第24話 マルタ急行作戦【前編】

7月下旬


 ヴィシー・フランス政府の成立によって北アフリカはドイツの勢力下に入りイギリス領と接することになった。ドイツは地中海と紅海を結ぶ要衝であるスエズ運河を奪うためイタリア軍と共に北アフリカ制覇作戦を立案し実行を待つ。もっとも、発動に際して地中海の制海権と制空権を奪わなければならなかった。現在の地中海の情勢だがジブラルタル大要塞やアレクサンドリアを擁するイギリスが優勢である。しかし、中間地点であるクレタ島とマルタ島を落とせば港湾施設が手に入り海軍が補給を受けられ、空軍も飛行場を入手すれば前線基地としてイギリス領北アフリカへ爆撃を可能とした。マルタとクレタが落ちればあっという間に変わってしまうだろう。


 ギリシャ侵攻でクレタ島は危機に瀕したがイギリスが進駐し、且つスエズ運河を日常的に使用する日本軍が同盟を盾にして増援として進駐した。イギリスは北アフリカ戦線の防衛に専念する都合で兵が足りないため、日本軍が増援と称してクレタ島に大規模な兵力を設置して実質的に支配している。戦国時代の出城の思想を思い出した日本軍は何ら妨害を受けない紅海ルートで大量の兵員と武器弾薬、食料・医薬品を輸送船団で送った。


 イタリアとドイツによる空襲や潜水艦の襲撃が与えられるが潜水艦に対しては海上護衛総隊が地中海まで進出して抑える。敵空軍に対しては足の長い海軍の航空隊が特設空母から直接クレタ島まで輸送されるとクレタ島航空隊が設立された。最新型の零戦は無類の強さを誇りイタリア空軍を圧倒しては徹底的に痛めつけている。そして、ドイツ空軍の出撃を引きずり出したが変わらず殲滅を繰り返した。ヨーロッパから遠く離れたアジアの国の戦闘機は衝撃的であり何もかも異なって直ちに対応できない。そうして有効な対策を講じることができずにバタバタ撃墜されていくばかりだった。しかし、戦闘が激しいことに変わりなく消耗が続き戦線が北アフリカに移ったのを理由に大規模な輸送作戦は拡大を続けている。制空権を確保していれば輸送船団は安心して物資を届けられるのだ。イタリア空軍もドイツ空軍も爆撃機はやや古くて零戦の敵ではない。護衛機も足が短いため機動戦に引きずり込めば燃料不足で勝手に自滅した。仮に撃墜されてもクレタ島から小型艇が救出に赴き、時にはイギリス潜水艦が自主的に救出活動を行ってくれる。やはり持つべきは友なのだった。


 クレタ島が盤石の防空体制と対潜態勢に補給線が構築されていることはご理解いただけるだろう。問題は小さいながらも最大の激戦地であるマルタ島だった。ここはイタリアとドイツから近いこともあり、特に激しい空爆が加えられてイギリス軍は孤立無援の状態にある。備蓄していた物資は消費しなくても破壊されてジリジリ追い詰められて陥落の時は近くなった。直ちに輸送作戦が行われたが案の定でUボートや空爆が妨害する。物資の大多数が海に沈んでおり僅かしか輸送できず焼け石に水が適用された。これではマルタ島が陥落して北アフリカに自由に爆撃を行えて一挙にアレクサンドリアからスエズ運河まで直接攻撃の危険度が高まる。陸に空と海が加わった三方面の直接攻撃に耐えられるような土地は存在しなかった。


 マルタ島の危機に対して日本海軍は旧式艦を使った急行作戦を提示して即時で了承される。速力で劣る輸送船団は制海権と制空権を完全に確保した中でなければ送れなかった。クレタ島までなら大量生産される戦時標準船が運行可能だったがマルタ島は問答無用で撃沈される。当初から輸送を考えていない旧式艦では運べる量が限られても高速性を活かして潜水艦と空襲を回避できた。もちろん、支援のためクレタ島から海上護衛総隊と基地航空隊が出撃して妨害の低減を試みるが最前線のため過度な期待は禁物である。


 そんな緊急の輸送部隊を率いるは水雷戦隊の匠だった。


~マルタ急行部隊~


「これが水雷戦隊の行う仕事かと思うと少し複雑です」


「仕方ないだろう。マルタ島の状況は想像以上に悪くて水と食料が尽きれば戦わずして屈服してしまうのだ。我々が危機を潜り抜けて物資を届けなければイギリス軍は壊滅するぞ」


「はっ。重巡の価値が薄まって高速輸送艦に再利用された古鷹と加古、青葉と衣笠の姿には哀愁を覚える程度にしておくべきかと思います」


 マルタ急行部隊が緊急の輸送部隊である。旧式の重巡を流用した高速輸送艦4隻が物資輸送を担って、護衛に特型駆逐艦8隻からなる水雷戦隊が囲んで守り切った。更にSボートとUボートの対策で夏型水雷艇が動き回ってソナーを効かせる。


 輸送艦は条約前に建造された旧型の古鷹型とその改良型である青葉型が高速輸送艦に転用された。重巡の価値が航空巡洋艦により減じて水雷決戦思想に置いてけぼりにされたことが止めを刺している。旧式の4隻は練習艦に格下げとなったが輸送艦のひっ迫が予想されて高速輸送艦に改造された。主砲から副砲まで全てを撤去して弾薬庫を倉庫に変えて大量の物資を積載し、自衛用として最小限の高角砲と対空機銃のみを有している姿は寂しさを覚える。どうしようもなかった。ただでさえ世界一を誇る日本海軍のため旧式が生き残る術は第一線を退き補助に回ることに尽きる。大なり小なり改修はあれど真っ当に現役を務めている艦は金剛型戦艦しか存在しなかった。皮肉にも高速戦艦として速力を求めた金剛型は老齢なれども現代に合致し空母護衛に適して日英同盟艦隊に参加して里帰りする予定が組まれている。


「間もなく日が沈みます。夜のうちに揚陸したいところですがイタリア海軍の行動が気になり…」


「確か重巡洋艦を主とした阻止部隊が確認されたとね。彼らも必死だよ…」


 のうのうと水雷戦隊の司令官は綴るが凄みを感じざるを得なかった。誰もが緊張を余儀なくされる地中海という全ての国が入り混じる魔の海で冷静にしていられるだけで恐ろしい。鈍感なのかと訝しく思うかもしれないがこの方は後に野戦のスペシャリストとして友軍を含めた世界の海軍を恐怖のどん底に突き落とした「水雷戦隊の鬼」と評された。


 マルタ急行部隊は昼間は敢えて滅茶苦茶な航路を採り絞らせないが夜間では一気にマルタ島へ接近している。夜になってしまえば猛訓練を重ねて来た自軍に勝機が大いにあり、且つ小型の水雷艇も肉迫雷撃の可能性が高まった。


~深夜~


「ここからマルタ島まではどれくらいかね?」


「30ノットの最高速で突っ走れば日が昇る頃には到着するはずです」


「何かおかしいと思うんだ。どうだろうか、思い切って分離しては。先にマルタ島へ水雷戦隊を向かわせて残った輸送部隊は急ぎつつ迂回させる」


「かなり危険ではありませんか。夏型水雷艇は敵Sボートと殴り合える力がありますが駆逐艦がいませんと」


「どうも匂うんだ…イタリア海軍の動きがね」


 司令官はいつにも増して鋭い。というのも、イギリス海軍の潜水艦がイタリア本土近海の哨戒活動を行うと港に閉じこもっているはずの艦隊が消えたことを確認した。二週間前の海戦を受けてイタリア海軍は損害を恐れて閉じこもったにも関わらず出撃しているではないか。どうもマルタ島への輸送作戦を知って動いた雰囲気を感じ取ると直ちに情報を共有した。


 そこで司令官はイタリア艦隊はマルタ島周辺に展開して輸送船団発見の報が入り次第に急行するのではないかと読む。待ち伏せていると読んで敢えて艦隊を分離して突っ込ませ、同時に輸送部隊は最高速で迂回させて戦闘の間に入港させるのが好ましいと考えた。しかし、艦長が言う通り危険な作戦であり水雷艇だけに護衛を任せることは博打と思われる。


「いやぁ、どうせ駆逐艦がいては発見されることは時間の問題だよ。ならば水雷艇と輸送艦だけでマルタ島まで迂回しながら全速力で突っ込ませた方がいいかもしれない」


「なるほど島津の前進撤退のように意表を突くわけですか」


「そうとも言うのかな」


 奇想天外な分離戦術は直ぐに伝達されて輸送部隊と護衛水雷戦隊は二手に分かれた。前者は高速輸送艦と水雷艇が最高速の30ノットで迂回しながらマルタ島まで驀進し、後者は通常航行でマルタ島に突入する格好で同島を目指している。当然ながら水雷戦隊の方がイタリア艦隊に発見されるリスクが高くなるが精鋭は恐れを知らなかった上に全滅してもマルタ島まで輸送部隊が届けば万歳を三唱した。


「果たして鬼が出るか蛇が出るか試してみようじゃないか」


 後世にこの分離の決断は大英断と称えられ海の魔物の異名が与えられる。


続く

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