1-5 炎の助け手
目覚めると、ニーナは白煉瓦亭の稽古場にいた。どこを拘束されているわけでもないが、手足は全く動かない。椅子に腰かけた姿勢のまま、目だけで部屋を見回すと、長身の影が目に入る。
「目が覚めたかい。声を出してごらん」
アスカのはしばみ色の瞳は、物を検分するようにニーナを見ている。その手が彼の楽器の弦をかき鳴らすと、ニーナの喉が勝手に音を紡ぎ出す。
必死に抵抗しようとするが、頭を振ることさえできない。
「力を入れては声帯を傷める。馬鹿な子だ」
ふいに興味を失ったように楽器から手を放し、アスカはつぶやく。
「もう一度慣らすのも面倒だ。喉をつぶしても良いから、今晩中に片をつけよう」
アスカのぎらぎらした瞳がニーナに向けられる。
「今晩もう一度、西の森に行く。お前は、地の精霊の
その時ふいに、稽古場の扉が開いた。
アスカが驚いたように振り向く。そこには、動物と小柄な人影があった。
「なん、だ。どうして。結界はどうなった」
黒い犬と一緒に立っている小柄な人影は、年若い女性だった。彼女の背後には、ごうごうと炎を燃やす、トカゲのような生き物が浮いている。
「女の子になんてことを」
とび色の瞳に茶色の髪、小柄な女性が厳しい声で叫んだ。
瞬間、アスカの身体を灼熱の炎が襲う。あまりの熱量にニーナは思わず目を閉じる。ほんの一刻で熱は完全に消え去り、目を開けるとそこには、横たわるアスカの姿がある。
ばらばらと足音がし、数人の黒ずくめの男たちが姿を現した。アスカを拘束し、素早く運び去っていく。
小柄な女性が、ニーナの顔を覗き込んだ。
「少しじっとしていて。痛くはないから」
優しく手が添えられると、まず喉、そして四肢のこわばりが溶けるように消えていく。
「怖かったでしょう。もう大丈夫よ」
その言葉に、ニーナはもう一度目を閉じる。
*
誰かが左手を握った。
目を開けると、見慣れない景色にテオは目を瞬く。ゆっくりと左を見ると、そこに予想外の顔を発見し、ぎょっとして飛びのこうとする。瞬間、全身を貫く激痛に呻いた。
「動いちゃだめだよ」
ベッドの隣に座りテオの手を握るニーナの背中越しに、ケイン教官の声がする。
「やっとヤマを越えたところだ。傷はこれから、数日がかりで治す。君の中和の力が強すぎるんだよ、すまないね」
「……ここは」
「王宮の医務所さ。無意識だったろうが、学校に帰ってきたのは本当にいい判断だったね。あと数刻遅れていたら、助からなかった」
ケイン教官の言葉をぼんやりと聞きながら、テオはニーナの顔を眺める。これは、夢だろうか。
「……ニーナ」
つぶやくと、彼女の薄紫の双眸から、大粒の涙があふれた。
「テオ」
拭ってやりたいのに、手を動かすこともできない。
「無事で、良かった」
彼女の顔を眺め続けていたいのに、抗いがたい眠気にテオの瞼が下がる。そのまま、テオは再び深い眠りについた。
*
まどろみの中、いつもの夢を見ていた。
彼女があの歌を歌った日の夢だ。ぞわぞわと、足元に何かがうごめく感触がする。彼女に歌い続けさせてはいけない。テオは必死に手を伸ばす。彼女の、傷ついた顔。
何かが二人の周りを這いまわっている。でも、自分には見ることができない。彼女が走り去った後、歯を食いしばりテオは地面に手を付ける。何かが、彼の腕にかみついた。その傷から入り込んでくる冷たい気配を、テオは力を込めてひねりつける。バタバタと、這いまわっていたそれが暴れている。そのまま、力いっぱいにそれを地面に縫い留めた。
そこで、目が覚めた。
「気が付いたかい。傷は、ほぼ治したよ」
ケイン教官の穏やかな声。600人からの生徒が在籍する魔術師学校で、教師たちの実務を束ねる役職のこの人は、毎日自分の病室に通ってきてくれているらしい。
「……先生。ご迷惑を、すいません」
「そんなことはいいんだ。あの時、君の話、もう少しきちんと聞くべきだった。……俺は失敗ばかりだよ」
ケイン教官の声は苦い。
「西の森の地の精霊は、地底深く潜って俺達でも討伐は難しい。とりあえず、ヤツの巣の出口に恒久結界を張って封じる方針になった。王宮魔術師全員の名に誓って、今後ニーナさんには近寄らせないから、安心していい」
きっぱりとした教官の声に、テオの胸に安堵が広がる。
「それにしても、無茶したな。何年、あいつと一人で戦ってきたんだ」
低い声でケイン教官は言う。俺でも怖いぞ、あんなやつ。つぶやきにテオは複雑な顔をする。
*
「テオに会ってやってくれるかな」
ニーナが地の精霊に襲われてから1か月。かき入れ時に白煉瓦亭に現れた、赤毛のケイン教官は真剣な目でニーナを見つめた。
ニーナはどきりとする。テオをひどい言葉でなじって店を追い出したのは、半年ほど前のことだ。ひと月前も、彼は自分をかばって命に関わる傷を負った。どんな顔をして彼と会えばよいのだろう。
「あいつは、なにやら君のことで気に病んでいるみたいなんだよ。傷の治りも遅い。余計なお世話かもしれないけど、君が嫌じゃなかったら、直接話をしてくれないか」
俺たちじゃ、あいつの気持ちは楽にできなくてさ。ケイン教官の苦いつぶやき。
ニーナは決心して頷いた。
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