2-3 自由について
「先生、お客様です」
受付の声に、
待合室には、見覚えのない赤毛の男が立っていた。男は、魔術師学校の教員と名乗った。教え子のことで確認したいことがある、との用件に、思い当たる患者のいないアンナは首をかしげる。
「生徒の名は、ルーカス・イワニカ」
1年ぶりに聞く名前に、アンナは目を見開いてケイン教官を眺める。その名はもちろん知っているが、今いる場所は魔術師学校などではないはずだ。
「教員として放置はできない状況なんで、申し訳ないけど、直接話を聞きに来た」
ただならない言葉に、アンナの胸がざわつく。
*
シーツを消毒液に浸け、ルーカスは息をついた。これまであまり身の回りのことをしてこなかったせいで、作業ひとつひとつの手際が悪い。床を掃こうと立ち上がった時、部屋の扉が開いた。
滑り込んできた人影を見て、驚きで目を見張る。
「……消毒なんかは、普通の病院とかわりないのね」
ルーカスの後ろの桶を見てつぶやいたのは、アンナだった。
「どうしてここに」
「ケイン先生に、居場所を聞いたの」
あの人は。ルーカスは唇をかむ。一番知られたくなかった相手に。
「ルーカス。博物館の仕事を断って、魔術師学校に入ったって、本当なの」
彼女の美しい切れ長の目が、まっすぐに彼を見る。
ルーカスは覚悟を決めて、その目を見返した。
「そう、そして今は、ここ――王宮の医務所で見習いとして働いている」
「博物館の研究員は、あなたの天職だったのに、どうして」
彼女の悲しげな瞳は、今でも簡単に自分を傷つける。ルーカスはもう一度唇をかむ。
「……自由に、なるためだよ」
彼女の目が見開いた。
病院の狭い用具室は、自分の職場のようでなぜか落ち着く。
ルーカスに薬草茶のカップを手渡され、一口飲みながらアンナは微笑む。ルーカスは苦しげな表情で彼女を見ている。
「どうして、ここに来たんだ」
彼の荒れた指先を眺め、アンナは小さく息をつく。
「心配だからよ」
「自分で決めた道だ。心配はいらない」
聞いたこともない硬い声だった。アンナはじっと彼の目を見る。先に目をそらしたのは、ルーカスだった。
「このままでは、あなたの才が無駄になる。ケイン先生は、そうおっしゃっていたわ」
ルーカスは黙っている。
「あなたは、それは魔術の才もあるかもしれないけれど、それより何倍も学問が好きで向いている。自分から、脇道にそれるようなことを選ぶ人ではないのに」
「……帰ってくれ」
アンナはため息をつく。
「私の
ルーカスは目を閉じる。あの人は。苦々しいつぶやき。
「私の言葉があなたを傷つけたのなら、謝るわ。私はただ、過去の負い目は忘れてほしかっただけなの。あなたがこんな、
「
ルーカスは小さくつぶやく。
「……分からない」
呻くような声だった。
「貴方は、自由になってほしいと俺に言った。どうすれば自由になれるのか……考え抜いて、俺は、魔術の道に戻ることを決めた」
彼の灰色の目が、激情をたたえてアンナを見つめる。
「自分の心を差し出しても、何もかも過去の負い目のせいにされるなら、俺は一体どうすればいいんだ。貴方の
かすれた、ささやくような叫び声。
「俺は貴方を、愛している。どうして分かってくれないんだ」
アンナは、かすかに口を開いてルーカスの顔をただ見つめていた。
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