第135話 ナパームの劫火

 シベリア鉄道のイマン川鉄橋崩落は虎頭要塞に張り付くソ連軍に激震を与えた。大攻勢を支える、潤沢な武器弾薬と食糧の輸送は鉄道頼りである。輸送車両を用いた陸送は必要数が膨れ上がって多方面に支障をきたした。戦車と自走砲はトレーラーを用いるか自走するしかない。工場から直接移動するには極東があまりにも遠すぎた。また、島嶼部への侵攻もシベリア鉄道から船に移乗する。よって、ソ連軍は全方面で構成が鈍化した。


 渦中の虎頭要塞においては背水の陣となり、難攻不落の要塞を落とすしか手段が無い。攻城戦に必須の制空権は日中軍基地航空隊と日米軍空母機動部隊の挟撃を受け、未だに奪取できていなかった。戦闘機もパイロットも消耗して貴重なベテランを欠き、逆に敵の爆撃機や襲撃機の侵入を許している。


 自慢の砲兵師団と機甲師団は空の脅威に専ら弱かった。従来は陸用爆弾や成形炸薬爆弾を用いた爆撃が大半を占める。しかし、米軍の協力を得て効率的に戦車や砲兵を消し炭にできる装備を得ると直ちに投入した。


 新兵器を携えた中華民国空軍のB-17重爆撃機隊は、ソ連軍上空高高度に出現して爆撃体勢にある。そこは虎頭要塞前面より後方の拠点だが、ソ連軍に高高度を迎撃できる機体は少なかった。察知しても迎撃は間に合わない。更に、機体は元祖空の要塞ことB-17であり、簡単に撃墜できると思わない方がよかった。中華民国空軍は米軍から中古機を譲与される。米軍は重爆撃機のB-24とB-29の本格配備に伴い、中古のB-17を無償譲渡した。なお、中古のB-24も一定数が提供されたが他の任務に充当される。


「社会主義から祖国を守り抜く。毛沢東の共産党は一歩たりとも、足を踏み入れさせはしない」


「見えてきました。IS-3重戦車と思われる車両にT-34中戦車の群れです」


「何度も繰り返した絨毯爆撃の要領で投下する。ナパームはよく燃えるから、目を潰されないよう気を付けてな」


「我々の後に戦闘機隊が突入するのでm獲物は1匹でも少なく残します」


「それは良い心がけだ」


 B-17G型は普段の陸用爆弾からナパーム弾に変更した上で高高度爆撃を敢行した。精密を求める爆撃から満遍なくナパーム弾をばら撒く運用のため、爆撃手は幾らか楽を覚えるが、最大威力を発揮するには一定の密度を維持する必要があり、一切の手を抜く行為はしない。


 B-17隊の後に戦闘爆撃隊が撃ち漏らした敵を叩くらしいが、彼らの仕事を奪ってしまう勢いで臨んだ。敵影は見られないフリーな状況で爆弾倉が開かれる。ここを神の視点で下からのぞき込むと大量の小型ナパーム弾があった。最大5t強の爆弾搭載量を活用してナパーム弾が投下の時を待っている。


(赤い濁流は正義の劫火で食い止める!)


「もう間もなく…投下開始」


 横方向に広がる編隊を維持したB-17隊は一斉にナパーム弾を投下した。


「虎頭要塞の上空を通過する航路で帰投する。戦闘機隊が追加爆撃の要があると判断した場合は即座に出撃する。異論はないな」


「ありません」


 ナパーム弾の着弾を待たず、B-17の群れは基地へ帰投を開始する。二度目の爆撃に備えて戦果確認は後続の戦闘爆撃隊に任せた。敢えて確認せずともわかる。大量のナパーム弾から逃れられるのは絶対に不可能なのだ。仮に逃れられたとしたら、それは豪運の持ち主である。もっとも、意地悪く燃える炎と灼熱から身を守れるかどうかは保障されなかった。


 B-17隊が帰投した数十分後に日本軍戦闘機隊が突入する。立ち往生する車両や戦車を尻目に集積された物資へナパーム弾を撃ち込んだ。生存は絶望的だが目ぼしいものへ機銃掃射を行い芽を摘んでいく。


 低空侵入を図る戦闘爆撃機の零戦隊は絶句を余儀なくされた。


「これがナパーム弾の威力か。さっさと放り投げたい気持ちが揺らぐ」


「心を鬼にして与えられた仕事を貫徹する。この戦場でのことは一切漏らすな」


 零戦は戦闘機としては旧式に該当する。しかし、低空の安定性や操縦難易度の易さは新型機を上回り、一機でも多く数を揃えたい思惑と相まって、戦闘爆撃機に抜擢された。100kg陸用爆弾2発か81mmロケット弾4発が基本になる。ナパーム弾は4発装備できた。


 彼らは予めに「ナパーム弾は良く燃えて、消せない新型の焼夷弾である」程度の説明しか受けていない。実際にナパーム弾が大量投入された後の凄惨な光景を目の当たりにすると兵器の恐竜的な進化に閉口した。


 眼下に広がるは、焦げるか熔けるかした車両の残骸ばかり。敵兵の姿もあるが筆舌し難くて目を背けたい。焼夷弾である以上は当たり前のことでも、地獄の業火が敵兵に纏わりついた。なんなら、燃料タンクに引火して未だに燃える車両も見られる。ナパーム弾でも最初期のため、最大燃焼時間は1分にも満たなかった。燃料等に引火しない限りは収まって焦げた地面が残る。


「自爆しない程度に高度を保ち、焦げが弱い所へ捨てろよ。あと、後ろに振り替えるな」


 ナパーム弾に詰め込まれたナパーム剤は極めて高温(900度から1300度)を吐き出した。これが木材に付着すると消化は困難を極める。消火には界面活性剤や油火災専用消火器が必要だった。目標のソ連戦車は燃え辛いディーゼル用軽油で動く。軽油も燃料に変わりなく燃える。また、火から逃れても爆発的な燃焼によって周囲一帯の酸素を食い尽くした。燃焼の付近にいる生物は一瞬にして酸欠状態に陥り窒息する。他にも、不完全燃焼に伴い一酸化炭素が発生して悪名高き一酸化炭素中毒に蝕まれた。


 ソ連機甲師団の切り札と用意されたIS-3型戦車はエンジンが焼かれている。酷いと燃料タンクに引火して火災を生じた。火に対しては自慢の重装甲を以て通さないが、内部の乗員は高温によって瞬く間に蒸し上がる。鋼鉄の中で日射病・熱中症の比ではない高温に包まれて生き残る術は皆無に等しかった。


(これも祖国と家族を守るためなんだ)


 ロケット弾投射や機銃掃射は慣れている。倒れる敵兵を見ても機械的に処理した。しかし、最も苦痛に襲われる火焔を与えるのは初めてのことで、普段とかけ離れた景色の中で追加の炎を撒くのは慣れない。だが、ここで迷えば戦友を失って、祖国が侵略を受けた。


「これじゃ、靖国じゃなくて地獄行きだ」


「靖国の奴らに申し訳が立たない」


 無線で聞こえる声は諦観が大半を占め戦争を考えさせられる。もちろん、手を出してきたのはソ連だった。日中は防御を押し立て侵略を弾き返すことに集中している。敵は「共産党がうんぬんかんぬん」と掲げるが、国際社会は日中を支持しており、義勇軍の派遣と武器弾薬の供与を申し入れた。


「どうだ?漏らしはあるか?」


 爆装零戦を率いる隊長は冷静に上空から俯瞰する。眼下のソ連軍集積所は灰燼と化した。シベリア鉄道で送られた装備を下して各方面に振り分ける機能は完全に失われている。その鉄道も川に架かる鉄橋が崩落して運行不可能となった。仮設の橋を架けても運行量は大幅に制限される。


「ありませんと答えたいです。しかし、我々は中華民国を守らなければ」


「そうだ。ここで一兵でも漏らしては味方が撃たれ、中華の大地が汚される。ナチスもソビエトも変わらんのだ。我々は侵略者を討つだけで、勝手な私情は挟むなよ」


 隊長はヨーロッパ戦線からの叩き上げで戦争の不条理が身に染みた。敵を撃たねば自分から味方まで脅かされる。僅かな甘さを抱いて一兵でも漏らし敗北に繋がってもおかしくなかった。ナパーム弾の威力に対して良からぬ感情を抱いても、下らぬ私情と断じて任務の遂行を最優先にする。そして、長である自分が率先して行動することで示しをつけた。


 そんな隊長も内心では辛さを覚える。


(この兵器が総力を挙げた戦争に使われたら、世界のありとあらゆる大地が焦げる)


続く

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