第44話 地獄の峠道ハルファヤ【後編】

 イギリス軍装甲部隊は三手に分かれてハルファヤ峠制圧に向かった。栗林忠道中将の読み通り海岸通り・峠道・砂地にそれぞれマチルダⅡ戦車及び歩兵を投入する。装甲部隊は当初こそイタリア軍の抵抗に遭ったが自慢の重装甲で弾き返し一方的に撃破した。しかし、海岸通りの部隊は一番最初に攻撃の頓挫を余儀なくされる。海岸通りには地雷が敷設された地雷原が設定され、奥で待ち構えていたドイツ守備隊はほくそ笑んで脱出するイギリス兵を狙い撃った。


 そして、ハルファヤ峠本道の戦いが幕を開ける。左右を崖に挟まれて機動戦を封じられた狭隘な道にロンメルは活路を見出した。従来の37mmPak36対戦車砲に88mmFlak18高射砲を紛れ込ませた強力な対戦車陣地を設けて待ち伏せたのである。また、塹壕を掘ってMG34機関銃を並べ自車が撃破されて脱出する敵兵を薙ぎ払う用意が整えられた。左右に展開し辛い地形に強力な対戦車陣地という鉄壁がマチルダⅡを待つが兵器に限らず指揮する人間も極めて優秀な人物が充てられる。


 その名はバッハ大尉と呼ばれた。大尉と階級こそ低いが卓抜された彼の指揮はロンメルも認めざるを得ない。嘗ては従軍牧師として戦ったためか軍人にしては温和で慈悲に溢れる人物であり末端の兵士まで皆が彼を慕った。見た目は中年の紳士で民間人と見間違えるが、真に恐れるべきは彼の防御戦術である。高い士気を糧に峠に地雷原・蛸壺・トーチカ・塹壕を大量に設けた。ただし、その殆どは無人で武器も最小限を置くだけのダミーとしている。本命の88mm高射砲は巧妙な偽装を施して余程に近づかなければ判別できなかった。イギリス軍の攻撃をダミーへ誘導して弾薬を消費させることで「守備隊を撃破した」と油断させる。語るは容易いことだが実行は中々に難しく彼の人望が為す技だ。


 そこへイギリス軍の機甲部隊が突っ込んでしまう。


 案の定、バッハ大尉の防御戦術に苦しめられた。


「くそっ! どこに対戦車砲があるんだ!」


(やられた。私の戦車が引き千切られる!)


「何が砂漠の女王だ! ちくしょうが!」


 上手く地雷原を突破して敵陣地に砲撃を与えたマチルダⅡは「守備隊は壊滅した」と思い込み突破を図る。しかし、突如として激しい砲撃を受け瞬く間に数両が撃破された。撃破された車両の兵士はすかさず脱出するが機関銃の掃射で動けない。行動不能になった車両にも絶えず砲撃が加えられて無敵の強さから『砂漠の女王』と呼ばれたマチルダⅡは一転して単なる的に成り下がった。反撃しようにも対戦車砲が見つからない。偽装が施されていることに加えて高温の砂漠地帯では陽炎という自然現象が発生した。光の屈折が生む空間がゆらゆら揺れて見える現象が発見を困難にする。肉眼では偽装を看破できない上にキューポラから身を出せば狙撃された。よって、車内から観察するしかなく全く捕捉できない。


 バッハ大尉の見事な陣地構築と自然現象が主要な原因となるがマチルダⅡにも致命的な問題があった。歩兵戦車として歩兵を守ることに主眼が置かれ装甲は70mmと分厚いことは褒められる。しかし、いかんせん馬力不足が顕著で何よりも鈍足だった。これでは敵を攪乱できず良い的にしかならない。装甲で阻むと雖も88mmという規格外の大口径砲の前には無力だった。そして、主砲の2ポンド(40mm)砲は榴弾が用意されていない。陣地攻撃に徹甲弾を使用することは誠にあり得ないことだ。榴弾又は榴散弾で範囲攻撃を行うべき状況に対しピンポイントな徹甲弾は代替にもならない。これは戦車兵から盛んに指摘されたが用意は遅々として用意は進まなかった。それよりも重装甲な敵戦車に対抗するべく新型の6ポンド(57mm)砲の開発が優先されている。こうして生まれた歪みは現場に重く圧し掛かった。57mm級の対戦車砲を開発することは否定しないが現場では優先順位が狂ったと怒り、流石に見かねた日本軍が余剰の47mm機動対戦車砲を提供する光景が見られる。日本軍は47mmの小口径でも榴弾を用意しており野砲に比べ低威力だが無いよりかはマシと言えた。


 したがって、ハルファヤ峠に突入したマチルダⅡは撃破されるばかりと思われる。いいや、そうは問屋が卸さなかった。


「間に合わなかったか! ええい、こうなったら照準も何もない! 発射急げ!」


「2分きるぞ!」


 サルームから出撃した自走式臼砲5両が峠に到着した時は既に戦闘状態にある。イギリス装甲部隊の残骸が多数見受けられ歩兵は残骸に隠れ機関銃の掃射から逃れていた。速度を落として悟られることなく辿り着いたが遅かったようである。時間が無いと即座に判断した末に当てずっぽうで砲弾を射出した。57mmや75mmの戦車砲は少しでもズレると効果は大きく減じられる。しかし、自走式臼砲は2両が二十八糎臼砲を搭載して残りは三十三糎ム砲を持った。海軍で言えば戦艦級であり陸軍でも要塞砲級の大口径榴弾のため詰め込まれた炸薬量は半端ではない。37mmPak36はともかく設置式の高射砲である88mmFlak18は簡単に移動できなかった。決定的に機動力に欠けることが勝負を決める。


「撃てぃ!」


 ロケット臼砲のため発射音は意外と小さかった。ロケット発射は砲弾に比べ音が小さいことが地味な利点である。砲弾の発射音が聞こえれば反射的に伏せたり飛び込んだりして回避行動に移れたが、ロケットは限りなく無音に近いため距離が空いているとほぼ聞こえなかった。ましてや、激しい砲撃を続ける陣地のため耳は実質的に麻痺して砲弾を音で知れない。


 28cmと33cm榴弾の威力たるや凄まじく筆舌できなかった。めくら撃ちだが丁度良くばらけてくれた榴弾はドイツ軍対戦車砲陣地に突き刺さる。着弾と同時に炸裂した砲弾は周囲数百メートルに衝撃波を及ばせ、懸命に構築した陣地は一撃で大半が破壊されてしまった。軽量な37mm対戦車砲は爆風で拉げるかひっくり返り、必殺の88mm高射砲は辛うじて姿を保つが10名以上の兵士が殺傷される。


「次弾急げ! この峠の地形を変えるまで撃ち尽くす!」


「おりゃぁ!」


 装填作業は2分を要するところ半分の1分にまで短縮した。補助装填装置と猛訓練の賜物だがイギリス戦車隊を助ける想いが火事場の馬鹿力を引き出す。あまりの一撃に呆然とする暇も無く唸り声をあげて砲弾を装填した。しかし、ドイツ軍も負けじと生き残った兵士が機関銃を手に取って猛射で抵抗する。対戦車砲は複数の人員が必要なため単独で使用できる機関銃で戦った。3両にまで落ち込んだマチルダⅡの背後に位置するがオープントップ式で丸見えであり機関銃は対戦車砲よりも脅威となりうる。


「舐めるなぁ!」


 時折弾が掠めていくが根性で装填した。幸いにも自走式臼砲は平べったい形状のため被弾面積は小さい。短砲身でも防盾を持つ28cm臼砲は33cmよりも(団栗の背比べだが)防御力に優れて機関銃を無効化してくれた。33cmは弾がむき出しである以上は誘爆の恐れが強く二度目は控えている。


 2回目の砲撃は抵抗を続けるドイツ兵を地形ごとふっ飛ばした。元が要塞砲のため威力はお墨付きとなろう。マチルダⅡ3両は正体不明の支援砲撃を友軍と断定して突撃を再開した。敵の対戦車砲が沈黙している隙に殴り込んでゼロ距離戦闘に持ち込み一発も撃たせない。兵器を動かす人員を大幅に削られたドイツ軍は抵抗虚しく突入を許し車載機銃の掃射で撃ち抜かれた。更には突入を確認した自走式臼砲が後方に砲撃して退路を塞ぐ。


 まさにハルファヤ峠は地獄の峠道であり一連の戦闘は『劫火のヘルファイア峠』と名付けられた。地獄の砲撃を掻い潜ったバッハ大尉は全軍に撤退を指示するが後退できないことを悟ると被害を食い止めるため降伏を選択する。守備隊は多くの兵士が死傷して37mm対戦車砲は予備を残して全滅した。88mm高射砲は形こそ保ったが射撃不可能に追い込まれている。イギリス装甲部隊は最後まで生き残ったのは僅か2両で10両以上が撃破された。自走式臼砲は被撃破こそないが搭乗員の一部が銃弾を受けて負傷している。


 自走式臼砲が追いついて機関短銃を構えた戦車兵を迎え入れたイギリス装甲部隊はバッハ大尉と面会した。条約に基づく処遇を要求するまでもなくバッハ大尉以下の捕虜は厚遇が約束される。これだけの見事な防御戦術に対して最大の称賛を与えた。そして、後続の救援部隊が到着次第に身柄を引き渡して日本へ送還される。日本は前大戦時にドイツ兵捕虜を扱った経験があった。イギリスに比べ丁重に迎えることが可能で身の安全を保障する。


 バッハ大尉は想像以上の厚遇に思わず理由を日本兵に尋ねた。


「我々は武士道精神を持っている。死力を尽くして戦った勇者に無碍な真似はできない。誠に見事なり」


「完敗だ」


 ハルファヤ峠は陥落したがドイツ・イタリア軍の包囲は解けない。ここで遂にロンメル軍団と島田戦車隊及び栗林機械化砲兵師団が撃つとした。


続く

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