第56話 多民族・多文化への道

1942年


 二度目の世界大戦は膠着状態に陥った。ドイツの仕掛けた対ソ奇襲作戦たるバルバロッサ作戦は圧倒的な快進撃により大成功を収めかける。しかし、ソ連は持ち前の物量戦術をぶつけてモスクワ前面で持ち堪えた。早い冬に突入すると耐寒装備の無いドイツ軍は各地で行動不能に陥り攻勢を停止せざるを得ない。であれば、東部戦線と双璧を成す北アフリカ戦線を動かしたかった。


 いいや、トブルク要塞は健在でありエジプト国境線にも日英の防御線が存在して突破できないでいる。アメリカ参戦に伴い日英軍へ大量の武器弾薬が提供され兵器の数で勝った。消耗の激しい戦車もアメリカ謹製M3中戦車リー/グラントの登場で余裕が生まれ、ドイツ戦車を相手に不格好な戦車は獅子奮迅の戦いを演じる。日米の戦車が遊撃戦闘を担い、英戦車は防御に徹してロンメル軍団を押し留め続けた。


 したがって、第二次世界大戦は全てにおいて停滞したのである。


 この機を逃さず各国は交渉を開始して英米はヨーロッパの戦後について話し合った。史実のような太平洋戦争が発生していないため、アジアは日本に一任することで合意される。アメリカは不服だがモンロー主義の弊害であり自業自得だ。その日本はアジアの民族自決を掲げたアジア会議を開催する。各委任統治領の現地指導者が集結して終始穏やかな雰囲気の中で戦後の独立を確認した。そして、アジア独立宣言を発して終幕する。


 これで終わりかと思った。


 最後に非公開はおろか後に明かされることもあり得ない秘密の交渉が行われる。


~皇居地下~


 テレビが広く普及していない時代はラジオが情報伝達の主流の手段だ。アメリカの炉辺談話を倣って日本は政府の決定など重大な情報はラジオを通じて流している。


(戦争避難民保護法が可決され、即日施行されました)


「これでソ連を通じユダヤ人が多く避難してくるでしょう」


「決して喜ばしいことでありませんが、将来を見据えてユダヤ人を含めた避難民の保護は必須です。多文化と多民族を幅広く受け入れて吸収し学びを得なければならない。戦後の熾烈な競争に勝利するためには」


 戦時中だが国会は通常通り機能した。政府のゴリ押し法案が悪目立ちするが真っ当に審議を経て可決される法案もある。むしろ、後者の方が圧倒的多数であり緊急事態を理由にしたゴリ押しは厳に謹んだ。今回は後者の正当な方法で可決され満場一致である。


 その名前通りで戦争で祖国を追いやられた避難民を安寧の地こと日本が積極的に受け入れることを宣言した。既に多くの避難民を受け入れた実績があるため避難先としてアメリカと並び大人気である。ヨーロッパから近いのはアメリカだが西方はドイツの存在が強く危険が伴った。東方の日本は間のソ連がドイツと戦争中であり影響は弱く鉄道を使えば一直線に向かえる。


 なお、政府が動く前から独自に現地大使館は救済に動いた。彼らを逃がすため多少強引にでも書類を作成し、且つ報告に一癖も二癖もつけることで誤魔化す。そして、ビザを発行し続けた。戦後に日本大使館の独断専行が明かされたが人道に正しい行いをしたとお咎めなしであり、むしろ代表者杉原千畝氏を筆頭に多くの従事者が国際的に表彰される。


「ソ連は避難民に対応する余裕がありません。あわよくば、情報を得られるため通過を黙認しました。来月にはシベリア鉄道と満州鉄道を使って数え切れない人が満州に降り、鉄道から日中連絡船に乗り換えて日本を訪れるでしょう。中国大使館を増員して専門部署を設けておりますので、どうにか捌き切れるはずです」


 問題は通過するソ連だ。ソ連は祖国戦争真っ只中にあり避難民への対応は後手に回るが、日本の北進が無いことを確認したりと再び日ソ交渉が行われて転換する。そこではソ連が避難民の通過を黙認する代わりに日本は北進を未来永劫放棄し一定の援助を行うことを約した。ソ連に余裕はないため黙認という無視が妥当であり日本から支援を引き出せれば御の字だろう。


 これにより、ユダヤ人を主とした避難民は従来通りながら難易度が下がった。国境警備を行う兵士たちは何も言わずゲートを上げてボロボロの市民を通す。鉄道もドイツ諜報員対策の捜査しか行わず検挙は僅かで収まった。資金力のある者は鉄道を使えても一般市民は鉄道を沿って歩くしかない。先の見えない道だがゲシュタポに捕まるよりかは遥かにマシと懸命に歩き続けた。満州まで入れば日本の保護を受けられるのだから。


「罪を憎んで人を憎まず。祖国を追いやられた市民は優しく迎えるべしとプロパガンダを打っています」


「日本は所謂ガラパゴスでした。良くもあり悪くもあったが世界から切り離されるのは好ましいとは言えない。したがって、今回の受け入れで国民には広い世界に触れさせて国際力を養わせる。いやはや、これでは悪役ですなぁ」


「悪役で上等。それが我らの役割」


 避難民の受け入れは日本を多民族・多文化に触れさせる良い機会だ。元々島国のため海で遮られた日本は長きに渡る鎖国により置いてけぼりにされる。そこから明治維新を経て近代国家の道を歩んだが遅れは否めなかった。将来の激烈な国際競争に負けない国際力を高めるため、避難民の受け入れを通じ様々な文化に触れさせる。


 現時点では日本は最も客観的に第二次世界大戦を眺められた。その強みを活かしてプロパガンダは緻密且つ巧妙に練られる。変に憎悪を煽ることはしないが「罪を憎んで人を憎まず」とヨーロッパから命からがら逃れてきた市民を攻撃しないよう厳命した。今回の戦争避難民の保護に関する法律の施行に伴い罰則が設けられており、国の出自に関係なく弱き者を保護して当然だろうに。


 そうして市民間での交流を促進して諸外国の文化や社会を吸収し発展の礎とした。我が国には温故知新の四字熟語がある。古きを温めて新しきを知ることは今にも通じた。


「して、戦況はどうなっておりますか。長谷川提督よりベルリンを空爆したと報告を受けた時は仰天しましたが、そこから先はどのように」


「外交面ではソ連が盾となっているため有利な立場となります。自国に張り付けられる戦力を減らしたい思惑から北アフリカ戦線の大反撃を要求しました。しかし、現地の栗林忠道中将とイギリス・オーストラリア軍モースヘッド中将は頑なに拒んでいます」


「それはなぜ?」


「彼らが言うにはロンメル軍団と真っ向勝負は避けるべきであり、相手が持たぬ物事で勝負すべしということです。また、仮に反攻を成功させたとしても補給線が長引いてしまう。よって、攻め込むだけ不利と言いました」


「ほうほう…」


 彼らの脳裏にはクルセーダー作戦の失敗が浮かび上がる。史実のクルセーダー作戦はトブルク要塞の包囲を解き、ドイツ・イタリア軍をリビアに押し込むことに成功した。ただ、作戦は大勝利と思われたが実際は失敗でもある。なぜなら、補給線が過酷な地まで伸び伸びしてしまうからだ。


 本世でも補給の維持は容易とはとても言えない。日英海軍の大艦隊が制海権を抑えて海上輸送を確保し、且つ日英空軍が必死に敵機を抑えて航空輸送を確立させた。クルセーダー作戦を実行して武器弾薬を消費した上で押し込んだ先まで補給線を引くことは非効率である。長い補給線を維持できるのは超大国アメリカでなければ不可能だった。


 そして、史実は補給線が伸びたことによりイギリス軍は疲弊して弱体化する。これをロンメルに衝かれてエル・アラメインまで大撤退を余儀なくされた。エル・アラメインの戦いで勝利した結果があれど非効率な戦いは御免被りたい。


 補給線の怖さを栗林忠道中将とモースヘッド中将はよく理解した。


「アメリカ軍の本格的な展開を待ち反抗を計画するようです。その間は日英仏の艦隊が地中海を動き回り、シチリア島空軍基地への爆撃から海軍基地襲撃まで徹底的にイタリアを叩く。英米はイタリアを足掛かりに枢軸国との戦いを終わらせたいようですが…」


「フランスがどう言うかなぁ…」


「はい…」


 42年に入った戦いの展望は誰も分からない。


続く

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