第11話  チャーチル卿来日

1939年 1月


「いずれチェンバレン首相の宥和政策も破綻しドイツは調子づくことになります。そうすればチャーチル卿が政権を握ることに」


「えぇ、その時が楽しみですよ。だが、ドイツはズデーテン地方を併合するだけでなくチェコ丸ごとを奪い取ろうとしている。しかも何を思ったのかポーランドまで奪おうとしている」


「領土的な野心が滾っておるようで、我が国としては大変憂慮しておりますが手を出せず」


「いや、そうでしょう。全く責める気は無く、むしろありがたく思っています」


 激動の年が続いた。アジアは変わらない平穏を保ち日本は重工業化を進めながら農業も忘れない安定的な小幅の成長政策で発展し、条約が無効化されたことと合わせて海軍の大拡張を果たしている。陸軍も対ソを念頭に置いて中国軍と組んで大満州軍を結成した。武器弾薬は中国工業地帯から送られて何ら不足は生じていない。食料は中国で現地を尊重した大規模農業を推し進めさせて生産量を押し上げ食糧事情を改善しつつあった。そんな発展が続く日本の地を訪れたのがイギリスのウィンストン・チャーチル卿である。


 現在のチャーチル卿は有力議員止まりで現行のチェンバレン内閣に入っていなかった。現在のチェンバレン内閣は対ドイツの宥和政策を展開している。よって、強烈な反ドイツ派の首領たるチャーチル卿を入れると内閣に不和が生じかねなかった。チェンバレン首相はチャーチルを事実上干している。それでも有力議員であることに変わりなかった。また、防空委員会に所属して軍事研究に携わることで各軍に図太いパイプを形成して軍から指示も厚くある。次の首相チャーチルとの見方はかなり一般的だ。


 もっとも、割と自由な立場でもある。だから日英同盟が締結から35年を迎えた祝賀で来日することを可能とした。彼は日本海軍の厚意により最新鋭の四四艦隊や新型機の演習を最高クラスのS席で見学する。各地で想像以上の大歓迎を受けたチャーチル卿は感激した。だが、彼が来日した本当の狙いは日本の裏の政府と秘密会談を行うためらしい。


 今こうして政治部門の二木と対面した。


「踏み込んでお聞きしますが、あとどれくらいですか」


「あなたが一番お分かりではありませんか。ミスター・フタキ」


「ははっ、そうかもしれません。なんせ我が国はヨーロッパを冷静に客観視できますからね。そうですなぁ、あくまでも私の勝手な見立てになりますが」


「構いません。いかなるバイアスを排除した意見をお聞きしたい」


「率直に申し上げて1年から2年の間だと思います。宥和政策で時間稼ぎを成功したことは賛否を言わずに単純に置いておきますが、所詮は小国を犠牲にしただけに過ぎないと評さざるを得なかった。諜報員の話ではドイツはソ連に接近してポーランドを分け合い、次にフランスに攻め込もうと戦略を作成していると聞きまして」


「お見事。私も全く同じことを考えました」


 チャーチル卿と二木は完全に一致した。ドイツは1年から2年の間で準備を整え終わって東はポーランドへ西はフランスへ攻め入ると予想する。これは両者共に独自の情報網から得た断片的な情報を基にして作り上げた。綺麗に一致するとは思わなかったが、どちらにせよ来年にはヨーロッパで大爆発が発生することを否めないのである。


「接するオランダとフランスはより一層に警戒を引き上げて侵攻に備えています。耐え切れるでしょうか」


「まず無理です。これは私の勝手ではなくて、知り合いの軍から言われたことですから間違いありません」


「それはまずいことだ。何よりも貴国が危ぶまれる」


「はい、嫌な予測を」


 余談だがフランスとオランダとの関係も極めて良好である。現在のイギリスと日本は日英同盟で強固に結ばれたが、オランダとフランスが良い意味で便乗してきて広義では『日英仏蘭四ヶ国同盟』と呼ばれた。この同盟内で各領地を含めた大規模なブロック経済を行って誰も置いていかない経済復活を遂げている。ブロック経済は自由主義に反するが各ブロックが連結することで自由主義と保守主義を兼ねた。日本は唯一の経済成長を遂げる糧となり資本主義国で最高の成長率を記録している。国内は道路や鉄道など基盤が整備され、全国各地に工業化が波及し中小工場が乱立し穏やかな軍拡を確立した。


 話を戻す。


 ヨーロッパから遥か遠くの日本が最も安全であり、イギリスはヨーロッパ圏内だが海を隔てた島国のため守り易い。しかし、フランスとオランダは大陸の一部として陸地で接した。つまり、ドイツが攻め入るのは簡単であり最悪はあっという間に制圧されかねない。オランダはともかくフランスはマジノ線と呼ばれる要塞線が構築されているため簡単には突破できない希望的観測が存在した。いや、史実を知る二木ら総合戦略研究所はフランスが長く持たないことを理解する。そして、最終的にはゼーレヴェでイギリス本土が直接侵攻を受けてしまった。


「仮に火薬が爆発した際は前大戦時よりも大規模に我が海軍を派遣する用意があります」


「素晴らしい! 陛下がお喜びになる」


「無論、貴国から自由な許可さえ頂ければの話です。紅海を通りスエズ運河から地中海へ、アフリカを迂回してイギリス海峡からドーバー海峡にかけて展開する用意があります」


「なんと、地中海に限らずイギリスの防壁になってくれると言うのですか」


「私は友を失いたくないのです。それに守る一方ではない。時には反抗に転じてドイツ本土を叩く」


 これにはチャーチル卿は驚きを隠せなかった。確かに前の大戦時には日本は海軍を派遣してイギリス海軍を支援した過去がある。しかし、それは主力級ではなく駆逐艦など補助的に収まったが今回は艦隊を派遣するのは突拍子もなかった。更に主力級はイギリスとドイツの間に挟まって海上要塞線を構築すると言うのだから驚いても仕方ない。イギリス海軍は栄光ある伝統で強大だがドイツにはUボートと空軍が存在し海軍は一方的に撃滅されてもおかしくなかった。イギリスは島国のため海軍を削られると極めて厳しい。したがって、防衛に日本海軍が加わってくれると百人力と大いに安心できた。彼は軍とのパイプを使って日本の海軍の状況をよく知り、演習を見学して自海軍以上だと確信するに至っている。日本海軍は戦艦を空母に改造することで瞬く間に大空母艦隊を形成し、条約無効化後に新造された大型及び中型の空母をずらりと並べていた。その他にも多種多様な軽巡洋艦と駆逐艦を大量建造し続け新時代の海軍を思わせる。


 説明こそなかったが派遣された空母はイギリス海峡からドーバー海峡まで展開するつもりだった。Uボートと並ぶ懸念事項のドイツ空軍を抑え込むためである。陸上基地から発進した爆撃機は空母の艦上戦闘機の迎撃を受け撃退された。仮に撃退できなくても数をすり減らし且つ疲労した状態で本土に侵入することになる。そして、二度目の迎撃を受けバタバタ撃墜されていった。最低でも強力な二重の防衛線が張られてイギリス本土防空は強化される。他にも本土上陸を防ぐ海上トーチカやUボートの活動を制約する機能が与えられた。日本海軍は条約逃れの手段で珍妙な巡洋艦を複数隻建造したが、チャーチル卿は直感で対Uボートの切り札だと察している。持つべきものは友であることを再確認する見学だった。


「対価は求めたくありませんが、あいにく我々の拠点は一つもありません」


「もちろん、燃料と弾薬、食料は無制限に提供させます。もし、嫌と言う者がいれば即刻左遷します。なに、そこまでされては私も一肌脱ぐしかありませんなぁ。ただ、本当の願いはそこではないはず。私には分かりますぞ」


「ご明察です。ただ、貴国にはさして関係のない話ではあります。実はフランスとオランダ両国の海軍に伝えて欲しいことが」


「それは?」


「もし両国がドイツに屈服することになり海軍が編入されるような事態があれば、我が海軍の保護下に入るよう促して欲しいのです。オランダ海軍もフランス海軍も馬鹿にならない戦力のため、貧弱海軍のドイツに渡るような事があれば対抗できません」


 卿は少し考える素振りを見せたが意外とあっさり承諾の意を示す頷きを以て返した。軍に精通するため二木の主張は理解できる内容だろう。流石に尽きるチャーチル卿の理解力は二木が隠して込めたことを隅々まで把握してしまった。


「仰りたいことは理解できます。敵軍に強力な艦隊をむざむざ明け渡すならば、逃亡を支援してから保護して手駒としたい。自沈させてしまう手段もありますが駒を戦わずして捨てるのはいかにも勿体無いことだ。確かに理解できることです。わかりました、私の方からそれとなく伝えておきましょう」


「ありがとうございます。内容が内容ですから我が国が直接言うことではなくて」


「そうでしょうな。しかし、私からすれば生温いと思います。どうせなら、浮足立つアジアの領土を日本へ統治を委任することを挟み独立させることを提案すればよろしい」


「いや、なにもそこまで…」


 今度は二木が困惑する番だったがチャーチル卿は本気である。良くも悪くもアジアには興味が無いようだ。日本と手を結ぶことに積極的なのは日本が異例の近代国家になり、今や五大国を構成するまで世界に名を轟かせた正真正銘の大国だからと断じよう。イギリスから吸収した過去から国も割と似通っていて意外と親近感が沸いた。そのような背景があると雖も衝撃的な提案なことに変わりない。


「ドイツと戦えばフランスもオランダもアジアに目を向けている暇はない。屈服して領土を献上するぐらいであれば仲間に預けた上で独立させるのが最も丸く収まった。インドの情勢から各領地では日本による独立を求める声が多いことは知っています」


「ほう…チャーチル卿」


「なにかな」


「あなたは天下の宰相となりますか」


 チャーチル卿は不敵に笑った。


「ミスター・フタキこそ、フィクサーなのだ」


 いかにも楽し気な秘密会談はまだまだ続いた。


続く

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