第1章 蒸気機関技師編
01「地下都市の便利屋」
この街は、死にかけた機械の墓場だ。
崩れた鉄の骸が無造作に散らばり、風が吹くたびに錆びた悲鳴を上げる。空を覆う黒煙の隙間から、ガス灯の淡い光が五番街を金色に染めていた。それはまるで、この荒れ果てた街を優しく包み込む最後の灯火のようにも見える。
舗装されていない道には、工場地帯から流れ込む蒸気が混じり、泥と油の臭いが立ち込めていた。そこに住む人々は、日々を生き抜くために廃材とスクラップを巧みに使い、バラック小屋を築き上げている。錆びついた壁には、色褪せた布切れやガラクタの装飾がかろうじて生活の温もりを残していた。
その中を、僕──アクセル・ダルク・ハンドマンは、便利屋として今日も荷物を運び続ける。
「はい、レーションと浄化石だ」
蒸気自動車の荷台から、一斗缶を持ち上げる。手に伝わる金属の冷たさと、擦れる音が耳に重く響く。目の前の青年が、空腹に焦がれた目でこちらを見つめながら、疲れ切った声で礼を口にした。その背後、バラックの隙間から小柄な影が覗く。
「アクセルくん、ご飯と石、ありがとう!」
煤煙で汚れた頬に、澄んだ瞳だけが不釣り合いに輝いている。彼女の名は──リベット。
この五番街で、同年代の子どもたちと寄り添いながら生きる獣人族の少女だ。
僕はしゃがみ込み、リベットの髪についた泥を指で払った。
「少し背が伸びたんじゃないか?」
「うん、一ヶ月ぶりだもんね! 獣人族だから大きくなるの早いんだよ!」
胸を張る彼女に、僕は苦笑した。
リベットが一斗缶から固形食料を取り出し、包装を歯で噛み破る。その姿に、獣としての本能と、幼さの残る仕草が入り交じっていた。
僕は微笑みながら、蒸気自動車の荷台へ戻る。
「さてと、仕事の続きだな……」
だが、その言葉とは裏腹に、胸の奥に重苦しいものが沈んでいた。この街の空気は、どこまでも貧しく、どこまでも苦しい。
青年団の一人が駆け寄ってきた。
「なあアクセル、今回の浄化石……小さくないか ?こんなので本当に汚水を浄化できるのか?」
彼が手に取ったのは、白く小さな石。訝しげな顔が、疑念に染まる。
「それは上層の人間が使ってたやつだ。サイズは小さくても、ここで売られてるのよりずっと性能がいい」
青年は驚いたように石を見つめ、そして静かに頷いた。
仕事を終え、自動車に戻ると、リベットが窓に頬を預けていた。
「もう帰っちゃうの?」
「まあな。でも、そんなに落ち込むなよ」
彼女の細い肩が僅かに震える。小さな声が、宙に漂う煤けた空気に溶け込むように囁かれた。
「次に来るのも……一ヶ月後?」
僕は視線をそらし、言葉を選ぶ。
「仕事としてはな。でも……休みの日なら遊びに来るかもしれない」
リベットの瞳が輝き、手にした造花を差し出す。
錆びた歯車や鉄くずで作られた、不格好な花だ。
「これ、廃材で作ったの! 売れるかな?」
僕は小さな微笑を浮かべ、胸ポケットから小銅貨を取り出した。
「一本なら、小銅貨一枚くらいにはなるんじゃないか?」
「やったー!」
煤けた街で、彼女の笑顔だけが唯一の光のように輝いて見えた。
エンジンをかけると、浮遊型蒸気自動車――イエローキャブが重々しく震える。ゆっくりと廃材の街を離れる中、バックミラー越しに見えるリベットは、小さく手を振っていた。
ふと、僕は空を見上げる。煤煙に覆われ、星一つ見えない黒鉄の空。
だが、この街にはまだ終わりを告げるには早すぎる命がある。
「リベットたちがいる限り、僕はまた戻ってくるさ」
自分にそう言い聞かせながら、ハンドルを強く握った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます