第四章 3
二十二年前の夏、親父は海を漂う小舟を見つけた。それは木で組み立てられた、全長三フィートにも満たないもので、中には花が敷き詰められていた。花々に埋もれるようにして、赤ん坊が眠っていた。今日には廃れて久しい、水葬の様相を呈していたという。身分を示すようなものは何もなく、赤ん坊の肌色はまだ斑で、切られた臍の緒も取れていなかった。
その葬られたような赤子は、生きていた。親父はウェリア島に戻り、赤子を病院に預け、官憲に届け出した。だが、分かったことといえば、その赤子は生まれて二週間も経っていない健康な男児だということだけだった。親父は赤子を引き取って、養子にした。『レナート』という名を与え、仕事の際には近所の家に預けながら育てた。
そうして今に至るレナートと名付けられた赤ん坊とは、俺のことだ。
青色の部屋は静まり返っている。俺と、親父と、神官長と、その息子がいるが、誰も口を開かない。何かを語り始めるのならば、それは神官長のはずだ。或いは、概ねの状況を理解したらしい親父か。何も分からない俺は黙って待っていた。時折、正面に座っている神官長の息子と目が合う。鏡を見ているようだ。俺は混乱した頭でも、なんとなくこいつと自分の関係を察することができた。少なくとも、密接な血の繋がりがあるのだろう、と。
「……レナート君」
口を開いたのは、やはり神官長だった。
「広場で君を見たとき、まさかと思った。だが、セルジオが君を『海で見つけた』と言ったとき、確信した。君も私の息子の姿を見て、何かしら感じたことだろう。だから伝えよう。君は、このアンドレーアの双子の兄弟だ」
「……双子か。道理で似てるわけだ」
俺は大体予想できていたから、今更ひっくり返りはしなかった。
「我が家には、千二百年間続けられてきた儀式がある。それは、双子が生まれたとき、先に取り上げられた方を神の子として海に捧げる、というものだ」
つまり、俺はこのアンドレーアよりも先に産声を上げちまったわけだ。メリウス王の話を思い出す。
「……まるで、本当にメリウスみたいだな。俺」
俺はソファーの柔らかい背もたれに沈み込みながら呟いた。天井を漂う海藻の模様を、『海だなあ』なんて思いながら眺める。
「彼になぞらえた儀式でもある。かつてこの地を災害が襲い、滅びかけたとき、神官アルベルティーニの元に双子が生まれた。先に取り上げられた赤子は、右手に蒼玉を握り、額に青い痣を持っていた。アルベルティーニはその子を海神に捧げた。それを期に、この地を襲い続けた災いは収束した。ゆえに、このアルベルティーニ家において双児の誕生は、災害の予兆、或いはそれを鎮めるものとされる。最も側近く神に仕える家系の者として、我々はその責任を果たさねばならない」
神官長は語る。それがこの家の伝統なわけだ。責任ある立場というのも大変なものだな、なんて、俺は他人事のように思った。
「だが、もう昔の話だろう」
親父が言った。確かに、それは千二百年前の話だ。額の痣はともかく、石を持って生まれたなんて胡散臭い。何かしらを握って生まれたなんていう話は、過去の英雄やら聖者やらの伝記によく描かれるものだ。もしこれが『赤い石』だったら、『母親の腹の中から血の塊でも持って出てきちまったんじゃねえか』とでも言えたものだが。赤ん坊を海に流したら災害が収まったというのも、信心深くなけりゃあ偶然だろうと言って切り捨てちまうだろう。まさか、アルベルティーニの子孫で、現に神官を続けている人間がそんなことを言えるわけもないだろうが。
「確かに、昔の話だ。しかし、彼らが生まれる四年前から、事実として気象は荒れていた。嵐、高波で街の五分の一が浸水したこともあるし、災害に関連する死者は州都のみで百二名にも及んだ。儀式の後、それらが鎮まったのもまた事実だ。偶然かもしれない。だが、神に仕える一族が、神に関わる伝統を、迷信だと言って絶つことはできない」
「だが、実際のところ
俺はなぜか口を挟んでいた。他人事に思うのと同時に、少しばかり自分事にも思う。変な感覚だ。実の父親と、生まれる前には仲良く抱き合っていたかもしれない双子の兄弟を目の前にして、いざ湧き上がる感情はどんなものだろう。懐かしさなどない。恋しさもない。ただ、目の前に同じ顔があるってだけだ。それが、無性に気持ち悪い。
「神様は飽きちまってるのかもしれねえぜ。その伝統的儀式は、いつまで続けるんだ? アンドレーア様よ、あんたならどうする? 神の仕え人なんだろ。そろそろご機嫌のほどはいかがですかって訊いてみても良いかもしれねえぞ。聴けるんならな」
「君の怒りは尤もだ」
神官長が何かを堪らえるように言った。伏せられた瞳に、震える声。こいつは何を我慢してるんだ?
「俺が怒ってる? なんで。俺は別になんにも不幸なことはねえぞ。親父に拾われて、姉貴がいて、仲間がいて、十分幸せにやってるんだから」
俺を差し置いて苦しんでるのが、なんだか気に食わない。俺は何も悲しんでねえし、恨んでもいねえ。俺を人柱にすることを選んだのはお前じゃねえか。俺はただ、実際的なところを指摘しただけで、それで責められたような気になられたんじゃあ、それこそ気分が悪い。だって、俺がいけないみたいじゃねえか。なんで、殺されたはずの俺の方が、こいつを苦しめてるふうになるんだ。
「終わりにしようぜ、この話は。あんたらにとって、俺はもう死んだものなんだからさ。いいじゃねえか、『よく似た他人が来た』って思っておけば。俺だって、あんたらは他人にしか思えねえんだ」
神官長が急に席を立った。ひどくうつむいて、肩を震えさせて。ああ、なるほど。こいつは俺を他人だとは思えないわけだ。どんな感情で俺を海へやったのか。たぶん、快くそうしたってわけじゃあないんだろう。かと言って俺は同情するような立場じゃあねえ。許すとか許さないとか、そういうものでもない。覚えてねえことについて文句を言わなきゃならねえほど、俺は不幸じゃない。
「……そうだろうとも」
絞り出すように言って、神官長は部屋から出ていった。またえらく静まり返ってしまった。アンドレーアは、さっきから――俺が質問してからずっと――考え込んでいるふうだ。
「……難しいな」
親父がため息に混ぜながら言った。何が難しいってんだ?
「俺の親父はあんただぞ」
「……そうか」
俺は思っているままを伝えた。親父は横目に俺を見ながら、無骨な太い指を組んだ上に黒い髭を乗せて、小さく何度か首を縦に揺らした。考え込んで迷っているときの、親父の癖だった。
エントランスに戻ったら、ディランが一人だけ残っていた。
「お帰り。他のやつらは客室に案内してもらったよ。詳しい話は明日することになったみたいだが。……何の話だったんだ?」
「なんてことねえよ。このアンドレーア様と俺が双子の兄弟だったってだけだ」
ディランは気まずそうな顔をして、俺と、後ろの方で相変わらず考え込んでいるらしいアンドレーアを見比べた。
「いや、そいつは……なんてことないのか……?」
「変な気を使うなよ。俺は『神の子』らしいんで、元々この家の子供じゃねえのさ。偶々、この若い神官様と同じ顔で生まれたってだけだよ。
違う親に育てられりゃあ、違う性格になるんだろう。ちらと後ろを見れば、アンドレーアが姿勢良く佇んでいる。神官服がえらく様になるものだ。俺が同じものを着たら、裾やらをあちこちに引っ掛けて破いたり汚したりするのが容易に想像できる。
「……親父さん、このことは他のやつらには伝えるんですか?」
「そうさなあ……」
ディランが訊けば、親父は唸る。別に言っていいんじゃねえか? なんて俺自身は思ったが、この家の慣習に関わるし、たぶん表沙汰にしていることでもないんだろう。あまり言いふらすのも良くはなさそうだ。
「まあ、この顔だ。全員ほとんど察してるだろう。訊かれたら教えてやれ。外に吹聴して回るようなことはするな、って付け加えるのを忘れるな」
「その辺りは弁えてるはずですよ」
親父の指示にディランは納得したようだった。隊の連中は皆、俺が親父の実子ではないことを知っているし、なんなら海で拾われたことだって知ってる。生きたまま水葬されたみたいな状態だったことも知っている。なぜなら、大体のやつらはそのときの様子を見ていたからだ。直接見ていないのはディランだけだったはずだ。
結局、その日仕事の話はなしで、俺たちは船旅の疲れを取ることに専念した。
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