第47話 極東不可侵条約

1941年6月25日


 ドイツ軍は6月22日にバルバロッサ作戦を発動しソ連領へ侵攻した。それは衝撃的な裏切りである。ドイツはソ連との間に不可侵条約及び秘密協定を結んで表向きは友好関係にあった。イデオロギー的に対立している矛盾を孕んだが両国は利害を一致させたやむを得ない事情から仲良くする。


 しかし、それも遂に破綻した。


「さぁて、始まりましたぞ。ドイツはソ連に攻め込んでずるずると消耗を強いられていく」


「祖国への侵攻が頓挫してドン詰まりとなった戦況を覆すためソ連との不可侵条約を破ったのでしょう。そもそも東方生存圏の思想もあり大陸の制覇を画策した独裁者の一撃がこれですか」


「これでフランスへの強襲上陸がし易くなった。しかし、ドイツは言わずと知れた陸軍国であり航空基地も増設している中では安易な上陸は多大な危険を含みます。ソ連が防壁となっている間に仕掛けるとはいえ、適切な時期を図らなければ撃退される未来しか見えてこない」


「一応ですが、日本はソ連から日ソ中立条約を更新を建前に拡大させた極東不可侵条約を締結しました。満州=モンゴル方面のソ連軍は瞬く間に消えて国境警備隊という予備兵士しかおりません。総力を挙げてドイツの侵攻に立ち向かう生存戦争に」


 バルバロッサ作戦の奇襲を受けたソ連は即座に日本と単独で接触した。ノモンハン事件から日ソは中立の立場を貫いて互いの勢力圏に一切不介入とする日ソ中立条約が結ばれる。日本陸軍の内部には北進論が存在したことは事実でも過酷なシベリアを占領する価値は薄かった。無駄な出費と出血を強要される。共産勢力の侵入を防ぐことは必要でも自ら攻め入る必要性は感じられず、中立にして不介入を相互確認する外交で解決を図った。秘密裏に連絡を取り合ってウラジオストクで落ち合った日ソは日ソ中立条約を基にした極東不可侵条約交渉を急速に纏め上げる。


 内容は日ソ中立条約とほぼ変わらなかった。交渉のテーブルでソ連は日本に対して再三にわたり北進の意思がない事を確認している。この確認を経てからソ連は満州と蒙古(モンゴル)の国境線に張り付けた軍を引き上げさせ国境警備隊と称した弱弱しい予備兵だけを残した。ドイツの奇襲に対応が間に合っていないためとにかく前線へ兵士を送るため極東方面軍を引き抜かざるを得ない。日本からすればノモンハンの仕返しをする絶好の機会だが先に述べた通りで価値を見出せなかった。したがって、不可侵条約を律儀に守り自らも兵を退けて信頼を得る。あのソ連でも首都に敵軍が迫っている最中に極東に攻め入る真似は出来なかった。


 極東不可侵条約は日本にもメリットがもたらされる。ドイツという共通の敵が生じると「敵の敵は味方理論」を展開するようになり一時の平穏が得られた。ソ連が退いてから日本陸軍も本土に引き上げて部隊を再編している。そして、海軍と共に欧州の大地と地中海を目指した。満蒙国境線には中華民国軍が交代して警備に当たってくれ、中華民国としては百万が一にソ連に動きが見られた際はノモンハンを再現してやろうと意気込む。


「アメリカはどう出るのでしょう」


「恐らく我らに対する武器貸与法を拡大解釈してソ連にも適用するはずです。そうなればソ連降伏を防ぎつつ恩を売りつけ、戦後処理を一段と有利に進める腹積もりと読んでいます」


「同感です。しかし、問題は武器を貸与する際に海を通らなければならないこと。我が祖国は伝統的な社会主義嫌いのため航行の許可は出しても船団護衛は真っ平ごめんと言えます」


「日本はヨーロッパに派遣する輸送船団の護衛で手一杯です。アメリカ経由で大西洋に派遣した艦隊も動かせません。海軍に伺いを立てましたが無理との返答があり」


「そこはグルー氏に確認するとして、マルタ島及びクレタ島の絶対死守とフランス上陸を考えましょう」


 このドイツによるソ連侵攻はアメリカにもチャンスを与えた。今まではモンロー主義で出遅れを余儀なくされ、ようやく参戦の方針を明確にしたが日英同盟の前に敗れる。しかし、ソ連が実質的な防壁になることが決定的になるとアメリカは独自の武器貸与法(レンドリース法)を拡大解釈して援助した。イギリス軍は戦線を支えるため日本を頼る中でアメリカの馬鹿げた国力も頼る。武器弾薬・食料・医薬品を提供してもらった。アメリカは日本同様に直接攻撃を受けないため圧倒的な余裕があり、対ソ援助で恩を売る。これにより出遅れた分を対ソで補って戦後処理に台頭するつもりだった。


 いやいや、言うは容易いが実行は困難だろう。世界地図を見て貰えれば否が応でもアメリカからソ連は大海に隔てられていることを気づいた。ドイツ海軍は脆弱で海上艦は脅威でなくともUボートは相変わらず猛威を振るう。有利に立ち回る日本海軍も無傷まではいかず駆潜艇や駆逐艦に一定の被害が出ており、最近だとフランス爆撃を担う四四空母艦隊の『天城』と『伊勢』が雷撃されて中破した。フランスはUボート基地から近いためそこら中に潜んで集団戦術に嵌った艦隊は無視できない被害を受けてしまう。彼らはイギリス本土の海軍基地を間借りした支部に赴き艦の修理と艦載機の補給を行った。艦載機は輸送船団の到着を待たなければならないため暫くは休養が授けられる。零戦はメッサーシュミットを相手に天下無双を演じたが素早く新型を繰り出し対抗するドイツ空軍により次第に互角となった。ただし、イギリス軍と調整が完了して航空基地を得た陸軍航空隊は登場が遅れたことが逆に強みとなり、メッサーシュミットと似た液冷エンジンの一撃離脱戦闘機が急襲している。


「ドイツ・イタリア軍が空挺部隊を投入したクレタ島ですが、内陸に航空基地があり制海権もある日本軍が優勢と聞いています。空挺兵は使い方を誤らなければ強力でしょう。ただし、決して重武装ではないため機関銃と野砲で各所が要塞化されたクレタ島は落とせません」


「次は私がよろしいでしょうか。これは海軍から聞いた話ですが亡命されたフランス艦隊の改装が完了する見通しが立ったようです。それからの習熟訓練を終える7月下旬にはフランス上陸作戦に投入できる戦力になりますが、自由フランス政府のド・ゴール将軍の了承を得なければなりませんので直ちに出撃とはいきませんでした」


「それは誠ですか。戦艦の亡命を受け入れていただいたこと感謝に尽きます」


「上陸兵力の捻出と事前の陽動作戦もあります故に上陸自体は8月から9月までずれ込むと私は勝手に思いました。わが友フランスを解放するため全力を尽くすことをお約束します」


 ソ連侵攻のため東部に戦力を割いたドイツ軍はフランス方面が手薄になりがちだ。薄くなったフランスに強襲上陸を敢行して解放の一歩を踏み出したい。もっとも、ドイツ軍も上陸のリスクを重々承知しておりUボートの警戒線や哨戒機を置き警戒を緩めなかった。実行に移すには入念な準備が要せられて強襲上陸作戦のスペシャリストである日本陸軍でさえ速攻には消極姿勢を採る。海軍は四四艦隊が休養に入って動けずその他は地中海に座してイタリア本土を睨みを効かせる都合で移動できなかった。日本空母の集大成である量産大型空母から成る有馬機動部隊はニミッツ提督の協力で特殊作戦に従事する。これ以外の空母となると二線級の護衛空母しかなく、特TL船及び商船改造空母は輸送作戦向けだった。したがって、航空戦力は四四艦隊の復帰を待つしかない。


 ただ、その代わりと言っては何だが亡命フランス艦隊のダンケルク級が大改装を終えてリシュリュー級も今月中には終えた。両級は日本海軍と共同訓練を行って世界最強海軍に追従できる実力を高める。


「さて、ソ連に目が奪われている間に奴に天誅を加えてやりますよ。アメリカ陸軍も乗り気ですから成功すること間違いありません」


「噂のベルリン空爆作戦の秘密兵器ことドゥーリットル隊」


続く

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