ソ連南下

第118話 極東の緊張高まりし

1945年6月5日


「ベルリン宣言が発せられ、ドイツは事実上地図に存在しない国家となりました。前大戦のこともありましたから、極めて厳しい裁きが下されたそうですよ」


「至極当然と言えますが、これ以上の事は慎みます。それより樋口さんのおかげで我々は無事に日本へ来ることが出来ました。本当にありがとうございます」


 満州司令部には日本陸軍の樋口季一郎中将と面会する者がいた。それはユダヤ人のミハエル・コーガン氏である。コーガン氏は樋口中将の設けた避難民保護に関する『ヒグチルート』の開通から維持の全般を協力した。ユダヤ人としてシベリア鉄道に沿って極東を目指す同胞を救うため、貿易商で培った伝手を最大限活用して樋口中将と共に積極的に受け入れる。自分がユダヤ人であることから受け入れた避難民の雇い入れも行った。コーガン氏の尽力もあってヒグチルートを通る避難民は10万に迫る。ちなみに、彼が設立した貿易会社は後に国境を超える国際企業の『タイトー』に繋がった。


「しかし、ソ連が睨みを利かせた以上はコーガンさんを含めた、ユダヤの皆様には退避してもらわねばなりません。いくら満州が堅牢に守られていると雖もカノン砲の砲撃を受ける恐れは否めずあります」


「はい、私は彼らの命を預かる者として危険に曝すわけにはいきませから。その時には大連からの連絡船で北海道に向かいます。北海道に支部を設けているので事業を続けられる」


「是非とも、私の事を忘れても構わないので逃げ延びてください」


 ソ連の脅威は日に日に増している。連合国軍のドイツ解体を意味する『ベルリン宣言』に辛うじて食らいついたが、日本が潔く身を引いた代わりに英米仏が強硬姿勢を見せ不満足に終わった。ソ連軍統治区域を得て東欧に勢力圏を拡大させることに成功しても独ソ戦の勝利と割に合わない。


 そこで、極東に目を向けて南下政策を凍結から解き放った。日本を必要以上に刺激しないようコツコツと軍隊を派遣し積み上げている。また、今までは黙認していたユダヤ人の通過を制限し始め自国内で完結するよう強いた。一連の動きは明確な約束の反故を意味し、日本政府は対ソ国家防衛策を講じている。


「そんなこと、あってはなりませんよ。ユダヤ人と日本人は友に収まらず兄妹というのが我々の共通認識となりましたから」


「日ユ同祖保護法の基礎となる日ユ同祖論ですか…」


 ユダヤ人が多く退避した日本にユダヤ国家や地区は存在しない。もちろん、独自のネットワークでユダヤ街と言うべき区画は存在する。あくまでも日本の中でユダヤ人が多く生活する街に過ぎないため、行政権などを持っているわけではないことにご留意いただきたい。


 日本を居住の地としたユダヤ人は日ユ同祖論を根幹に抱いた。日本人はユダヤ人と同じ祖先を有するが故に日本の大地は祖国に変わりない。日ユ同祖保護法の甲斐あり保護を円滑に受けられ、日本人は哀れと思ったのか人種を超えて兄弟姉妹にまで昇華した。宗教に始まり文化など多方面で違いこそあれど究極の多神教である日本は上手く対応している。そして、ユダヤ人も「兄弟姉妹を否定してはならない」とお互いに配慮を重ねて穏やかな融合を図った。


 また、ユダヤ人に限らず世界各地から人が集結している。江戸時代の鎖国時代と打って変わり、日本は国際色豊かな多民族国家の道を歩み始めた。その道中には様々な問題が発生するだろうが、一つ一つを乗り越えて成長する。嘗ての欧米が世界を動かす時代は終焉を迎え、極東の帝国が太平洋体制を築き上げた。


「今はともかくソ連の脅威を取り除く。これに限ります」


 話を戻し、対ソを念頭に置いているのは海軍も同様である。


~フランス・ブレスト港~


 フランスの海軍拠点であるブレスト港には連合艦隊総旗艦の『皇国』が鎮座した。ドイツ海軍のUボートや空軍の爆撃機により、多くの艦が沈んでも主力級は健在である。語られることは少ないが、軽巡洋艦以下の小型艦の損害は多い。各地で輸送船団護衛や水雷戦、敵艦捜索などに従事した。よって、必然的に捕捉され易い。主力級に比べて失っても痛くないという冷酷な戦争らしい理由で消耗は激しく補充のため建造は終わらなかった。友邦国に譲渡や売却している艦は幸運に守られたのである。


 健在の主力艦の中で皇国は時に無用の長物と批判される。しかし、その存在は海軍強国を圧倒し抑止力と成り得た。日本の海軍力の高さを見せつける役者を務めている。更に、近代化改修を延々と繰り返して時代に即する設計が組まれて柔軟に対応する拡張性を誇った。少なくとも、半世紀は日本の盾となることが約されている。どこよりも早く航空機の有効性に気付き戦艦を減らしたが、戦艦を無駄と捉えることなく有効的に活用した。


 さて、皇国では司令官の田中頼三大将と参謀達が集結して対ソ戦略を話し合う。


「四四艦隊はイギリス国王陛下よりヴィクトリア十字章が授与されるため暫く残ります。しかし、その他の第二機動部隊及び日米太平洋艦隊はパナマ運河通過後ハワイを経由する太平洋の航路、マダガスカル島とセイロン島、シンガポールを経由する遠回りする航路で本土を目指します。その他の小型艦及び舟艇は機雷処理で本土に戻れません」


「十分すぎると思いますが、海軍はウラジオストクに収束するので不足とも見て取れますね」


「不足については心配しなくてよい。アメリカ海軍が日米合同演習と称して新造空母による機動部隊を派遣してくれる。空母及び艦載機の不足についてはアメリカ海軍の手を借りた」


「なんと、ニミッツ提督は偉大な方です」


 本土への帰投が相次いでいる大日本帝国海軍だが一部は残留を余儀なくされた。小型艦で構成される水雷戦隊や海上護衛部隊は順次戻り、高速打撃艦隊はフランス艦隊に別れを告げ、四ヶ国同盟艦隊も日本空母部隊が分離している。中型空母や軽空母の補助的な機動部隊も陸軍及び海軍、空軍の基地航空隊を搭載して本土へ向かった。


 残留している艦隊・部隊を大きく分けると以下となる。


 ・四四艦隊

 ・連合艦隊主幹部隊(皇国と少数の護衛艦)

 ・掃海艇、駆潜艇、哨戒艇等々の舟艇


 四四艦隊は緒戦からイギリスへ派遣されてバトル・オブ・ブリテンにおいて、英仏海峡で移動航空基地の役割を果たした。零戦に代表される日本海軍艦載機の威力を以てドイツ空軍を粉砕する。制空権を確保した後も占領下フランスの敵空軍基地を猛爆撃して着実に削るが、一度Uボートの集団戦法に嵌り主力空母2隻が中破する損害を被った。幾度となくUボートや爆撃を向けられ大小さまざまな被害を受けたが最後まで耐え抜きイギリス本土を守り切る。


 この戦功が高く評価されると半世紀に迫る日英同盟を記念して、特別にヴィクトリア十字勲章が授与されることが決まった。極めて異例の叙勲は海軍系のチャーチル首相の提案から始まり、ジョージ6世も「日英の繋がりの強さを国内外に示したい」と賛同している。そして、実際に勲章を受けるのは四四艦隊司令官の角田覚治大将であり、ジョージ6世国王陛下より直接授与される予定が組まれた。四四艦隊はイギリス本土の海軍基地に停泊して、イギリス市民が連日見学に訪れては水兵と交流している。


 続く、連合艦隊の主幹たる部隊は日米太平洋艦隊から離脱し、フランスの海軍基地に一時寄港した。日米太平洋艦隊の戦艦部隊は柔軟に姿形を変えており、旧式戦艦を加えて艦砲射撃任務が代表例に挙げられる。ドイツ海軍に満足な戦艦も空母もないため目立った戦果こそなかった。しかし、各地への艦砲射撃で沿岸防御を破壊したり、Uボート基地を壊滅させたりと自慢の巨砲で守りを粉砕している。


 皇国と数隻の護衛艦は先行する艦隊・部隊と玉突き事故を起こさぬよう、ゆっくりと確実に移動する。よって、フランスやマダガスカル島、セイロン島、シンガポールに寄港して補給と並行して日本海軍の威光を振りまいた。なお、マダガスカル島はフランス降伏に伴い日英共同管理に置かれている。フランス復古により返還されると思われたが、マダガスカル共和国として独立する。


 最後の舟艇たちは終戦後も残る各国海軍の敷設した機雷の除去作業に従事した。日本海軍の機雷除去は世界最高峰の技術力で知られる。掃海艇に限らず哨戒艇や駆潜艇までもが参加し、一日も早く各国の船舶が安心して航行できるよう休まず働いた。機雷はシンプルで安価であるが故にコストパフォーマンスに優れ、敷設艦及び潜水艦に航空機からの投下が加わり、まさに無数が散りばめられて一個ずつ丁寧に処理していくしかない。


「ニミッツ提督もだが、ハルゼー中将やスプルーアンス少将も立派だろう。陸軍のマッカーサー司令にパットン将軍、モンゴメリー将軍、モースヘッド中将と全ての軍人が死力を尽くし戦った。むろんだが、君たちを含めた水兵も同じ、漏れなく皆が力を尽くし得た勝利である」


「しかし、まだ敵というか脅威は依然としてあると」


「そう、つまらない理由でも戦いはひょんなことで決まる。私がこうして連合艦隊の司令官になったのも、ちょっとした事から生じたことで全く先は分からない」


 普段の姿からは想像出来ない田中頼三大将の鋭い目線の先には赤い大国があった。


続く

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