第86話 老兵艦隊最期の出撃

 フランス解放とオランダ解放に際してイギリスが重大な懸念を示したのが北方のコーフィヨルドに留まるドイツ海軍ビスマルク戦艦二番艦『ティルピッツ』だった。いくら単艦と雖も十分な脅威となり得る上にUボートと連携して上陸船団を奇襲されると困り果てた。したがって、速やかにコーフィヨルドを襲撃してティルピッツを撃沈しなければならない。


 幸い、ティルピッツは応急修理を終えても燃料不足より移動できずにあった。暗号解読や通信傍受から移動は4月下旬の予定と判明し、静止目標となっている間にコーフィヨルドを空襲してティルピッツを沈めるのだ。しかし、ここは防空体制が整えられていることも分かる。防空艦と駆逐艦が配置されており大口径と小口径の対空砲が10基少々置かれ、離れた所には飛行場が建設されて戦闘機隊があり中途半端な空襲は通らなかった。装甲空母イラストリアスとヒューリアスに護衛空母4隻を用意するも不足が否めない。


 イギリスの装甲空母は重防御の代償として搭載機数が30機弱まで減少している。同規模の空母の半数と打撃力の低さが問題だ。戦闘機と爆撃機を搭載すると攻撃力は更に減じて2隻揃っても足りない。そこで護衛空母が加わるが搭載機数は元から少なくありUボート対策の面が強かった。また、新型バラクーダ爆撃機の1600ポンド爆弾が間に合わず800ポンド半徹甲爆弾と併用せざるを得なかった。高高度からの水平爆撃で重防御のティルピッツを撃沈できるとは思わない。


 雷撃を与えるため空母にソードフィッシュを搭載しては心許ない搭載機数が圧迫された。主翼折り畳み機構を有しても嵩張ることに変わりなかった。一番の解決策は空母を追加することだがフランス上陸作戦に向けられて余剰が無く、日本海軍も同じ理由から空母機動部隊を頼ることは不可能である。ソ連領から爆撃機を発進させる手段もあれど逐一交渉して恩を売りたくなかった。


 困ったイギリス海軍は安心と信頼の日本海軍を頼るが空母機動部隊は出払い、水上打撃艦隊も支援砲撃のため回す余裕がなかった。水雷戦隊は細かい目標を砲撃するのに丁度良く削りたくなかった。やむを得ない、イギリス海軍のティルピッツ討伐隊が歩調を合わせるという条件付きで老兵艦隊を動員する。


 日露戦争の英雄がティルピッツを撃沈するべく老体に鞭打ったのである。


「もう間もなく、ノルウェーのコーフィヨルドに突入する。敵艦はティルピッツに限らず駆逐艦もおり対空砲台が我らを狙うだろう。質でも数でも劣っているかもしれんが我らの任務を忘れることは許さない。たとえ、ここで沈もうとも障壁となりティルピッツを閉じ込める。後に続くイギリス海軍の攻撃を成功させるのだ」


「帝国海軍の強さを再教育しなければなりません」


「そうだ。富士、朝日、敷島は死んでおらん」


 ジブラルタル大要塞の防衛任務に就いていた老兵艦隊は戦場を失った。イタリア侵攻で地中海の制海権は連合国軍が握り、もはやイタリア海軍やドイツ海軍が動く場は無く潜水艦が精々である。大柄な旧式戦艦が対抗する術は無く邪魔になる恐れから捨て駒と化したが、丁度良くティルピッツ討伐のタングステン作戦が伝えられるとイギリス海軍機動部隊の攻撃を支援する囮役が与えられる。


 老齢戦艦3隻がコーフィヨルドに強行突入すると封鎖して脱出を許さなかった。圧倒的な質の差で撃沈されようと、腐っても鯛で大柄な戦艦は航行の支障となるだろう。そこへイギリス海軍機動部隊の攻撃隊が殺到して3隻分の集中砲撃で傷ついたティルピッツに止めを刺した。


「飛行場には戦闘機しかなく空の心配は要らん。潜水艦もこの地形では戦えん。よって、狙うはティルピッツ1隻だけだ」


 弱体化したドイツ海空軍は老齢戦艦3隻の強行突破を止める手段を持たなかった。飛行場は防空の戦闘機しか配備されていない。Uボートはそもそも論で輸送船団襲撃任務に出向いて不在である。したがって、迎撃するためにはコーフィヨルド内のティルピッツと駆逐艦が出張ざるを得なかった。否が応でも戦闘に引きずり込み消耗戦の土俵に持ち込む。


「隠遁生活するより、ここで散る方が帝国海軍の誉なり」


 撃沈覚悟の3隻は衝突に注意しつつ出せる最高速力で突撃を敢行した。


 応急修理が行える拠点は奥に存在するため暫く何も起こらない時間が続いている。しかし、艦橋の見張り員は遠方に走る閃光と爆発音を逃さなかった。直ちに大声を張り上げて報告を試みたが中の人員誰もが理解する。


「回避はせん。取り舵」


「とーりかーじ」


 陸地からの距離からしてティルピッツが砲撃したと予想された。敵は38cm連装砲を4基8門装備して射程距離で勝る上に側面を見せているため全門を差し向けられる。前部主砲と後部主砲を分けて2隻を同時に砲撃することも可能だった。しかし、老齢艦隊は意表を突いた敵前で取り舵し3隻は横に並ぶ。


 そう、伝説の海戦を再現した。


「遠弾!」


「腕が悪いとは言わん。我々のことを知らないのだ」


 敵弾は遠方に着弾して直撃は1発も無い。彼らの腕を悪いとは言えない理由は3隻が老齢過ぎるが故に全体を知らないからだ。富士は全長122m・全幅22mで敷島及び朝日は全長133m・全幅23mとなる。ティルピッツは全長253m・全幅36mと大きさが随分と異なって照準を誤っても仕方なかった。


 ただ、次は直撃を受けてもおかしくない。


 ドイツの優れた冶金技術は侮れない。


 しかし、我ら大日本の光学照準技術は世界最高峰を誇る。


「敵駆逐艦来ます!」


「捨て置けぃ!」


「富士が発砲!」


「構うな! 富士と朝日には自由砲撃を許可しておる!」


 僚艦が先走って30cm砲を轟かせるが本来は統制されるべきだった。しかし、堀大将は敢えて自由砲撃を許可し囮の役目を全うすることを優先する。目標はティルピッツのみだ。バラバラに砲撃しても大して変わらない。


「砲撃準備完了!」


「撃てぃ!」


 ズン!


 重苦しい音と共に30m砲弾が飛んでいくが吐き出されたのは徹甲弾ではなく榴弾と見えた。相手が重防御であるのに榴弾を用いるとは何事かと思われよう。実は老齢戦艦なりに理にかなった戦法が組まれた。当たり前だが30cm徹甲弾でティルピッツの装甲を破れるとは思わない。徹甲弾を無効化されるよりかは着発信管に設定した大威力の榴弾を与えた。端から装甲を破ることは狙わずに脆弱な甲板や副砲を狙って火災の誘発による心理的圧力を図った。


 日本海海戦でも初弾は榴弾が使用されバルチック艦隊の戦艦に火災を発生させている。想定外の火災発生に動揺して乱れた隙を統合艦隊に衝かれて完敗を喫した。装甲が分厚くても榴弾は着弾時に炸裂するため、副砲の破損や火災誘発など艦上構造物を破壊し尽くす効果が見込める。


「敵艦に火災発生!」


「よし…」


「ふ、富士が被弾!」


 距離が詰まれば命中精度が高まって当然である。ティルピッツへに火災を発生させることに成功した。榴弾は通常品ではなく火災を狙った特別品のため燃え始めた敵艦は分かり易い。一転して朗報の直後には僚艦の富士が被弾したことを伝えられた。前部の一撃を外したことより後部主砲を修正して砲撃する。そして、先走った富士が狙われてしまった。後部に着弾して副砲群が壊滅するが今回は脆い副砲に兵は割かず弾薬も降ろして置物の緩衝材にしている。堀大将は少しでも長く戦うため巡洋戦艦フッド轟沈から学びを得て副砲を切り捨てた。壊れることが前提の緩衝材の役割に挿げ替えることで一射を耐える。


「副砲壊滅なれど主砲に異常無し!」


「損害は無視しろ! とにかく榴弾を撃ち込め!」


 副砲については他2隻も共通して前部30cm主砲が主兵装となる。流石のティルピッツも副砲が黙っていることに気付いた。副砲の弾薬庫が誘爆しない事も加えてダミーだと理解する。38cm砲弾は副砲弾薬庫に入り込んが空っぽのため意味をなさない。装甲材質を除いて素の数値だけは重装甲な富士型戦艦のため前部主砲への誘爆を許さなかった。


「朝日に直撃弾!」


 彼我の距離は戦艦の砲撃戦にとっては至近距離と言って差し支えなく数で勝る3隻が有利に動かした。大口径榴弾がティルピッツの艦上構造物に吸い込まれては副砲や対空機銃を片っ端から破壊するが主砲は壊れない。運よく直撃させれば砲身を破損させられるかもしれなくても至難の業だった。


 もちろん、そう簡単にティルピッツも沈む艦ではない。


 反撃の一撃は無慈悲に朝日を切り裂いた。


「あ、朝日が!」


「主砲弾薬庫に貫通しましたか…」


「すまん…私も行く」


 敵艦は賢明である。装填を完了した前部主砲の4発が朝日の主砲を穿った。敵艦の攻撃手段を奪うことは定石であり、老齢戦艦の主砲は最も硬いが高初速の38cm徹甲弾に引き千切られた。そして主砲弾薬庫に達した1発が出番を待つ榴弾を続々と誘爆させ始める。中にたっぷりと炸薬の詰め込まれた榴弾が多少のタイムラグがあれど一斉に爆発して艦前部が吹っ飛んだ。とてもだが聞くに堪えない音を発して朝日は真っ二つに割れて沈み始める。静止していたため富士や敷島に影響を及ぼすことは無かったが朝日の最期は悲劇に等しかった。


 しかし、初老の堀大将は目を見開き普段の温厚さからは想像出来ない声を発する。


「元よりこの海に沈む覚悟なり!  皆で靖国に参ろうぞ!」


「おぉー!」


 その覇気は猛々しかったが敷島にも魔の手が迫った。ティルピッツが砲門数で負けていることを悟った駆逐艦が防空任務を捨てて肉迫雷撃へ移行する。ここで敵艦を沈めると極めて面倒だが相討ちよりかは遥かにマシだ。ティルピッツに当たらぬよう敵艦に肉迫して、且つ魚雷がすっぽ抜けても岩盤に当たって自爆することを狙う。ドイツ海軍の魚雷は世界最高峰の酸素魚雷に比べて非力だが数で補った。


「構うな! 主砲斉射!」


 最後の砲撃は辛うじて間に合った。魚雷が直撃する数秒前に敷島から30cm榴弾が放たれ、ティルピッツの生き残り副砲・対空砲を叩きのめした。あくまでも、老齢戦艦はイギリス海軍機動部隊の攻撃を通す役割なのだ。


 これで良かろう。


 その直後には敷島に数本の魚雷が直撃して艦が大きく揺れると堀大将は床に叩きつけられた。衝撃による脳震盪のせいか朦朧とする。しかし、彼はティルピッツに向かう大量のイギリス海軍のバラクーダ爆撃機だけハッキリと捉えていた。


 それからの記憶は暫く途切れた。


続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る