第96話 ケベックの会議は踊らない

~前書き~

 政治的な内容があります故に苦手な方は読まないでください。そして、政治的な主張を行う意図は一切ございません。何度も申し上げておりますが、ご理解の程よろしくお願いいたします。


~本編~


 フランス解放と同時期に北アメリカのカナダ自治領のケベック州において同地では二回目の連合国会議が開催された。いわゆる第二回ケベック会談であり戦後の欧州情勢を話し合われる。その参加国はアメリカ・イギリス・大日本帝国を基幹として追加招致された亡命オーストリアと議長役のカナダが加わった。


 それぞれの代表者はアメリカはフランクリン・ルーズベルト大統領、イギリスはウィンストン・チャーチル首相、大日本帝国は幣原喜重郎首相、亡命オーストリアはオットー・フォン・ハプスブルク元皇太子、カナダはウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング首相の顔ぶれである。


 日本は今まで首相ではなく外相を代理人として派遣していた。しかし、戦況と国内情勢の安定を確認すると首相が自ら赴き、吉田茂外務大臣と接してきたトップ達は幣原外交を目の当たりにする。日本は予てより協調外交を展開しつつアジアの民族自決を訴え続けた。そして、英仏蘭との同盟に基づき三カ国のアジア領土を委任統治領に譲渡されている。委任統治領のため上からの統治が行われるが圧政は慎んで専ら現地を尊重した。統治は段階的に緩和されており最近では現地指導者の政府が樹立され、戦後には正真正銘の独立国となるだろう。


 しかし、ケベック会議の話題は専ら戦後ヨーロッパについてだ。日本が二度の世界大戦に参戦して多大な貢献をしたと雖もヨーロッパに割って入る余地はなかった。それは本人が一番理解しているため「アジアの自主自立」、「アジアの共同体創設」等のアジアに関する主張は程々に収めている。これらはイギリスを主とした連合国が承認してアメリカが追認した形で終わった。


 その代わりに訴えられたのがモーゲンソー・プランである。


 一日目が終わり幣原首相の補佐役を務める東久邇宮稔彦氏は旧知の仲であるジョージ・グルー氏と語り合った。東久邇宮稔彦氏は自由主義者で知られて対米の切り札とされる。実際に欧米の外交関係者はどうにもこうにも掴み辛いと恐れたが、今回のモーゲンソー・プランについては猛然と噛み付いて驚かせたが、机に向かうグルー氏は至極当然と内心で思っている。


「モーゲンソー・プラン。これはいけませんな」


「前大戦の教訓が全く活かされていません。これでは今よりも酷悪な事が起こってしまう」


「前大戦でドイツは徹底的に痛めつけられた。生じた反動がアレを生んでしまい、暴走という暴走を始めている。それは覚えておくべきことですぞ」


「全くです」


 話題の中心であるモーゲンソー・プランとは何なのか綴りたく思う。


 簡潔に申し上げると戦後のドイツ処理を纏めた計画だが内容は極めて厳しかった。アメリカ側のグルー氏でさえ反対する程である。大きくは3段階が組まれ第一に「ドイツの分割」、第二に「主要工業地他の割譲又は国際管理」、第三に「重工業の解体及び破壊」が提示された。これに補足として「一部領土はソ連・ポーランド・フランスへ割譲」が付随する。なお、賠償金が存在しないのは重工業を接収する段階で果たされると考えた。


 モーゲンソー・プランの目的はドイツに二度と戦争を起こさせないことにある。徹底的に解体及び破壊することで脅威を未然に摘み取った。確かに予防の観点からすれば正しいかもしれない。しかし、ヴェルサイユ条約により国がボロボロとなったが故に現在のドイツが誕生したことは否定できなかった。同じ轍を踏むのかとイギリス側が強硬に主張したため本日中の同意は明日に流れている。


「国内でも試案について議論がなされて間違いなく紛糾しているでしょう。私たちと同様のことを考える者は少なくありません。それに産業の破壊で失業者が生まれればソビエトの思う壺です」


「そう、私もそれを考えておりました。ソ連は野心を見せてドイツまで社会主義勢力圏の射程に収めています。ヨーロッパの戦後処理が芳しくない場合は補填を求め満州への再攻撃があり得る。我々の樺太から北海道を狙ってくる危険までもが」


「ノモンハンで飽き足らず本土を窺うと言うのですか。なんと…」


 仮にプランが実行されるとドイツ産業は崩壊して多数の失業者が生じかねなかった。貧窮と食料不足が社会主義の浸透を加速させてはソ連による傀儡国家化が見える。今でこそ敵の敵は味方理論が当てはまるものの戦後は全く予想できなかった。日本はノモンハン事件を経験して極東不可侵条約が存在すると雖も警戒を緩めるどころか引き上げる。


「まぁ、ヨーロッパのことは欧米の皆様にお任せします。私も幣原首相もヨーロッパのことはヨーロッパが決めるべきとの立場です。どうぞ、ご安心ください」


「お心遣い痛み入ります」


 あくまでも日本はアジアの盟主の立場にありヨーロッパに干渉することは厳に慎んだ。避難民の受け入れや人道支援など国境を超えた事に限ってそれ以上はお任せばかり。日本が欧州不干渉の立場を貫いた以上はイギリスとフランスは彼がアジアの盟主になることを認めざるを得ない。


「話は戦争に戻りますが、私が個人的に心配しているのが毒ガスの無差別使用です」


「当然の心配だと思います。イギリスは使用を封印しておりますが、問題はドイツが地上戦で使うことにある」


「毒ガスは効果的でないと聞きました。しかし、風に流されて何処へ行くか予想できない上に再び無差別使用に陥れば戦後復興に甚大な影響を及ぼしかねない」


 両名が懸念することは数え切れなかったが脅威度の高さでトップクラスなのは毒ガスの使用である。毒ガスは前大戦時に両陣営が大規模に使用して甚大な被害を及ぼした。数字は小さいかもしれないが非人道性やコントロールが利かない点から封印されている。特にドイツは塩素ガスに始まりホスゲンやマスタード・ガスを使用して化学兵器の箱を開けた。特にマスタード・ガスは特性から地面等に付着するに留まらず、十分な防御手段を持たないと阻止できない。更に費用対効果も高く見積もられているため再び使用してくることはあり得た。


 仮にドイツが再使用した場合は連合国軍が報復として意趣返しする。やられたらやり返すは大事だが化学兵器は非人道性で群を抜いていた。それに毒ガスは気体のため風で素っ頓狂な方へ流れては想定外の重大事態を招くだろう。


 残念ながら、現実に毒ガスによる凄惨な事件が起こった。1943年のイタリア・バーリ港をドイツ空軍が爆撃した際に、アメリカのリバティ船からマスタード・ガスが漏れ出たのである。これで兵士と民間人を合わせて600名以上が被害を受けた内の83名が中毒により亡くなった。これは船内に積み込まれたM47A1マスタード・ガス爆弾が破損したことが原因とされる。アメリカはドイツが毒ガスを使用した際のカウンター手段として砲弾を秘密裏に運び込もうと試みた。後にジョン・ハーヴェイ号事件と呼ばれた凄惨な事件は多数の目撃者から隠蔽し切れない。アメリカ政府はカウンター手段であることを頑なに主張し、且つ毒ガスの先制使用は絶対にしないことを宣言で収束した。


 今まででは毒ガスの積極的で大規模な使用は確認されていない。


 あまりにも使い辛くおぞましい被害を出すことからお互いに踏み止まった。


「毒ガス兵器など化学兵器については改めて条約を定めないといけないようです。これも含めて連合国が主導する世界連盟は必須なのでしょう」


「ゆくゆくは世界政府が好ましいですが、一先ず国際連盟から脱却した共同体が求められます。もちろんですが日本は常任理事国になり…」


 これ以上はご想像にお任せしたい。


 1944年時点で戦後構想が語り合われては纏まりつつある。


 日本の行く先は何処なのだ。


続く

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