第2話 埋火

2-1 ルーカス・イワニカの傷

 「退学勧奨。……穏やかじゃないな」


 ケイン教官は顔をしかめた。


「君がそんなこと言いだすの、初めてだよね」


 彼の前には、硬い表情をした、1・2年生の実技指導担当のメイ教官がいる。

 はちみつ色の髪、温厚な性格のこの教官は、毎年、レベルの揃わない新入生たちに、辛抱強く基礎実技を教えている。丁寧で的確な指導には定評があり、3・4年生の実技指導担当のケイン教官としては、頼もしい相棒だ。

 彼女が生徒の指導を投げ出すところを、これまでケイン教官は見たことがなかった。


「……これ以上は危険ではないかと判断しました。最終判断は、ケイン様と校長にお任せします」


 問題の生徒の入学前の身上書、これまでの指導記録を手渡され、簡単に経緯を説明される。ケイン教官の眉間のしわが深くなる。




 問題の生徒、ルーカスの名はケイン教官にも聞き覚えがあった。

 入学可能年齢は12歳以上、という比較的年齢規制の緩い魔術師学校であるが、基本的に入学できるのは生来魔力の備わった者のみで、学生の年齢は低い傾向にある。その中で、ルーカスの入学年齢は23歳と、かなり高齢の部類だった。一度一般の高等学府で学位を修めており、博物館の研究員としての仕事も決まっていた。それを蹴って、魔術師学校に入学したという、異例な経歴の持ち主だった。

 ケイン教官が休憩時間などで見たところでは、彼の振る舞いは非常に穏やかで、かなり年下の同級生たちにも、慕われているように見える。素行の問題の報告もなかった。



 「ルーカス・イワニカ君だね」


 問題の生徒を実習室に呼び出し、ケイン教官は口を開いた。目の前には、理知的な灰色の瞳が穏やかに輝く、整った容貌の青年がいる。バランスの取れた彫像のような体つきは、何かしらの鍛錬を行ってきたことをうかがわせた。

 彼の瞳には、覚悟を決めた色がある。


「君の、属性は」

「私の属性は、『火』です」

「基本実技を見せてもらおう」


 ルーカスが右手を開く。その掌の上に浮かんだのは、水球だった。


「……ルーカス。火球を見せてもらおうか」


 ケイン教官の言葉に、一度右手を握って水球を潰し、ルーカスは深く息を吸った。

 もう一度右手を開くと、その上にはこぶし大の火球が浮かぶ。

 ケイン教官はルーカスの顔をじっと見る。その額に、じんわりと汗が浮かんでくるのが見て取れた。呼吸が浅く速くなる。


(まずい)


「ルーカス、中止だ」


 声をかけたが一瞬遅かった。

 ルーカスは片膝をつき、胸に手を当てひゅうひゅうと呼吸を繰り返す。その顔色は蒼白だ。ケイン教官は急いで駆け寄り、術で出した膜の袋の中で呼吸をさせる。

 しばらくして呼吸が落ち着くと、ルーカスはがくりと肩を落とした。

 ケイン教官も事実を告げざるを得ない。


「ルーカス・イワニカ。君は、属性が火であるにもかかわらず、火の魔術を扱うことができない。……間違いないね」

 

ルーカスは黙ってうなずいた。





 ルーカスの生家、イワニカ家は、魔術の名家の一つである。魔術師筆頭2家には及ばないものの、これまで幾多の王宮魔術師を輩出してきた。

 ルーカス自身も、ふんだんに魔術の才を持って生を受けた。イワニカ家を継ぐはずであった彼の人生が変わったのは、9歳の時のことだった。

 その日、両親は留守だった。ルーカスは、一人で庭で遊んでいた。秋の終わり、庭にはうずたかく枯葉が積まれていた。出来心で、彼はその枯葉の山へ、自分の掌で作った火球を投げた。自分の魔法の火が、どのくらいの物を燃やせるのか試してみたかったのだ。枯葉の山は爆発するように燃え上がり、瞬時に竜巻のように炎が巻き上がった。ルーカスは、呆然と火柱を見上げていた。

 突然、塀を隔てた通りから悲鳴が上がった。


「アンナ!!」


 女性の叫び声。

 屋敷から使用人が駆け付け、枯葉の炎が消し止められるまで、ルーカスは一歩も動くことができなかった。

 ルーカスに怪我はなかったが、塀の向こうの通りを歩いていた少女が、軽い火傷を負ったと聞いた。ルーカスは、それ以来火の魔術を行うことはできなくなった。イワニカ家の後継者は弟となり、ルーカスは学業の道を選んだ。


 



「もちろん、自分の属性とは違う魔術も、行うことはできる」


 ケイン教官の掌の上に、水球が浮かぶ。


「術の威力、正確性、多様性。簡単に言えば、魔術としての質が落ちるだけで、できなくはない」


 教官の掌から放たれた水球がわずかも進まないうちに、かまいたちがその水球をすっぱりと切断する。


「僕の属性は、風だ。僕がどれほどの力を込めて水球を放っても、指先ひとつで放った風の刃には及びもしない。君がやろうとしていることは、どれほどの困難な道か、分かるかい」


 ルーカスは黙ってうなずく。


「メイ教官の報告書を読ませてもらった。君は、火の魔術の実技授業中に、これまで3度倒れている。自分の手技だけでなく、同級生の展開した炎の防御壁を見ただけで、さっきのようにパニックになった。……間違いないかな」


 ルーカスの顔が歪む。


「少しでも魔術を学んだ者として、君が進むべき道は何か、自分でわかるだろう」

 ケイン教官の胸は痛む。詳しい事情は分からないが、彼がどれほどの覚悟をして、一度離れた魔術を修めるためにこの学校へやって来たかは想像できる。しかし、魔術師学校の教官としては、非情な決断を下さざるを得ない。


「3日後までに、結論を出してほしい」


 背を向けて立ち去ろうとする教官の背中に、決然とした声がかかった。


「それでも、私は辞めません。この不甲斐なさを、……克服して見せます」


 ケイン教官の足が止まる。


「根性あるな。だが、多分このまま続けると、事態はもっと悪くなる」


 振り向いて告げるが、ルーカスの表情は変わらない。彼の引き結んだ唇が微かに震えているのを、ケイン教官はじっと見やる。


(これだけ怜悧そうな青年だ。このまま続ければ自分が壊れることを、分かっていて続けようとしている)


 ケイン教官はため息をつく。


「そこまで言うのは、事情があるんだろ。話せるかい」


 ルーカスはかすかに頷く。ケイン教官は、防音結界のある個室へルーカスをいざなった。

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