3-5 俺たちの人生
休校の方針が出ていた魔術師学校の、学生による自主運営が発表されたのは、それから3日後のことだった。職員控室に集まった仲間たちに、ロベルトは淡々と口火を切る。
「いまだ王宮で起きた事態の詳細は分からない。俺たちが持っている情報は、王宮と魔術師連合が発表したものが全てだ。ただ、君たちも知っての通り、この学校の教職に在った方々の半数は初めの事変で亡くなり、残りの半数は現在、防衛のために王宮に留め置かれている。今、魔術師学校はその機能を失っている。俺たちは、自分たちで魔術師学校を運営し、何とか失われたこの国の魔術の力を、取り戻す手助けをする。座して死を待つのは、まっぴらだ」
見まわす先には、
「俺たちの人生は、これからだ」
*
「もちろん、協力する」
学校の自主運営について切り出した時、やせぎすの同級生、ソシギは即答した。賛同は得られないかと思っていたケインとロベルトは目を見開く。堅物で、上からの命令は絶対。そんなイメージの同級生は言葉を継ぐ。
「後進の育成は、現状では最も優先すべき、急務だ。そして、……君たちは、理論を教えるのは苦手そうだからな」
眼鏡の奥の紫紺の瞳が微かに微笑む。そう、現場主義の二人組は、基礎理論は野生の勘で切り抜けてきた。ソシギの緻密な理論知識は、今協力がもらえるのは千人力だった。
*
「私に、1年生を?」
メイは意外そうな顔をする。複雑な表情になる彼女に、ケインが口を開く。
「いや、君がロベルトの彼女だからとか、そういう話ではないんだ。君が2年生の春、俺と初めて話した時のこと、覚えているかな」
メイは首をかしげる。
ケインが3年生の春、彼は来る応用実技に向けて、校庭の片隅で自主練習を行っていた。ライバルのロベルトの魔術を目の当たりにして1年、自分なりに魔術の再構築を行ってきたが、自分の中で、何かしっくりこないものを感じていた。
ふいに背後に明るい色彩が差す。ヒヨコのような、かわいらしい黄色の髪の少女が立っていた。彼女は、ケインの頭上で今を盛りと咲きほこる、桜の花を見に来たものらしかった。ケインに頓着せず口を半開きにして桜を眺める姿に、ケインは知らずに微笑む。その時、少女の
「あの、順番、逆にしたらどうでしょう」
「順番」
ケインは眉をひそめる。彼女は無邪気な声音で続ける。
「今、火の周りに、風を回しているでしょう。風を芯にして、火を回すんです」
自分の手元の火球のことだと気づき、さらにケインの眉は寄る。考えたこともない手技だった。
一度手を握り、試しに言われた通りに火球を作る。途端に自分の掌で先ほどの数倍の勢いでごうごうと炎が燃え盛り、ケインは驚きに目を見張る。
「その方が、効率的ですよね。あなたの属性は、風なのですから」
ケインはあっけにとられて少女を眺める。赤毛の痩躯。外見からも、特性からも、自分も周囲も、一度もケインの属性が火であることを疑ったことはなかった。彼女はその彼の本質を、一目で見抜いたのだった。
彼女には、得難い才能がある。その時から、ケインの中でヒヨコのメイは、特別な存在だった。彼女には、1年生を教え導く役割を担ってもらいたい。ケインは渋るロベルトを説得し、現役の学生であるメイを1年生の指導役に抜擢した。
*
魔術師学校の自主運営は、思ったよりも長引いた。王宮の奥に恒久不可侵結界が設営され、その運用が安定してからも、高位の魔術師たちを多数失った王宮内は、想像を絶する人手不足だった。魔術師学校の教職に在った魔術師たちは、その穴埋めに忙殺され、事件から半年たった春にも、学校は公的には再開されないままだった。
ロベルトは、自主学習と相互補助の比率を高めた授業計画を練り、適宜王宮魔術師の臨時派遣を要請して非常勤講師とし、学校の運用を回していた。
春の夕暮れ。
予想外の魔術師学校での7度目の桜の花を眺めながら、ケインは運動場の隅で寝そべっていた。師匠であるナギが魔力を失ってから半年。卒業認定も延長された宙ぶらりんの立場で、自己流で必死に後輩たちを指導する日々に、自問自答の時間が増えていく。私的運営の魔術師学校に、それでも半数ほどの生徒は、通い続けてくれている。
人を教えるのは、嫌いではない。むしろ、楽しすぎて不安になるくらいだ。仕事というのは苦しいものだ、昔に聞いたナギの言葉がケインを悩ませる。
ふいに、漂っていた使い魔の気配が消えた。
胸がざわつく。すぐに、地を伝ってソシギの声が届いた。
『ケイン、おかしい。どこかで結界がほころびている』
ケインは飛び起きる。
「残っている生徒を運動場に集める。不可侵結界を張れ」
叫びながら、自分のありったけの使い魔を走らせる。教室や校庭に残っていた生徒が、使い魔に運ばれ瞬く間に集まる。ソシギの張った分厚い結界が、彼らを覆う。
「ここを選んで襲撃する理由はないはずだ」
ロベルトの顔は思案に沈んでいる。ここ半年で、齢二十にして経営者の顔になった同級生を、ケインは複雑な気持ちで眺める。
「しかし、繰り返し細かい不穏な襲撃が続いている」
今や学校の防御を一手に担っているソシギの口調は重い。
「穴なく覆っているはずだが、何にも完璧というものはない」
防御、探索、解毒。土の特性の技能をどれも最高度に習熟している眼鏡の学生は息を吐く。
「どこかのほころびから何かが入り込もうとしていることは、間違いない」
ケインはがりがりと頭をかく。地上の警備はケインの使役する使い魔の能力が勝るため、ソシギとケインは常に連携を取っている。二人の胸の内は、不安で真っ黒だった。
「交代で警備に当たる。いったん、授業は休講とせざるを得ないだろう……」
ロベルトの目が上がる。
「井戸だ」
全員の目が合った。ロベルトの姿が掻き消え、ケインは慌てて痕跡を追う。
たどり着いた先は、蓋をされた井戸跡だった。すでにロベルトの目の前に、押しつぶされた巨大なヒキガエルのような魔物がいる。
「……王宮の事案と関係があると思うか」
わずかに息を切らせてロベルトは言う。ケインは顔をしかめて言葉を返す。
「ないわけはないが、今ここを守るのは、俺たちしかいない」
是非もない。ロベルトはいつもの笑顔で返す。
運動場の一角に集まった生徒たちをひとりひとり転移術で自宅へ送り届け、敷地内のすべての井戸に封印をかけなおした時には深夜になっていた。ケインとソシギは、教員の当直室で泊まり込みを決める。自主運営の初めから準備や相談で深夜になることは多く、泊まり込みは慣れっこだ。学校は第二の家ぐらいにはなっている。
ロベルトとメイは、音楽室にこもっていた。この半年、特にロベルトに悩み事があるとき、二人は良くセッションをしていた。奏でる音に魔力が宿る二人の音を聞かせてもらえたことはないが、相当な腕前であるらしい。
やがてメイとともに戻って来たロベルトは、ひどく疲れた様子だった。
「仮眠する」
そのまま教官室のソファーに横たわる。4人に沈黙が落ちる。
「……自主運営は、そろそろ限界かもな」
ケインが低い声で言う。敵の矛先が学校を向いたのなら、自分たちだけでここを守り抜くのは至難の業だろう。
「分かっている。先ほど、魔術師連合に話をした。来月から、非常勤教官を増員して通常運営に戻す。コベルナ師が校長に就任してくださる。校内の防御も専門担当がつくことになる」
目を閉じたまま、ロベルトがこともなげに言った。いつの間に話を進めていたのか。ケインとソシギは顔を見合わせる。
「魔術師連合としては、俺たち3人に、常勤教官として学校に残ってもらいたい意向だ。2人とも、考えておいてくれ」
そのまますうと寝息になる友人を見つめ、二人は悩ましげな顔になる。
半刻ほどで、異変に気付いたのはメイだった。
「……ロベルト?」
メイの声に悲鳴が混じり、書き物をしていたケインは飛び上がる。
「どうした」
横たわったロベルトの顔色は土気色だ。呼吸は不規則で、顎で息をしている。
(毒だ)
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