第2話 ワシントン海軍軍縮条約は形骸に過ぎず

1922年 2月7日


 ワシントンでは軍縮の流れに応じて海軍軍縮条約が締結された。主力戦艦の保有比率が懸念されたが日本海軍の反発は起こらず終了する。と言うのも、イギリスの全面バックアップを得て交渉を有利に進めたため比率はアメリカとイギリスが5に対して日本は4と若干少ない程度であり普通に呑み込める内容で収まった。しかし、それでも1は足りないため日本側は補助艦艇について英米以上を主張して承認される。制約こそあれど保有数はかなり確保されていわゆる条約型巡洋艦が建造された。


 しかし、それは全てダミーに過ぎない。イギリスと入念な打ち合わせを経て日本海軍は主力の大転換を図った。これからは空母決戦へ舵を切りつつ軽巡及び駆逐艦を大量建造する水雷戦を同時並行させている。潜水艦についてもドイツ海軍Uボートを非合法手段で入手し研究を進め大幅に拡大することになった。


 この考え方は総合戦略研究所が策定している。


「戦艦は確かにロマンがあって強力ですが極めて燃費が悪くありますからね。一隻作るだけで大変な苦労を伴って資材も金もぶっ飛んでいきます。しかし、軽巡と駆逐艦ならば安上がりで大量に建造できました。鋭意研究中の魚雷と合わせれば戦艦を一撃で撃沈できる。もちろん、潜水艦も大量に揃えて太平洋からインド洋、大西洋を制覇するのですぞ。ただし、それでは心もとないことは否定できませんので我々は世界に先駆けて空母を揃える」


 海軍から総合戦略研究所に加入した若き士官はこう述べた。この意見を採用してワシントン海軍軍縮条約に臨み戦艦は抑える代わりに補助艦の保有比率の増加を認めさせる。当初は案の定でアメリカが渋ったが主力戦艦を抑えるバーターでやむなく認めるが条約の制約を遵守することを強く求めた。しかし、最初から条約は形骸化しており日本海軍は巧妙な偽装を以て条約を破った軽巡と駆逐艦を多数建造している。


 それは定期的に開催される研究所の会議で専ら話題となった。


「小型艦ならば実験艦や哨戒艦、海防艦など欺瞞が利きます。監視の目を躱すため重巡洋艦は遵守しますが軽巡と駆逐艦は強力な雷装を持った艦を建造する予定です。幸いにもイギリス領から大量の石油と金属がもたらされるので計画は順調と」


「空母は?」


「いくらなんでも世界初の試みなので一旦は試験的な艦を建造し、そこから順次拡大と発展をさせていきます。資材は廃棄となった巡洋戦艦を流用し無用な出費を抑えました」


「なるほどな。そんで、条約を守ったと見せかけて大型空母を建造できる見込みが立つ」


「オーストラリア政府も積極輸出に前向きで資材はたっぷり。後は技術的な成熟さえ待てば可能と」


 日英同盟はイギリスだけの話ではない。オーストラリアも乗って同盟に準じている。オーストラリアは石炭から鉄に代表される金属類が大量に眠る資源大国であり、正当な交易を大前提にした積極輸入を打診するとあっさり快諾された。日英同盟の存続は戦争無くして太平洋一帯に絶大な影響力を発揮している。アメリカが抵抗したのも理解できるだろう。フィリピンは南洋諸島と東南アジアに、ハワイもオーストラリアが下にいて日本と挟み込まれた。ある意味で外交的な包囲網に置かれている。素直に関係改善を図ればいいが市民からは見えぬアメリカーナが足を引っ張る。


 話を戻して海軍発の研究員は空母建造は時間を要することを述べたが、条約型巡洋艦/駆逐艦は直ちに大量建造が可能と断言する。しかし、当然ながら条約型は制限がかかった。そこで表向きこそ条約型の建造を進めてちゃんと遵守しているように見せかけて、制限を無視した重武装の巡洋艦及び駆逐艦に潜水艦の大量建造計画を切り札にしている。戦艦は資材の投下量からして暴露され易かった。巡洋艦以下の小型艦は適当に標的艦/実験艦/病院船/海防艦/訓練艦/掃海艇etc…と称して誤魔化せる。更には中華民国側へ輸出するという言い訳も成立した。なお、空母は大型で分かり易いため民間の貨物船/客船と称して隠す。


「戦艦は陸奥で終わりでよろしくお願いいたします。反発はあるかもしれませんが…」


「いやぁ、ご心配には及びません。論理的に説明すれば納得させられましたから。それに海軍内でも戦艦の主砲が届かない距離から攻撃できるアウトレンジ戦法に魅力を感じたようでして意外と乗り気です。荒療治の甲斐があったと私から改めて感謝申し上げます」


「陸奥を建造することによってアメリカは3隻の戦艦を作る羽目になった。無駄とは言わんが航空戦力を下に見ていることは変わらない。我々はリードしている」


 日本海軍の戦艦は長門級2番艦陸奥で終了することになったがギリギリ認めてもらった。その代わりでアメリカはコロラド級戦艦3隻を建造をすることで落ち着いている。普通は数の差が生まれる由々しき事態だが彼らは罠に嵌ったとほくそ笑んだ。既に日本海軍は航空戦隊及び水雷戦隊を主兵とする方針で固まっている。狂信的な大艦巨砲主義は廃れた。大艦巨砲主義の信者は論理的に丁寧に説明すれば納得してくれ、戦艦の射程より長い航空戦力を以て一方的に攻撃するアウトレンジ戦法は魅力的として鞍替えする。つまり、アメリカは旧態依然とした思想に取り憑かれた。


「戦艦を1隻造る資材があれば多数の軽巡と駆逐艦を建造できます。しかし、対潜に特化した艦も必要と考えられました。そこでなんですが、こちらをご覧いただきたく思いまして」


「ほう」


 若さはいいものである。有り余る気力を注ぎ込み二木らが予想していない提案を見せる。なお、総合戦略研究所は年齢層こそ幅広いが年長者優遇は一切存在しなかった。若手だろうと年長だろうと皆が平等公平でバイアスを徹底的に排除する。何かを閃いた提案は誰にもで与えられた当然の権利だった。


「これは随分と野心的な」


「対潜巡洋艦と仮に名付けていますが、航空巡洋艦とも言えます。どうぞ、お好きなように」


「艦前部に主砲を配置し後部は更地とするが水上機か」


「はい。水上機を満載して対潜警戒から攻撃にまで従事させます。航空戦艦は不要の長物でありますが艦隊に随伴する対潜航空巡洋艦は有用です」


 若き海軍軍人は航空巡洋艦を提示するが厳密には対潜に特化させている。既に第一次世界大戦においてドイツ海軍はUボートを投入して猛威を振るった。否定のしようがない難敵であり対策は必須だろう。それに自軍も大規模な潜水艦計画がある以上はキラーを欲して当然である。


「これなら空母とも巡洋艦とも言えないので条約に抵触しません。引っ掛かると指摘されても逃げようはありました。とは言え、現時点では建造は難航しますし肝心の機体がありません。ここは私には何も出来ず…」


 生憎だが彼は造船に強い人間であって航空機自体には疎かった。先進を得ようと猛勉強を重ねているが専門家には遠く及ばない。今まで黙って話し合いを見守っていた中島・川西飛行機製作所の代表が遂に口を開いた。史実でも世界を驚かせた航空機メーカーである中島航空機と川西航空機は出資の関係で今世では合併し、総合戦略研究所は全面的な支援を行って研究と開発を進めさせている。


「おっしゃる通り、我が社は総力を挙げて研究と開発に勤しんでおりますが満足に納品できるのには数年を要します。皆様方のご要望には最大限応えますが、如何ともし難く」


「やむを得ませんな。こればかりは時間の経過を待つしか手はない。ただ短縮は可能ではないかと思うが」


「はい、既にイギリスとフランスより技術者を多数招致しております。また、こちらからも優秀な若手を留学生として派遣して技術の吸収に励ませていますが、彼らの帰国は当分先なのでそれでも時間を頂戴したい」


 航空機メーカーに限らず国内の軍需産業にはイギリスとフランスから招いた技術者を付けて最先端に触れさせた。日英同盟のおかげでヨーロッパにおける日本はかなり好意的な印象を持たれている。第一次世界大戦において仲間だったフランスと同盟に等しい友好関係を築き上げて技術者の交換留学を多く行った。ライセンス生産や技術導入も盛んである。


「二木さんは?」


 発言を促された二木甚平は「う~ん」と唸ってから喋った。彼は技術者ではなく比較的に政治系の人間のため触れたくない。しかし、求められては答えないと失礼になった。


「何せ日本は狭くある。そこで中華民国に生産拠点を置き内戦が始まった際に大義を得て試験を行わせるのがよろしいかと。兵隊には酷な話でありますが実戦は大変貴重な試験場です」


「戦争ほど技術を促進させることはない。嫌なことですが仕方ありますまいねぇ」


「勝たねばいかんのですよ。勝たねば…」


 非常にアンタッチャブルな話題なため以上の会話でご理解いただきたい。とにかく時間がかかるため待って欲しいというのがメーカー側の希望だ。どれだけ諸外国の最先端技術を吸収しても独自に昇華するまでは必ず成熟の過程が入らざるを得ない。それを端折ることはとてもとても不可能であった。


 まだまだ議論は続くがこれ以上は纏まり切らないため皆様のご想像に任せたい。ただし、一つ言うならば史実に比べ遥かに軍の装備は充実することは間違いなかった。


続く

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