第五章 2

 もうすぐアビリス島に着くからって起こされたけど、眠くてしょうがない。でも早く着替えて準備しなきゃ置いていかれる。

 アビリス島って草がぼうぼうだし、木の枝とか葉っぱが体を切ってくるから、暑くても着込まないと怪我しちまう。毒虫もいるし。ヌメッとしたした変なのに血を吸われたりもするし。

 着替え終わった頃にちょうど着いた。朝飯を食いそこねた。なにか残しといてくれたかな。

 島に港なんてないし、周辺が全部砂浜だからこの船じゃ近づけない。手漕ぎの小舟に乗り換えて上陸する。俺は自分の荷物を持って、兄貴に貰った辞典もちゃんと詰め込んで、兄貴とディランが乗って待ってる小舟に飛び降りた。そうしたら、兄貴が朝飯の残りを挟んだ固いパンをくれた。

「やっぱり、空気が違うな。人がいないからか?」

 ディランが深呼吸して言った。こいつはたぶん、まだあんまりこの島には来たことないと思う。まだ俺が赤ん坊の頃に、兄貴にくっついて来たことがあるとは言ってた。それで考古学に興味を持ったらしい。でも元々は魔道工学が好きだったらしいんで、そっちに強いプロメロスの大学に行って、卒業したから隊に加わったんだと。学校にも色々あるんだな。そういう話を聞くと、俺も嫌なこと言ってくるやつがいなければ行きたかったと思う。もう十二歳だし、今更七、八歳に混ざって初等部の三級生とかやりたくないから行かないけど。

「人がいないからってのはあるだろうな。それに、なんとなく神秘的な感じもするだろ」

 兄貴は両手でオールを漕いでる。まだ上着を着てないから、日焼けした腕が見える。力を入れる度に筋肉がうねって、血管が浮いてかっこいい。俺はなんとなく上着の上から自分の力こぶを触ってみた。しょぼい。どうしたらそんなふうになるんだろう。なんてやってたら、兄貴に笑われた。

「レナートは、ディランみたいな体型になりそうだな」

「えぇ……」

 ディランは細い。痩せっぽちじゃないけど、兄貴と比べたらずっと細い。

「そんなに嫌か? 俺だって人並みに筋力はあるぞ。兄さんが無駄にでかいだけじゃないか」

「別に無駄じゃないだろう。こうしてお前たちの分も漕いでやってるんだから」

「……それはそうだな」

 まあ、ディランの言うことも分かる。ディランが細いって言うより、兄貴がでかいんだ。

「でもさあ、頭良くて体も強いって、なんかずるくね」

「そう言われても、こればっかりは体質だからな……」

 一人でオールを漕ぎ続けても息切れ一つ起こさないんだから、やっぱりすげえや。

 なんて、喋ってる間に船は浜に乗り上げた。

 雨季を避けて来るから半年ぶりだ。すごく久々な気がする。砂浜は相変わらず白くて、きらきらしてて、島の真ん中がこんもりと山になってる。周辺は森。砂の地面から数歩進んだら草木が生い茂ってるけど、その中に通り道を作ってある。親父はいずれ山の上まで伸ばすつもりでいるらしいけど、途中を掘ってると色々出てくるからなかなか進まないらしい。

 親父は兵役時代に工兵部隊にいた人らを主に雇っている。切ったり掘ったり作ったりはお手の物だから。

 アウリーは二十五歳から三年間の期限付きで徴兵される。男は基本的に強制だけど、相応の理由があれば免除される。女の人は志願制。職業として軍人やってる人は少ないらしい。隣のファーリーンはよく中で揉めたり外と喧嘩したりしてるから、専門にやってる人はたくさんいるみたいだし、いざってときは商人だろうが農民だろうが問答無用で兵士として引きずられていくんだって聞いた。怖いなあ。でも、アウリーは内で揉めたり他と喧嘩したりってあんまりやらない。むしろ、ファーリーンの喧嘩に巻き込まれることのほうが多いらしい。べつに放っておけばいいじゃん。って思うけど、仲がいいからそういうわけにもいかないとか。

 二十人でこの島を探るのは容易じゃない。親父としては、本当は百人とか、もっと雇いたいみたいだけど、給料だとかを考えると今の人数が限界らしい。実際、この島を調査したって金は稼げない。むしろ使わなきゃいけない。金持ちが融資してくれる分でやりくりしてるんだから。ちなみに、俺は今のところタダ働き要員。親父に養ってもらってるから当然だ。十五になったら給料をくれるっていう約束だから、あと三年。それまでにちゃんと他のやつらに劣らないくらい役立つ人材になっておかないと。だから、兄貴とかから色々教わってる。

 森を入って少し行ったところを切り開いて、滞在中の拠点を設営できるようにしてあるんだけど……。半年も放っておくと草が生え散らかってるから、いつも一日目は草刈りとテント張りで終わる。

 この島って、虫や鳥はいるけど、動物は――野ネズミとかどこにでもいそうな小動物さえも見かけられない。生き物の気配が少ないからか、夜はちょっと怖い。凶暴な動物がいたら、たぶんその方が怖いだろうけど。


 翌日は山に登った。相変わらず草木が邪魔で、小石がゴロゴロしてる。歩けるくらいには整えてあるけど、それも途中まで。前回、ちょうどスコップに当たった石版を掘り起こしたところで帰らなきゃいけなかったから、今回は解読班を作って、残りのやつらで先の通り道を作る。俺は解読班。勉強がてらな。そもそも、力仕事ではあんまり役に立たないし。

 兄貴が石版の泥を拭って、親父と一緒に刻まれた文字を確認する。石材は、少なくとも自然界から切り出せるものじゃない。古代人が古代の技術で作った、風化しにくい素材だ。

 書かれてる文章自体は短いリラニア語だけど、時期によって字形とか文型とか結構違うから、その辺りを照合しながら読まなきゃいけない。けっこう大変で、ちょっと日も傾きかけてきた頃になっても全部は読めなかった。

「『我々は守り人として、死しても役目を果たすため、この盾を残す』。出だしはこんなものですかね。ここに『王』とあるので、その関係かもしれない」

「さあて、『守り人』ってのはなんだろうな」

 とか言って、親父はメリウス王に関連する存在じゃないかって見当つけてるみたいだけど。あんな人が本当にいたのかなあ。

「ん、この紋章は……。いや、魔法陣か? こっちは疎い。誰か見てくれ」

「魔道工学やってたなら詳しいだろう、ディラン」

「ああ、じゃあ、ちょっと見てみます」

 有能な兄弟だ。二人いれば十分なんじゃないか? ディランは紋章だか魔法陣だかをしばらく睨んでたけど、首の傾きがだんだん強くなっていく。

「たしかに魔法陣だとは思う。だが記述式が古すぎてどういうものかは分からないな。なにかに反応して起動する仕組みに近そうだが……。たぶん、五千年……から七千年くらい前の形式じゃないかな……。一万年までは遡らないと思う。そこまでいくともう、俺の知識じゃアタリもつけられない」

「そんなに昔の石版って、こんな浅い地層にあるのか? テーテスの火山灰、二、三回は浴びてるんだろ?」

「この辺りは積もっても、雨で流されるんだよ。文明滅ぼせるくらいは一気に来るが」

 そっか、雨季に毎年さらされるからな。平地だったら固まっちゃうかもしれないけど、結構斜面になってるし。海の方にたまってるのかも。さすが親父、回答が早い。

「ねえ、俺にも見せて」

 俺は近くで見たくなったから、ちょっと前に出てみた。ディランがどいてくれて、魔法陣みたいな紋章が見えた。でも、なんでかそれを見たら、急に額がじりっとした。

 紋章が青く光った。紋章の上に埋め込まれていた球体も青く光って、一瞬、俺の腕くらいの束になって、眩しくて目がくらんだ。

 兄貴が倒れてる。なに? なんか、焦げ臭い。

 頭がふわふわする。飛んでるみたいだ。

「レナート!」

 大きい手が俺の腕を掴まえた。景色が歪んでるけど、兄貴だってすぐ分かった。ふわふわする。……ああ、落ちてるんだ。そういえば、片側が崖になってたっけ。俺、なんで落ちたんだろう?

 俺たちのことを呼ぶみんなの声が遠くなっていく。死ぬのかな。でも兄貴が一緒に来てくれるなら、〈死の国ニグローム〉に行っても死の君サナトリエと上手く交渉してくれるんじゃないかな。なんて、ぼんやりと思った。

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