3-3 ロベルトの卒業

 ケインとロベルト、そしてソシギは、5年生の秋に卒業試験に合格した。

 ケインはその時点で学校での実践授業は辞退し、王宮魔術師の師匠の元での修業に入った。ロベルトは、合格後も学校での同級生との試合に参加し、卒業直前で決まる学年での優勝を狙うと聞いていた。



 担当教官との学外活動報告の面談以外では、久しぶりに足を踏み入れた魔術師学校。運動場の端で、ケインはロベルトと合流する。ちょくちょく一緒に飲みに行くため、頻繁に顔を合わせている親友だが、今日のロベルトの顔つきはいつもと違う。今日の模擬戦の相手は、三羽烏さんばがらすの一角、『鉄壁の防御』を誇るソシギなのだ。


 ロベルトの属性は水。相手の意表を突く戦術でこれまで無敗を誇っている。

 対するソシギは、属性は土。鉄壁の防御を誇るが、時折見せる一撃必殺の特殊攻撃は苛烈を極め、これまで敗れたのは1試合のみである。この1年で彼の魔術はさらに洗練され、今戦って勝てるかは分からないというのがケインの正直な感想だった。


 ソシギの周りにはいつものように黒い風を含んだ防御壁がある。どんな攻撃も中和し相手を消耗させる、鉄壁の防御壁だ。

 向かい合うロベルトの周りには、まだ何も展開されていない。手元も空のようだった。彼は属性にとらわれない多彩な防御攻撃が持ち味だ。見守る見学者たちの視線が、彼の手元に集中する。


 その時突然、ソシギの背後に火の壁が現れた。それはソシギの防御壁ぎりぎりに展開し、恐ろしいスピードでそのまま防御壁を侵食する。ソシギの風と土の防御壁がすかさず炎を中和するが、そこへ折り重なるように巨大な水球が現れ壁を削るように蠢き出す。見えてはいないが、ソシギの足元の地面からも、土の防御壁が波状にソシギに迫っているようだ。その後も四方八方から、4つの元素の壁が次々とソシギに迫っていく。


(攻撃ではなく、防御壁の中和を広範囲で繰り返してソシギの魔力を削る。与えるダメージとしては相当有効だが、諸刃の剣だな)


 ケインは目を眇める。広範囲に術を展開する防御壁は、相当な魔力を消費する。攻め手のロベルトにとっても消耗は大きい。もともと彼は、それほど持久力のあるタイプではない。

 身をかがめていたソシギの瞳が動く。

 ロベルトの左肩を、黒い刃がかすめる。ソシギの放った刃だ。肩から血が飛びロベルトの身体が傾く。


(勝負あったか)


 瞬間、片膝をついた姿勢のロベルトから無数の光るつぶてがソシギに向かった。

 ロベルトが、地面に指を叩きつけている。そのたびに、光るつぶてが無数に飛び散る。


(音の刃)


 ロベルトが音の攻撃を持っていることは、彼とメイの会話からケインは知っていた。ただ、実際に目にするのは初めてだ。

 どういう構造なのかは分からないが、そのつぶてはソシギの防御壁にぶつかると、消滅前に振動を発する。徐々にその振動が一つの波となり、防御壁は大きくうねり始める。

 ソシギの右手が握られる。防御壁の張力をあげてうねりを鎮めようととっさにとられた行動のようだった。

 その一瞬の隙を突いて、水球から発した水の刃が、ソシギの右手を貫通し、地面へと縫いとめた。ソシギの防御壁が消滅する。


「そこまで」


 教官の声。

 ロベルトは膝をついたまま荒い息を続け、そのままゆっくりとくずおれる。慌てて駆け付けたケインは、彼の指があらぬ方向に曲がり血に染まっているのを目にして、息をのんだ。


 ロベルトとソシギの模擬戦は、死闘の末、ロベルト・スワニカの勝利で幕を閉じた。



「いくら魔術で治せるからって、こんな無茶するとはな」

「いや、本当は弦を張ってはじいて攻撃するつもりだったんだが、肩のケガのせいで糸の張力が出せなくなって」


 ロベルトはぼそぼそと言い訳をする。彼の左右の手指10本はことごとく骨折しており、魔術での治療は数日がかりとのことだった。

 いつも飄飄とした友人があんな捨て身の戦いをするとは、ケインには予想外だった。これでは、お祝いの飲み会はしばらくお預けだ。

 次々に現れるガールフレンドたちに、着替えから食事まで世話を焼かれ、ロベルトは不自由ながらもまんざらでもない様子だ。本当にこの男は。ケインはそのタフさにあきれる。

 卒業式までは、あと1年あまりだ。



 ポーン。右人差し指で鍵盤を押さえる。違和感はない。一つ深呼吸をし、そのまま猛然とエチュードを弾き始める。一節を弾き終わり、ロベルトはほっと息を吐いた。

 指は正常に動いている。手首、肩にも違和感はなかった。

 ソシギとの模擬戦で骨折した指は、予想よりも治療に時間がかかり、完全に回復するまでひと月を要していた。


「治って、良かったわ」


 突然後ろから声を掛けられ、ピクリと背を伸ばしてから振り返る。

 はちみつ色の髪。


「……来てたのか」


 二人がここ、音楽室で顔を合わせるのは初めての邂逅以来のことだった。

 メイは、相変わらず夜に時々チェロを弾いているようだったが、防音結界のほかにご丁寧に不可侵結界が張られ、中の様子をうかがうこともできなかった。ロベルトは、これまでほとんど寄り付かなかった音楽室で時々ピアノを弾くようになったが、彼女が現れることはなかった。


「ピアノ弾きが、あんなことをするなんて」


 思わず目を伏せる。返す言葉もない。彼女の声に怒りがあるのを、なぜかロベルトはうれしく聞いていた。


「……結局俺は、ピアノ弾きじゃない。魔術師なんだよ」


 自分でも思いもしなかった言葉が漏れる。それは意外にすとんと自分の胸に落ち、ロベルトは苦笑いする。


「……魔術師でも、自分を大事にしなくては駄目」


 彼女の声音に思わず視線を上げる。


「……あなたが、倒れるのを見た時、……怖かった……」


 彼女の瞳に涙が溜まっていく。ロベルトは驚きで声もなくそれを眺める。

 胸が疼く。覚えのない感覚に、彼は思わず息をつく。立ち上がり、そっと彼女の頬に触れ涙をぬぐうと、優しく抱き寄せた。


「ごめんな。……ありがとう」


 細い肩が震えるのを、胸元で感じながら、ロベルトは目を閉じる。

 博愛主義は、卒業だ。

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