第73話 兵士の食事は盤石に

 11月に入り1942年も終わりが見え始めたトブルク要塞は当初の厳しい防御から余裕のある防御に好転している。ロンメル軍団はトブルク要塞陥落を諦めるとエジプト進撃を採った。要塞前面に張り付く敵軍は少なくて攻めることもできない。であれば、こちらから打って出る好機と思われた。いや、要塞の指揮を執る栗林忠道とモースヘッド両名は動かない。とにかく山の如き不動の防御を貫徹して反攻作戦を待ち続けた。エジプト国境線からの反撃と敵地強襲上陸が開始が狼煙の合図である。


 トブルク要塞解放の日が近づき両名は食事の場で語り合った。


「制海権と制空権の重要性を思い知らされた戦いでした。我らは海と空から補給を受けられるため持ち堪えている。しかし、ロンメル軍団は海を遮られて空も奪われてと散々な目に遭った。そして、奴らの侵攻は弱まる。これぞ閣下の戦略であり見事に的中したわけです」


「いえ、それこそ中将の卓抜された指揮によります。私の機械化砲兵師団が暴れ回っても要塞本体が持たなければ意味がない。ロンメルを封じたモースヘッド中将こそ見事なりと言わせていただきたい」


「戦車戦の匠である閣下に言われては至極恐縮する」


 トブルク要塞指揮官はオーストラリア軍モースヘッド中将でイギリス・オーストラリア軍及びアメリカ軍を率いる。日本軍の指揮は栗林忠道中将が執るものの原則としてモースヘッド中将の要請に従った。栗林中将が直々に命を出す機械化砲兵師団や島田戦車隊も大きくは従う。そして、難敵ロンメル軍団の猛攻撃を幾度となく受けたトブルク要塞は制海権と制空権を保持して辛うじて持ち堪えた。陸上は包囲されても海と空が開いているため、輸送船団が強行して輸送機は落下傘投下で武器弾薬・医薬品・食料を特急便で送る。


 モースヘッドは分かっていたことだが制海権と制空権の重要性を改めて学ばされた。


 そんな両名の食事は階位の割に質素に尽きる。乾パンに野菜シチュー、コーヒーと要塞で調理施設があるにもかかわらず、前線の兵士が携帯する軍用レーションの缶詰を食した。海と空で補給線は繋がって貯蔵は十分にある。陸路も緩んだ包囲を一点集中で衝いて陸路を再開させた。アメリカが参戦すると大量生産された食料が届き始め余剰が生じる程に潤沢である。


 しかし、「前線の兵士達と同じ食事をとり苦労を知らなければならない」と軍用レーションを食した。当初は栗林中将が始めたことだが農家出身で叩き上げの将軍モースヘッドも賛同する。彼らが質素な食事をとる代わりに前線の兵士へ少しでも多く食事が届くよう配慮したのだ。


 そのおかげかトブルク要塞の食事は最前線とは思えない程に改善されている。


「あの調理自動車の登場は良い意味で想定外でした。兵士たちは缶詰で耐えるばかりと思っていたが、余裕のある所では暖かいパンとシチューを頬張ることができる。まさかキッチンまで機械化するとはまことに恐ろしき」


「我が国は戦国の世より食を重視しています。祖国を統一した強者は兵站でも食事は絶対に疎かにしなかった。よって、近代化に伴って軍も炊事自動車と野外炊事車を開発して前線へ送っている。アメリカ軍も同様のフィールド・キッチンという物を投入していると聞きましたので何も特別なことではありません」


「そうでしたな。しかし、どうも食事はヨーロッパ式となってしまう。これはご容赦いただきたい」


「いえいえ、兵士たちはヨーロッパの食事を目の当たりにして新しき学びを得ました。今は戦争中でありますが、いずれ祖国に広まることでしょう。これも大事なことです」


 最も敵軍に近い防御線から一歩引いた地点には簡易的な野外炊事場が形成された。ここで温かい食事が作られるのは移動式のキッチンことフィールド・キッチンの開発が大きい。前大戦や局地紛争で戦いを経験した日本陸軍は移動式の炊事車を求めた。既存の六輪貨物車を流用して大型に恥じない大量炊事能力を有する九七式炊事自動車を開発する。


 これは停車中であれば500食の炊飯能力に750食の汁物を料理することが可能だ。後方拠点は食材さえ揃えば多種多様な副菜を調理可能である。しかし、最前線では贅沢を言えなかった。開発した日本人は工夫を凝らして前線拠点用食料や携行糧秣を調理可能な改良を施す。大量炊事能力に加えて頑丈で故障せず最前線でも一定の飽き辛い食事が得られると前線の将兵からは大好評を博した。


 とは言え、六輪貨物車で大柄のため使い易く小型化した車両も存在する。こちらは四輪貨物車が基となり九七式炊事自動車乙型と呼ばれた。不整地走破能力に優れて小回りが利く強みから最前線の最前線まで出張る。炊事自動車の有用性が認められるとハーフトラックも改造されたり、炊事能力に限り自走能力をオミットした牽引車も開発されたりだ。どれもこれも食事の改善と聞いて歓迎されている。


「アメリカ軍のレーションを食したことがありますが、流石の国と言いますか、とてもよく考えられています。あまり美味しくし過ぎては食いつぶす。栄養を考えながらも敢えて味を悪くする。一食一食を大事にさせていました」


「えぇ、イギリス軍のシチューも大概ですが。それこそ、閣下も好まれる日本の缶詰は素晴らしかった。あれは我が軍でも好評でしてご面倒をおかけします」


「それはよかった。どうも職人気質が抜けきれず味を求めてしまいまして」


「大事なことでしょう。あまりにもマズくしては士気を下げかねない。時折日本製を配ることで士気を上げられました。感謝申し上げます」


 炊事自動車が出れない危険な防御線ではレーション・携行糧秣を食さざるを得なかった。イギリス・オーストラリア軍のレーションはイギリス製とアメリカ供与品が混在する。しかし、安心と信頼のマズさで評判は芳しくなかった。温めればマシになるが敵に察知される恐れから常温を強いられる。豆・野菜・肉のシチューやコーヒー、乾パン/ビスケット、砂糖、塩と似たり寄ったりで美味しくなかった。


 もちろん、これには理由がある。栗林中将は見透かしたが美味しくすると食べ過ぎて食いつぶす危険があった。美味しければたくさん食べたくなるのが人間だろう。だからこそ敢えてマズくすることにより一食一食を大事にさせた。そして、一日に必要な栄養を確保させる。


「まさか大和煮が好評を博するとは、予想だにしておりません。確かに私も好んでおりますが、イギリス軍やアメリカ軍の皆さんに受け入れられるとはと。本国で軍需産業の一部である缶詰製品は大量生産が続いています」


 あまりにもマズくて同じ食事が続けば士気の低下を招いた。逃亡や投降する者が現れても何らおかしくない状況が生まれる。これに苦慮したモースヘッド中将は日本軍の携行糧秣に注目した。携行糧秣は白米&玄米、塩、堅パン、各種缶詰から構成される。この中で缶詰は大和煮と呼ばれる肉の缶詰だが、味見した英米兵から極めて好評を得た。想定外の好評に一計を案じて不定期に「日本軍をよく知るため」と称し、レーションの中に大和煮を入れる。前線の兵士からの声は変わらないが士気の低下が抑えられて喜んでいることは丸見えだった。


 同様に日本兵にも英米製のレーションが配給され欧米を味わう。先に申し上げたが味は決して美味しいと言えなかった。将兵は忽ち不満を呈するかと思われたが意外と声は少ない。大半の兵士は「携行糧秣と雖も戦場で食べられるだけマシ。贅沢は言っていられない」と根気強さを発揮した。


「もう間もなく敵軍後方に対する強襲上陸作戦が行われます。トブルク要塞は守勢から攻勢に転じロンメル軍団を上陸兵力と挟み撃ちにする。モースヘッド中将のお力まだまだお借りします」


「こちらこそ、よろしく頼みたい」


 トーチ作戦発動は目の前まできている。食糧事情が改善されたトブルク要塞は大反撃の用意を着実に整えた。


続く

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