1-6 懺悔

 内から切り裂かれた傷は、思ったよりも治りが遅い。怪我から1か月、見た目にはほぼ傷跡は無くなったが、身の内の重怠さは呪いのように残っている。

 医務所の病室のベッドの上で、テオは薬湯を飲み干し息をついた。

 病室の扉が開く。

 目を向けると、そこにはニーナが立っていた。驚きでテオの顔はこわばる。


「テオ。傷は、もういいの」


 心なしか硬い表情で、ニーナはテオのベッドの傍らの椅子に腰かける。顔を合わせるのは、ひと月前、自分が戦いの後ここで初めに目を覚ました時以来だ。あの時、彼女は泣いていた。


「……ほとんど治ったよ。もう何ともない」


 掛け布団に目を落とし、ぼそぼそとテオはつぶやいた。ニーナの膝の上の、かわいらしい手が握りしめられるのが見える。


「テオ、ごめんね。ひどいことを言って」


 涙交じりの声に、驚いてニーナの顔を見る。


「私のこと、助けに来てくれて、ありがとう」


 テオは目を閉じる。


「……ニーナ。もうここには来なくていいよ」


 テオの言葉に、ニーナの動きが止まる。


「俺たちは、もう会う必要はない」


 テオが目を開くと、凍り付いていたニーナの顔に、苦しそうな笑顔が浮かんだ。


「……分かった。押しかけて、ごめんね」


 ニーナが立ち上がろうとしたとき、呆れた声がかかった。




「いやちょっと待て、青少年。コミュニケーション不足が極まってるぞ」


 赤毛のケイン教官が、開いた扉にもたれて佇んでいる。


「立ち聞きなんて趣味が悪いが、たまたまだから許してくれ。テオ、さすがに言葉が足りないぞ」


 その言葉に、テオはこっそりと唇をかむ。


「ニーナさんに、後ろめたいことがあるんだろ」


 教官の言葉に、テオはしばらく逡巡してから顔を上げ、意を決して話し出す。


「俺は、ニーナが白煉瓦亭に勤め出してから、ずっと近くで、様子をうかがっていた。俺の魔術の能力は、地面を通してどんな物音も聞き分けられるものだ。君の知らないところで、俺は君の生活を、覗いていた」


 予想もしない告白に、ニーナの表情が固まる。


「どうしてそんなことしたか、説明しないとただの変態だろ」


 再び、ケイン教官の呆れた声。


「……あいつ、地の精霊から、君を守るためだった」


 ニーナの目がもっと大きく見開かれる。



 テオが初めて地の精霊と接触したのは、幼いニーナがあの歌を歌った、7つの時だった。その時、と戦い退けて、テオは自分には特別な力があると分かった。それから、自分なりにその力を研究した。生来のものと言われていた耳の良さも、特別な力と関係があるらしかった。右手で地に触れると、どこまでも遠くの声や音、物の振動が聞き取れた。

 自分の中の特別な力が、魔力と言われるものであると知ったのは11の時だ。異様に耳がいい子供の話に興味を持った占い婆が、魔術師とのつなぎを取ってくれた。テオにとって、力をつけられるならばこれほどありがたい話はなかった。魔術師に弟子入りし、半年の勉強で入学試験を突破して、テオは魔術師学校の生徒になった。

 7歳の出来事以降、ニーナの周りにの気配を感じることはなかったが、テオには、いつか現れると分かっていた。


 ニーナが踊り子を目指している。その話を母から聞いて、テオの胸はざわついた。が、ニーナの声に引き付けられているのは分かっていた。彼女の声には、特別な力がある。もしも、歌い手として、彼女が歌い始めてしまったら。 

 ニーナが白煉瓦亭に入ってから、テオは東の通りに通い詰めた。通りの端の、立ち飲みの安い店で軽く壁に触れながら、彼女が白煉瓦亭で働いている時間を過ごす。

 彼女に知られたら、疎まれるであろうことは明白だった。自分でも、自分の行動は気味が悪いと思う。でも、は必ず現れる。音楽と近い場所にニーナがいる今、できるだけ近くで見守るしかなかった。

 その頃から、ニーナの周りにたちの良くない精霊が時々現れるようになった。の手下なのは明らかだった。

 テオは、精霊を目で見ることができない。新入生のころから、散々修業したが、無理だった。精霊や悪霊の姿を捉えるには、地に手を付けて、耳を澄ませる。常に魔力を必要とし、彼女の周りを見守るだけで、彼の魔力はすり減った。学校の成績は落ちて行った。魔力が足りなくて練習不足。当然だった。



「それで、あの時、私を西の森に助けにきてくれたのね」


 ニーナがつぶやく。


「……間に合わなかった。一番大事な時に」


 3か月前、とうとうニーナを歌い手にしようという人間が現れた。何とかして邪魔をしなければならなかったが、ニーナのあまりに幸せそうな様子に、テオは二の足を踏んだ。自分が全力で守ってやれば、彼女は歌い続けられるかもしれない。テオは、学校を落第したら魔術師になるのはあきらめて、見えないように彼女の近くに居続けようと決心した。

 だがその人間はの手先だった。テオの限られた魔術では、それを読み取ることはできなかった。あの日、西の森の手前でテオはニーナの音を見失った。必死に痕跡を追い、たどり着いたときには、彼女は地底に取り込まれる寸前だった。


「……助けきれなかった。怖い思いも、痛い思いも、たくさんしたろう。結局、君を助けたのは、リアさんだ」


 あの日、追跡に長けた黒犬の姿の雷獣と、浄化の炎を操る火トカゲの姿の炎獣を従えて、ニーナを救ってくれたのは、リア・ユシュツカという王宮の高位魔術師だった。魔術師学校でも伝説と化している、王国でも五指に入る凄腕の魔術師だ。


「俺は結局、役立たずのモグラのままなんだ。君に付きまとって嫌な思いをさせて、肝心なところでは守り切ることもできない。君のそばにいる、資格はないんだ」


 テオの告白は、血を吐くような声で彼の胸から吐き出された。

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