、ロベルトの処遇を決定する。宣告が出されたのは昨日のことだ。ケインは、数日後に迫った魔術師学校の通常運営に向け、魔術師学校の教官および王宮魔術師に正式登用されていた。


「ケイン様。……お願いがあります」


 うつむいたままのメイの声に、ケインはメイをのぞき込む。

 そして、その瞳に浮かぶ決然とした光に、目を見開いた。




 王宮の医務所に魔楽器が持ち込まれるのは、異例のことだった。

 自分の背中の大きな荷物に、あちこちから注がれる好奇の眼差しを、メイはまっすぐ前を向きはじきつづける。彼女が魔音使いだということを、ほとんどの魔術師たちは知らなかった。

 ロベルトの病室には、3重に防音結界が張られている。病室への入室は、ケインのみが許された。

 横たわるロベルトの隣でチェロを抱えて椅子に座り、メイは軽く弓を動かし調弦している。音はもちろん全く聞こえないが、微かに結界の振動が伝わってくる。

 ふいに彼女の右ひじが上がり、弓がまっすぐに引かれた。


(ロベルト)


 甘い旋律が流れ出す。二人で弾いた、思い出の曲。二人ぼっちの音楽室で、二人はいつもむき出しだった。彼のピアノは、繊細に時に残酷に、彼女の旋律を抉った。あきらめも舐めあいもない、ぎりぎりとせめぎあう世界。私たちは、それを切望していた。

 彼の瞼は動かない。


(ロベルト、……私の音を見つけて)


 ゆっくりと音階を奏でながら、メイは語り掛ける。低音から高音、そしてまた低音。滑らかな音の階段に、ロベルトの閉じられた瞼の反応はない。

 一音ずつ。テヌート、ビブラート。ゆっくり探るが、暗闇の中に石を投げるように、ただ消えていく音に唇をかむ。

 暗闇。虚空。何の波紋もない空気。

 ゆっくりとメイの瞳が見開かれる。

 キッと、彼女の顔が上げられた。


(私も、結局、チェロ弾きじゃない。――魔術師なんだ)



 突然防音結界が大きく震え、ケインは驚いて飛びずさる。結界全体が、拍動するように震えている。メイの両耳から血が流れているのを目にし、ケインは驚きで凍り付く。


(鼓膜が、破れている)


 メイの弓は、恐ろしいスピードで跳ねている。それは、メロディーを奏でているとは思えない構えだった。

 結界内の光景が揺れている。空気と魔力の密度が偏り、あちこちで物の形が歪んで見える。


(やめさせなければ)


 ケインが手をかざそうとしたとき、ふいに拍動は停止した。




 しんと澄んだ防音結界の中で、ロベルトの手がメイの弓をつかんでいた。


「ひどいな、目覚まし時計よりなお悪い」


 顔をしかめて、笑いを含んだいつもの声で、ロベルトは一言つぶやいた。

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