第二次世界大戦

第14話 ポーランドの犠牲

 1939年9月2日 


 ナチス・ドイツは突如として東の隣国ポーランドに侵攻を開始した。ドイツの拡大政策の実行は前大戦時の重すぎる代償が理由であり、彼らに代償を課した各国は一定程度は許容する宥和政策を展開して黙認している。しかし、それは時間稼ぎに過ぎず宥和政策の最先鋒だったイギリス首相チェンバレン氏の目論見は見事なまでに外れた。ドイツはソ連と不可侵条約を結びポーランド分割の密約を盾に侵攻したのである。いくらなんでもポーランド侵攻は許されないとして一部を除き大国は宣戦布告の用意を始めた。


 これを受けて大日本帝国は準戦時体制への移行を宣言する。部分動員令が発せられて予備役兵士や退役した老練な将校が招集された。また、軍に対して物資が集中される。総じて民間経済が圧迫されて不足する物品はイギリス領(高度な自治領)、フランス領、オランダ領からの輸入を増やして賄うことにした。貿易が赤字になる危険を孕んだが行く行くは日本の円ブロックというアジア大経済圏に穏便に組み入れられることが確定的とされ一時の一過性であろう。


 日本外交は欧米諸国と毎日連絡を取り合った。特に30年以上の歴史ある日英同盟を基にして次期首相が確実視される有力議員のチャーチル卿とパイプを固くしている。具体的な成果としてチェンバレン現首相の意向を無視した日英海軍の地中海航路維持の共同作戦が挙げられた。他にもドイツと国境を接して危険なフランス及びオランダとも一定の事項が発生した場合の条件を付けた密約を結ぶ。


 日本外交の集大成として本日は各国代表が一堂に会しての会談が開かれた。特筆すべきは駐日アメリカ大使のジョセフ・グルー氏が参加することだ。グルー氏は史実でも知日派の人物であり太平洋戦争回避に尽力して戦後は日米友好に務めた御仁だろう。今世では日米の衝突は日英同盟により余裕で回避されているが、アメリカは日本を軍縮条約で罠に嵌めようとした狡猾な外交のため関係は良くも悪くもなかった。単なる国際的なビジネス的な付き合いで収まる。しかし、グルー氏は大使として日米関係を深めようと努力した。


「アメリカ本国は未だにモンロー主義を固持して動こうとしません。ただ、大西洋でドイツ海軍の動きを抑えるため商船護衛のパトロール行動は行うと表明する予定ですがそれ以上は何も無く」


「ポーランドからは再三にわたり救援が求められているがイギリス本国は迷っている。チャーチル卿は即時の宣戦布告とドイツ攻撃を訴えているが、チェンバレン首相は黙りこくった」


「フランスも自国を守ることで精一杯である。マジノ線の防御を固めているが迂回される危険を理解していないようだ。ネーデルランドの軍は?」


「正直なところ無理だろう。陸上戦は自然を活用した遅滞防御を繰り返すことは可能だが装備は遥かに劣った。イギリスから援軍をお願いしたいが」


「現首相は間違いなくNoを立てる。チャーチル卿が首相になる頃には分からないが、その頃にネーデルランドが持っているとは限らない。それはあなたが最も理解されているはずだ」


「えぇ、とても確実性の高い分析です。これでもリアリストを自称していますから拒絶は既にゴミ箱の中に」


 参加したアメリカ大使、フランス外交官、オランダ大使、イギリス外交官は一様に厳しいことを共有し合った。


 海でヨーロッパと隔てるアメリカとイギリスは手出しを迷った。アメリカは伝統的なモンロー主義を堅持して対ヨーロッパ中立を貫く。ただし、中立国の船でも容赦ないドイツ海軍を警戒してかアメリカ海軍にパトロール出撃を命じた。イギリスは一番近いため動員令の発動や食料の配給準備など戦争準備を進めてこそいるが即座の開戦を迷う。宥和政策を展開した副作用が回り回って長い迷いを生じさせた。幸いなことは次期首相を確実視されつつ現行の内閣への入閣も期待されたチャーチル卿は強行を訴えている。


 大地で接するフランスとオランダは防衛線を構築し始めた。フランスは前大戦の経験からマジノ線という超大規模要塞を建設して侵入に備える。鉄壁と自負する防衛線は皮肉にも迂回されるリスクを抱えた。私的に参加した外交官はシャルル・ド・ゴール将軍からの陳情を伝えた。このままではフランスは要塞を無効化されてパリまで一直線であると述べる。続いてのオランダ大使は私的な意見を綴った。オランダ本国は自然を活用した防衛線を構築して遅滞防御を選択しており、イギリスとフランスから援軍を得て弾き返そうと画策する。しかし、オランダ軍は装備で劣り近代戦の経験も浅かった。真っ当に大規模な近代戦の経験があったのはドイツ、ソ連、日本だけだろう。ドイツはスペイン内戦への介入であり日ソはノモンハン事件があった。したがって、オランダは自国だけでは勝てないと考えて英仏に援助を求めるが首は横に振られる。フランスは直接侵攻の恐れがあるため余剰戦力が無く、イギリスは現首相が宥和政策を展開した都合で動き辛かった。もっとも、イギリスはチャーチル卿に期待したが時期的にオランダが難しい。


「となると…」


「大日本帝国は日英同盟を盾にして帝国海軍の対潜艦隊をセイロン島に派遣しました。ここを拠点にアラビア海から紅海にかけてドイツ海軍の動きを封じ込めます。イギリスの対ドイツ宣戦布告が行われれば同盟を理由に立てて大艦隊を地中海及びイギリス方面に配置させましょう。ただし、陸軍はヨーロッパ航路を完全に確保しなければ不可能です。ソ連の動きも気になるところでして」


「いえ、理解しておりますよ。海軍を出してくれるだけ素晴らしいことです。アメリカには期待できない以上は日本の力を借りるしかありません」


「誠に申し訳ない」


 若干刺されたグルー氏だが事実のため否定せず素直に謝罪した。モンロー主義はアメリカが超大国である証だが日本の鎖国のように世界に遅れる危険を有する。もちろん、被害無くして勝つことは最善だが甘ったるい話に尽きた。グルー氏は懸命にも独自に動くと日本とパイプを繋ぐことに成功して更に軍同士の連絡に昇華させている。政治や外交を排した軍同士の絆は固くあり日米海軍は伝統的な交流が組まれた。


「このドイツによるポーランド侵攻を受け我が国は天皇陛下に上申し緊急事態条項を適用します。緊急事態条項を発動させ内閣を緊急的に変え新しく幣原内閣を発足させる予定です」


「緊急時に際して機敏に動けることは良き事ですな。厳しい言葉になりますがチェンバレン首相には早く腹を括ってもらいたいものだ」


「いち早くチャーチル内閣を組まなければ勝てません」


「なんとも、日本のリーダーがバロン・シデハラなら心強いことこの上ない」


 総合戦略研究所は対独戦略を立てるとアジアを含めた諸外国の極僅かな親友や陸軍と海軍の将校、有力議員など入念な根回しを経て天皇陛下に上申を行った。ヨーロッパで二度目の大戦の兆しありとして緊急事態条項を発令して内閣の編纂を行う。ネガティブな辞任ではなくポジティブな編纂だ。総理大臣には現外相の幣原喜重郎男爵を起用し次期外相に吉田茂氏を登用する。第二次世界大戦対策の内閣である以上は国内向けの大臣は大半が留任するが、陸軍大臣は阿南氏が海軍大臣は米内光政氏が就任することになった。


 なお、唯一幣原喜重郎外相が男爵なのは天皇陛下から爵位を授与されたからである。日英同盟の維持から軍縮条約の締結を経て諸外国と友好関係を維持した外交の功績を高く評価された。また、欧米の外交官からも絶対の信頼を得ており日本の外交を数十年も支え続けている。平民から貴族の男爵まで実力と結果を以て駆け上がったが、これからは総理大臣として日本を引っ張ることになった。幣原男爵が展開する『幣原外交』は現代史に爛々と輝き刻まれるだろう。


「内閣改造と言えばです。おそらく、チェンバレン内閣はその場しのぎでチャーチル卿を一先ずは海軍大臣に就任させると思います。卿が就けば直ちに日本海軍へ全面支援を約束して地中海及びイギリス海域を自由に動ける無条件・無制限の通行権を授与する」


「是非ともお願いします。精鋭空母艦隊を送り込みますので」


 日本軍はヨーロッパ派遣に海を通る都合で緒戦は海軍が主役とならざるを得ない。ドイツのUボートや仮装巡洋艦を排除するため、先に海軍の海上護衛総隊が露払いをした。航路を万全にしてから大艦隊や輸送船団が護衛総隊の護衛を受けつつ各地へ向かった。特に地中海はスエズ運河を抜けた先に大拠点アレキサンドリアがある。ここで輸送船団が重武装の陸軍を降ろして将来的なアフリカ戦線に参加する予定だった。流石にヨーロッパ強襲上陸は難しいがアフリカ戦線ならば十分に参加できる。紅海とアラビア海を既に確保済みのため日本の補給線は盤石が確立された。もっとも、念のために海軍が継続的に動き回る。


 この後も熱論が繰り広げられたが最後に日本側代表の総合戦略研究所二木が言い放った一言で場は静まり返った。


「長々と話して来ましたが、どうしてもポーランドは救えませんな」


 誰も何も言い返せない。


続く

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