第59話 日ユ同祖保護法

 日英仏三カ国艦隊が主となり地中海の戦いが過熱している頃に大日本帝国は再び戦争避難民の保護に関する一連の法律として「日ユ同祖保護法」を可決次第に即日施行した。以前の保護法は全ての者を対象にしたが本法はユダヤ人保護を促進する特別法という点で異なる。各地から避難してきたユダヤ人は「ドイツが秘密警察ゲシュタポを使い残虐非道の限りを尽くしている」と生きた証人と化した。百聞は一見に如かずというが彼らが拷問で酷い傷を負ったと聞いて且つ見れば否が応でも理解せざるを得ない。


 あまりにも酷いということで政府と議会は協調した。ユダヤ人保護に特化した本法を速やかに立案して直ちに可決させている。内容は従来と大して変わらないが根拠とする芯が何とも不思議な理論から構成された。


 それは「日ユ同祖論」という。


 これについて戦争避難民の名目で避難したユダヤ人の学者は嬉しそうに語り始めた。


「我らユダヤの民と日本の民は同じ祖先なのです。これを失われた部族と言いまして、今の日本人はユダヤ人と同じ祖先を持ちます。つまり、我々は単なる友ではなく愛で繋がる家族なのでしょう。私は日本に来て3年経ちますが我が家のような安心感を覚えました」


 おそろしく眉唾物であるが戦争という非常事態では確認のしようがない。日ユ同祖論はユダヤ人受け入れ政策と相まって瞬く間に浸透していった。街中でユダヤ人を見かけても異端とは思わない。むしろ酷い目に遭った被害者であり直ぐに助けた。なぜ日本人が古代イスラエルに起源を有して、どうやって日本の大地に定着して、今まで生き長らえて等々の疑問点は多い。それらに対する説明はなされたが落ち着いて聞けばどうも説得力に欠けた。当然ながら反論が多数湧き上がるがユダヤ人を保護するという大義の前には意味を為さないだろう。


「日本古来の『神道』とユダヤの『ユダヤ教』には幾つか共通点が見受けられます。これは長い激変の歴史を経ても絶対に変わることは無かった。まさしく不変の同祖たる証拠なのです。これは言語にも適用できますので狂い無き証でしょう」


 日本が根幹とする宗教の神道とユダヤ民族のユダヤ教は交わることのあり得ない別々の宗教とは言い難かった。所々であるが似た点や同じ点が幾つか発見されており単なる偶然とは思えない。


 政府は保護政策を穏便に且つ円滑に進めるためには丁度良い俗説と受け止めた。大半の国民は「困っている人を助ける」という意識を有し、欧州各地から逃れてくる戦争避難民を受け入れる。しかし、中には「アジアでもない人を助けるのはおかしい」と異議を唱える者は少数派だが存在した。国政に影響を与える範囲には入らないどころか塵に同じである。それでも、時には暴徒と化して避難民を襲撃するなどあってはならず、ましてや国家転覆の火種として反体制運動に発展しては大いに困った。


 そこで、ユダヤ人は兄弟姉妹であると認識を改めさせて未然に防ぎ団結力を高める。日本は家族を保護していると世界各地の同胞に伝播してもらった。日本は日英仏蘭四ヶ国同盟により連合国の扱いを受ける。しかし、アジアの大国である以上はヨーロッパ中心から離れてしまった。戦後世界から切り離される事態は避けたいのである。ユダヤ人を含めた戦争避難民受け入れの実績を掲げて無理やり枠組みへ捻じ込んだ。


 他にも杉原千畝氏を代表する各国大使館が行ったビザの発給行為を追認する根拠を用意している。現地大使館はドイツから逃れる人々が殺到した。リトアニアの千畝氏は書類や報告を巧妙に誤魔化し、退去する最後の最後までビザを書き続け発給した。本来の手続きを大幅に省略して発給する独断専行は厳罰が下されてもおかしくない。とは言え、ユダヤ人を避難させるという人道行為は違法であろうと正当性は否定できなかった。両方の性質を有するが故に処理に困り果てひとまず保留が示される。そして、今日になってようやく追認された。いわゆる「後出しじゃんけん」だが人道に従って正しい行いを貫いた独断専行を認めず、厳しく罰することの方が遥かに非人道的な行為だろう。


 杉原千畝氏は英雄的な領事と栄転を果たした。もっとも、現在の彼は培った人脈を活かして亡命ポーランド及び亡命オランダ、自由フランスらと協力して情報収集に努める。


 たくさんの日本人が救済に動いた結果として10万を超えるユダヤ人が日本の影響下に入った。中国民国も上海の国際特別区を解放して受け入れを進めている。逃避行の目的地である東亜には楽園があると伝わった。


「だから、私は声を張り上げて言うわけです。日本に聖地があり我らの楽園が広がっていると」


 日ユ同祖論は聖地エルサレムを日本に適用している。


 かなり無茶苦茶が過ぎると思われようが希望を持つためには仕方なかった。


~松本研究所~


 新しい保護法が即日施行された報告は長野県松本市に設けられた大日本帝国秘密研究所にも伝わる。


「博士。お喜びください。議会は『日ユ同祖保護法』を可決して即日施行されました。これで博士の同志達は以前より楽に日本へ来れます」


「まだ多くのユダヤの同志が取り残されている。一刻も早く楽園に来れることを切に願いたい。だからといって、この新兵器…原子爆弾が使われないことも願いたいがそうもいかないようだ」


「はい、原子爆弾は全ての面で未知数です。その威力だけでも一つの都市が吹っ飛ぶと言って差し支えありません。取り扱いに細心の注意を払うなんて言えるような代物では…」


「アメリカが原子爆弾の開発を始め学者たちが集められたと聞く。ドイツに持たれるよりかは良いが如何ともしがたいな」


 偉大な博士の雰囲気が普段と違うことに助手を務める壮年の博士は言葉を慎重に選んだ。日本では著名な物理学者でもこの人物の前には安易に語れない。その博士もまた日本への亡命を果たした人物だった。その名はアインシュタインと言い孤高の天才である。彼はまだユダヤ人の受け入れに消極的だったアメリカよりもアジアの日本へ赴いた。国力増強のため学者も羽振り良く招いてくれて日英同盟を使えば安全に確実に亡命できることは何よりも魅力的だろう。


 そして、特例措置を受けて定住する日本の地で優秀な物理学者達と研究に励んだ。その内容自体は必ずしも頷けるものとは限らない。難解な内容を噛み砕いて分かり易く表現すれば「新型爆弾『原子爆弾』開発について」だ。これ以上は言わずもがなのため語らずにおきたい。


「ウランは中国とオーストラリアより輸入できます。しかし、我が国には盛大な実験を行える設備はありません。今はこうして机に向かい、鉛筆を片手に紙に書き殴ることしか」


「この爆弾は人間が持ってはならない。今やドイツ、アメリカ、日本が開発を急いでいるが誰か一人でも持ってしまえば、どうなる。必ずやどこかの大地が破壊された。実験していないから分からないなどとは言わないね?」


「もちろんです」


 あくまでも紙で立てられる予測だが何度計算しても数値が半端でなかった。実験せずとも分かってしまう程に新型爆弾の威力は洒落にならない。常識的に考えて1発の爆弾で一都市が吹っ飛ぶことはあり得ない話で信じなかった。火災の発生など二次的な被害を含めても到底不可能である。しかし、原子爆弾はたった1発で一つの街が消し飛ぶ威力が秘められた。自らが危惧して開発を促しただけに自責の念が生じ始める。まだ実用品の完成まで至らないで一度も使われてないと雖も人間の進む先が極めて危険であることは明白だった。


「ドイツがやって来たことを踏まえれば、どうしてもベルリンへの投下は必至です。戦争を一日も早く終わらせることも鑑みれば絶対とも言えます。ただ、私が辛うじて保っている良心からすれば常軌を逸していると。アインシュタイン博士、どうかこれだけは…」


「残りの人生を費して阻止するしかない」


 悪魔の兵器やいかに。


続く

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