2-5 最高位魔術師の治療

 医務所の治療室には、ただならぬ緊張感が漂っている。

 施術者である、王宮最高位魔術師のナギ、助手を務めるエリザベス以外に、めったに見られないナギの治療魔術を見学しようと、魔術医療専門の魔術師たち、学生の姿も見える。医師であるアンナは、同じく医療の発展を志す者として、これらの見学者の治療室入室に同意した。


 それにしても、大変なことになった。ただ街角のお菓子屋さんに行っただけのはずだったのに。壁を埋め尽くす人の群れを眺めながら、アンナはため息をつく。



「君の傷の責任の一端は、私にもある」


 あの日、あれよあれよという間にアンナの火傷の傷痕きずあとの治療が決まった後、ナギは沈痛な面持ちで切り出した。


 14年前、王宮魔術師達は混乱の只中にあった。強大な敵の策にはまり、王宮の奥深くまで敵の手下の侵入を許し、さらには当時の王宮最高位魔術師であったナギの父と、次期最高位魔術師候補の2人の内1人は殺され、もう1人は戦闘不能となった。戦闘不能となった魔術師こそ、ナギだった。

 敵に再度攻撃を受ければ、王宮魔術師は全滅、王国自体が滅亡の危機にあった。ナギは、王宮の奥に、敵の入り込めない不可侵結界を恒久的に張ることを決断した。その作業のため、高位の王宮魔術師は全員が王宮に緊急招集され、2か月間その他のすべての魔術は中断した。


 当時9歳であったルーカスは、屋敷に一人残された。通常、魔術を行い始めたが学校に通う年齢に達していない子供たちは、魔術のコントロールが不十分であるため、修行時以外は魔力を抑制される。ルーカスの魔力の抑制は両親が担っていたが、不可侵結界の作業で招集され不在となり、彼の魔力は野放し状態になった。そして、あの事故は起こった。


 当時の王宮の医務所は、初期治療を修めた程度の低位魔術師しか残されていない、完全に人手不足の状態だった。通常であればアンナの火傷の傷は、痕にならない程度までの治療が可能であるはずであったが、当時の魔術師の技量では、生命維持が手一杯だった。そして、一度生命の危機を脱し家に戻されてから、再度王宮で治療を受けることは、アンナには許されなかった。


「……恒久不可侵結界の設置は、致し方ない決断ではあったが、市井の方たちの生活、そして人生も、狂わせる結果になってしまった。心苦しい」


 王宮最高位魔術師は苦くつぶやく。


「罪滅ぼしというわけではないが、君の傷は、私が責任を持って整復する。安心して、任せてほしい」


 彼の瑠璃色の瞳には決然とした光があった。





(なんか、むちゃくちゃ気合が入ってるな)


 施術台にうつ伏せになろうとしているアンナの傍らで、椅子に座ったナギの姿を眺めてケインは思う。彼は、半眼になった瑠璃色の瞳をきらめかせ、右手には軽く魔石を握り息を整えている。普段、どんな高等魔術を行うにも準備動作がほとんどないナギにしては、珍しい姿だった。


(あの人の、本格的な治療魔術を見るの、初めてだ)


 自分が10歳の時からかれこれ20年以上、弟子としてナギの魔術を見てきたが、目の前で治療魔術を行うところを見たことはない。


(それにしても、瘢痕はんこんの治療か。厄介だな。あの人、凝り性だから、今日は何時間かけるのか、これから1年くらいは継続治療が続くのか……)


 固まってしまった火傷の瘢痕はんこんを、きれいに治すのは至難の業だ。少しずつ、がちがちに固まった組織を緩め、除去しながら再生させていく。多忙なナギがどこまで関わる気なのか、ケインははじめから疑問だった。



 静かにナギが立ち上がる。

 握っていた魔石をベスに手渡すと、軽く息を吸い右手をアンナの背中にかざす。彼の瞳が妖しく燃え上がり、手のひらからは瑠璃色の魔力の波動がほとばしる。白銀の髪が風に吹かれたかのように巻き上がった。

 3秒ほどそうした後、静かに横に移動したナギの手元を見て、室内の一同は仰天した。


(秒殺かよ)


 ナギの手が外された背中には、完全に滑らかで、自然な色の皮膚があった。


『どうして、何をどうやって』


 施術者が治療継続中であるにもかかわらず、思わずというようにあちこちから魔術師たちのささやきが漏れる。


(やっぱり、この人、化け物だ)


 次々と右手を移動させていくナギの真剣な横顔を眺めながら、ケインは目を眇める。

 ナギの右手がアンナの背中から左肩、左腕と移動し、左手にかかったところで、ふと瑠璃色の目が上がった。

 壁際に居並ぶ人の群れをぐるりと見まわすと、ケインに目を止め、次にゆっくりと隣のルーカスに目を向ける。ルーカスは、ナギから治療を見学させるようにと指示を出され、ケインが付き添って連れてきていた。



 つかつかと歩み寄って来る銀髪碧眼の最高位魔術師に、ルーカスはぎょっとして後ずさる。


「ルーカス・イワニカ。君に、最後の指の部分の治療は任せよう」


 ナギの言葉に、治療室にはざわめきが広がる。


「指関節部分は繊細な治療魔法が必要だ。弱い魔力で、1年程度かけて、ゆっくり行う必要がある」


 瑠璃色の瞳が、ルーカスの灰色の瞳をじっとのぞき込む。


「今の君になら、できるだろう」


 ルーカスの右手を開かせ、ナギは自分の右手をかざす。ルーカスの右掌の奥に、暖かみが生まれる。それは急激に熱を上げ、やがて灼熱に近くなる。ルーカスが顔をゆがめると、ふいに熱は消えていた。


「頼んだよ」


 ルーカスの手を離し、そのまま、ナギはざわめく治療室を後にした。

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