第四章 2

「それで、〈メリウス王の墓神殿〉の記文っていうのはどんなものだ?」

 親父は窓の外の景色を横目にしながら、神官長様に訊いた。

「手紙に書いた通りだが、その後も息子なりに他の書物を探したりと努めているので、いくらか情報は増えたと思う。私はあまりそちらに携われないので、詳しくは息子の方が案内するだろう」

「それじゃあ、お前さんの息子の指示に従えば良いわけだ」

「あれで分からんから君を呼んだのだ。むしろ指示して使ってやってくれ。本人もそのつもりでいる」

「今年大学を卒業したんだったか?」

「ああ。せっかく早く入学できたのに、神官修行のために引き戻したものだから時間がかかってしまった。今後院に進むかと迷っているようでな。元々、文化系に関心があったのだが、最近は特に考古学に惹かれているようだ。君たちと関われば、何かしら響くものもあるだろう」

「そりゃあ、責任重大だな」

 俺は黙っておっさん二人のやり取りを聞いていた。将来の重役神官なら、神学あたりに熱心なのかと思いきや、存外俺と趣味は近いらしい。歳も同じだと聞いているし、父親と同じくらい腰が低ければぜひとも仲良くなっておきたいところだ。威張りくさったやつなら別だが。

 急に馬車の中が静かになった。俺が何か言うような場面でもないので、黙り込んで大人しくしていた。相変わらず顔色の良くない神官長様が、ほとんど独り言みたいな小声で言った。

「アンドレーアを見れば、君たちは驚くだろう……」

 どういう意味だ? と思うのと同時に、『アンドレーア』という名前は、ジュールでは大層好まれるだろうとも思った。その名が、メリウスの父で、アルビオン神話において『メレーの言葉を正しく聴くことができた、最後の人間』で、なおかつメレーの神官だった『アンドローレス』が元になっていることは明らかだ。たぶん、この神官一族には過去に何人もの『アンドレーア』がいたことだろう。

 俺は窓枠にもたれかかって、ジュールの街並みを眺めていた。横目に神官長様を見れば、なんだか処刑場に連れられていく人間みたいな様子に見えて、俺の胸元には得体の知れない濁りのようなものが湧いて、溜まっていくような感じがした。

 オリーブの木が若い実をつけて立ち並ぶ丘を、馬車は上っていった。見下ろすことのできるジュールの街並みは白く、整然として、帝都リラの写生画を俺に思い起こさせた。きっと実際には似つかないものなのだろうが。黒雲と赤砂の舞う大地ではなく、青空と白波を立てる広大な海を望める。

 メレー神殿の高い壁が近づいた辺りで、馬車は止まった。御者が扉を開けたので、一番近くに座っていた俺が先に降りた。他の馬車からぞろぞろと降りてきた仲間と、ファーリーンの有力貴族の邸宅にも劣らないだろうアルベルティーニ家の屋敷前で屯した。どいつもこいつも、当然俺も含めて、この場に似つかわしくない服装だ。

 この家の主である神官長に先導され、俺たちは玄関をくぐった。

 広大なエントランスホールに、俺は圧倒された。これが個人の家か? 白大理石の床にはラピスラズリ色の光沢をはなつ絨毯が敷かれている。何の繊維を使っているんだか。本当にラピスラズリの粉末を練って糸にしたんじゃないだろうな。先日新調したブーツの厚底が柔らかく沈み込む感覚が、心地いいような、悪いような。どうせなら裸足で踏んでみたい代物だ。果たしてこれは玄関に敷くようなものなのだろうか。俺だったら寝室用にしたい。

「お一人で一部屋を使っていただきたいところではあるのですが、部屋数が足りないものですから……。お二人ずつで、どうかご容赦ください。一階と二階に用意しておりますので、後ほどご案内を。まず、今回お呼びした件について、軽くお話の方を――」

「父上、戻られましたか。そちらの方々が……?」

 上の方から声がして、見上げた。なぜか耳に馴染んだ声。吹き抜けた天井を通り越して、二階の位置からこちらを見下ろしているその姿を見た瞬間、俺の思考は停止した。

「アンドレーア……」

「……待て、待て。なんだ、どういうことだこれは」

 誰かが動揺を言葉にする。海色の瞳と、俺のそれがかち合った。驚愕に染まっていくその顔を見て、俺も同じ顔をしているんだろうと思った。だって、こいつは俺と同じ顔をしている。

「ああ……。そういうことだったのか」

 親父の呟きが耳を抜けていった。

「テオ……、テオドーロよ。これはつまり、アルベルティーニの慣習ってのは、廃れちゃいなかったってわけだな」

「……我が家に課された使命なのだ。我々がクレス人であるために。……ここがジュールと呼ばれる限り」

「なんてこった……。じゃあ、あのときお前が俺を呼んだのは……。そうか……」

 まるでわけが分からない。髪を切って整えて、サファイアブルーのローブを纏った俺が、階段の上で品良く佇んでいるんだ。俺たちは言葉もなく見つめ合っていた。周りの騒ぎなんざどうでもいい。『あそこにいるのは俺だ』なんてまるで馬鹿らしいが、それは本当に錯覚なのか?

「やはり、先に説明しなければなるまい。セルジオ、アンドレーア――」

 神官長が俺を見た。

「……レナート君。話をしよう」

 そのまま、流水のように逸らされていった視線を、俺は無意識に追った。メレーの神官長はもう、俺を見ていない。俺は親父に腕を引かれながら、神官長の後に続いた。後ろをついてくる分身の気配を感じながら。

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