大日本帝国必勝論

竹本田重郎 

同じ轍は踏まぬ

第1話 四カ国条約

1921年 8月17日


 この日、第一次世界大戦に勝利したアメリカ・イギリス・フランス・日本の四カ国で条約が結ばれた。通称で四カ国条約であるが内容は国際協調を謳うものであり、そこまで注視するようなものではない。交渉に臨んだ日本代表である幣原外相は裏の政府から託された命題に対して何とか満額回答を確保して安堵した。表向きの政府を経由して与えられた裏の政府の戦略はとりあえず第一歩を踏み出している。直ちに本国へ連絡を行うが暗号が解読されている恐れがあるため、既存とは異なる使い捨て暗号に地方の方言を加えた二重体制で通達した。確かに本会談に際してアメリカは外交用の暗号を解読していたが欺瞞情報であり見事に引っ掛かってしまう。そして、交渉の場では素っ頓狂な事を主張して罠に嵌ったことを理解した日本側を呆れさせた。


 外相からの連絡は直ちに本国の政府及び地下政府にも伝えられる。


「やりましたな、二木さん。見事我々は日英同盟の保持に成功しましたよ。これから起こるだろう中国内戦は山東及び満州を返還した上で孫文氏及び汪兆銘氏の中華民国側を支援することで一致しました。無論ですがイギリスの全面支援ありです。ソ連の社会主義を食い止める防壁となることで納得させられました」


「上々ではありませんか。しかし、あの二十一か条の要求などと言う下らぬ外交はいけません。ドイツの権益を取るがすぐに返して中華民国の自治に任せるべきです。ただ、中華民国側には支援を行い影響力は確保しますがね」


 第一次世界大戦は予定調和で勃発したが裏の政府又は地下政府と呼ばれる大日本総合戦略研究所は『日本必勝論』を打ち出し政府に実行させた。それは史実に比べ遥かに軟化した諸外国の反発を招かない内容である。詳細は省かせてもらうが直近の四カ国会談で戦略に基づく日本側の要求は全て認められたことが証拠となった。


「南洋諸島については難航しましたが現地の自主自立を確約することで合意に漕ぎつけました。それでも、アメリカは終始渋っていたようです」


「そりゃあ、日英同盟を破棄させて我が国を陥れようとした罠でして。しかし、我々はアジアの解放者であることを自覚しアジア体制を築くべきであります。アメリカの言いなりにはなりませんから」


 四カ国条約の中で第一次世界大戦の日本参戦に伴い獲得した旧ドイツ帝国領は全て日本領となったが、その自治については現地と調整を行って現地憲法を作成させて将来的な自主自立を目指している。単純に編入するのではなくて一つの国として独立させようと試みた。当然ながら反発されるが別に悪いことではなく、むしろ当たり前のことであって反発は一蹴する。ヨーロッパでは民族自決が認められたのに対しアジアで認められないのは馬鹿げていると叩きつけた。したがって、渋々ながらも日本の支援の下で南洋諸島は独立が予定される。


 さて、一連の日本の動きはイギリスとの信頼関係を確固たるものにした。艦隊派遣などで恩があったイギリスはアメリカの妨害に徹底的に抵抗し日英同盟の存続に貢献する。共通の敵が無くなった以上は「同盟の必要性を感じない」と思うかもしれないが現在はソ連と言う社会主義勢力がおり南下を食い止める防壁が必要だ。更には同じ島国で親近感を沸かせることもあり、日本と手を組んだ方が何かと利益が出る。


 つまり、四カ国条約においてアメリカの思惑は全て外されていたのだ。


「ひとまず固められたので山東などの旧ドイツ領や満州は早期に中国民国へ返還しましょう。支配はいけませんが良好な関係を維持しつつ交易を以て互いに発展を目指す」


「えぇ、日本が持っていては危険です。ただし、港などは共同で使えるようにしませんと軍が」


「もちろんです。対等な関係で利用させていただく」


 話し込んだ両者だが徹夜となるだろう調整作業のため片方は退室する。部屋には二木と呼ばれた男が残って彼は軽く椅子に沈み込み煙草に火を付けた。煙をモクモクさせながら頭の中で思案を重ねる。


(これで第一段階は成就した。日英同盟は存続したが軋轢を生まぬため更なる中国解放を進めなければならない。孫文氏の中華民国は不安定であり地方で軍閥が生まれ共産党も出て内戦がおこるはずだが、我々はイギリス承認の下で統一活動を支援し続け社会主義勢力を排除した一つの中華民国とする。さっさと山東と満州は返還して今度の会議の話題には出させんぞ。それにしてもの問題は軍縮か)


 これから先には大戦終結に伴い軍縮の流れが到来する。二重の政府主導による軍の大改造が行われてメスが入り、陸海軍は穏健派を固めているが念のために要求に応えるつもりだ。それ以前に満州や山東の返還は陸軍の反感を買いかねないがこちらも強硬派の粛正を行い予め排除してある。一旦は不満を持っても中華民国支援で介入するため装備の充実化が計画されており懐柔した。


(主力艦の制限だが戦艦は次第に時代遅れになる。制限を受けようと実質的には意味がないが補助艦は大量建造を図りたいな。巡洋艦以下は何とかして要求を通すが特に航空母艦は客船や貨物船と欺瞞の網をかけて大量建造させよう。私たち大日本総合戦略研究所にはメタがあるのだから簡単には屈服せんよ)


 誰も信じてくれないだろうが二木が率いる大日本総合戦略研究所は前世の記憶と情報などを持ったいわゆる転生者達で構成されていた。本組織の表向きは日本の行き先を決める総合戦略の研究を行う天皇直属の機関である。天皇直属のため政府と同等かそれ以上の力を有し実質的な政府と言えた。それでは一種の権威主義体制だと詰られるかもしれないが悲劇を避けるためにはやむを得ないのである。


 大日本総合戦略研究所は日露戦争の直後に結成された。目的は二度に及ぶ大戦に勝利することである。前世の軍部の独走を防いで立憲主義を維持しながらアジアの自主自立を目指した。幸いにも軍の中にも彼らと志を同じくする者は少なくなくメス入れの粛清は成功して一先ず独走の阻止は果たされる。政治においても強大な影響力を発揮して社会主義を排除したり強硬的な勢力を追放したり等の体質改善により、第一次世界大戦中の外交失策は行われなかった。


 では、少しばかり諸外国との関係を見て行く。


 中国に対しては二十一箇条の要求は一切行わず、過去の行動を謝罪して詫びも含めた旧ドイツ領と満州を後に返還することを欧米に先んじて約束する。その中国は前倒しされた二度目の革命を経て日本に亡命していた孫文氏が戻り、返還を約束した際にはとっくに新生中華民国だった。孫文氏の後継者として汪兆銘氏が指名されており、中華民国は欧米よりも日本に支援を求めている。


 続いてはイギリスだ。日英同盟はイギリス側と協調する外交で存続が果たされる。先述したが日本の艦隊派遣で多大な恩があり、誠意を持った行動で信頼を重ねた日英同盟は極めて硬かった。中華民国の開放政策も好意的に受け止められている。廃案となったがパリ講和会議では人種差別撤廃条項についてイギリスは最後まで賛成してくれたため、アメリカから不信を買ったがイギリスとしては皮肉なことに日本の方が信頼出来た。


 話題のアメリカだが残念ながら関係を修復出来ていない。四カ国会議でも議論は紛糾することが多々あり、フランスが蚊帳の外に置かれることがあるくらいだった。史実に比べ米国政府とは特段の差異は無いが、例外的に米軍は大西洋及び地中海における日本軍の戦いに感銘を受け仲を深めると独自のルートが設けられる。


(暫くは安定した体制が続くが世界恐慌の到来でどうなるか。対抗策は考えてあるが…)


 二木は思案の深海に潜る。他の転生者達のメンバーが到着する前に色々と考えなければならないことが多々あった。


続く


 ~後書きと言う注意事項~

 ・時間が第二次世界大戦まで数年単位で飛んでいきます

 ・一部の政治的な内容はぼかしたり淡白に終わったりすることもあります

 ・こじつけのような内容が大半です

 ・現実に実在する地名、人物、団体などとは一切関係ありません

 ・いかなる主義・主張を行うものではありません


 以上のことをご理解いただけない場合は読まないことを推奨いたします。

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