第6話 君子、豹変す
「えっ? もう満タンになったんですか?」
ネロは拍子抜けしたように言う。相手は伝説級の魔女、自分の魔力を全て注入しても足りないかもしれない。死をも覚悟して始めた魔力注入は、あっと言う間に終ってしまった。
伝説の魔女デリル、しかしそれは二十年も前の話である。すでに全盛期は過ぎており、魔力は減少傾向にある。それに引き換えネロは、今が伸び盛り、育ち盛りの年代である。単純な魔力の量で言えば圧倒的な差があるのだ。
「凄いわ、ネロくん! これならまだ戦えるわ!」
諦めかけていたデリルに気力が沸きあがる。エリザとアルはヴェラの猛攻を防ぐのがやっとで、徐々に押され始めている。「いけない、すぐに助けに行かなきゃ! ネロくんはどうするの?」
「僕はこのまま援護の為にまた身を潜めます」
ネロは袋に残った回復薬の確認をしながら言う。「実は幻惑系の補助魔法をかけてみてたんですが、臥竜は耐性が強いようで全く効きませんでした」
「そっか、ネロくんがかけて効かないならもともと効かない体質なのね」
さすがは数千年生きている臥竜である。おそらく毒や麻痺などに対してもかなり強い耐性があるに違いない。いくらネロが天才的な補助魔法の使い手でも、効かない相手にはどうしようもないのである。
「すいません、役に立てなくて……」
ネロは悔しそうに言う。しかしデリルは首を横に振った。
「そんな事ないわ。ネロくんはさっき私を助けるために臥竜に弓矢で攻撃してくれたでしょ? それに、ネロくんが助けに来てくれなかったら全滅してたわ」
直接戦うだけが戦闘ではない。後方支援も立派な戦力なのだ。「ネロくんが援護してくれるから私たちは全力で戦えるの」
デリルはネロの頭をポンポンと叩いてにっこりと微笑んだ。
「ぐっ、まだまだぁっ!!」
エリザは防戦一方だったが、盾を駆使してなんとかヴェラの攻撃を受け流していた。アルは隙を窺うが逆鱗はがっちりガードされている。
逆鱗をガードした上で圧倒的な攻撃を繰り広げるヴェラ。やはりそんじょそこらのドラゴンとは訳が違う。
「はっはっは、いくらお前が強くとも物理攻撃だけでわらわは倒せんぞ」
ヴェラはエリザとアルをじりじりと壁際へ追い詰めていく。「死ねいっ!!」
ヴェラは右前足を大きく振りかぶる。
ちゅどーーんっ!!
突然、ヴェラの横っ面に大爆発が起こる。爆炎と爆風でバランスを崩したヴェラに素早くアルが切りかかる。
「ヴェラ、覚悟!!」
アルはヴェラの懐に飛び込み、逆鱗に向かって竜殺しの剣を突き出す。ギリギリのところでなんとか身をかわしたが、ヴェラの首筋がざっくりと切れた。
「ぐっ、やりおったな、アル!!」
懐のアルを睨み付けるヴェラ。アルの顔にヴェラの血が飛び散っている。
「あ? まだ口がきけるのか?」
アルは逆に懐からヴェラを睨みつける。「おらっ! これでどうだっ!」
アルは竜殺しの剣でヴェラの腹を裂くようになぎ払う。ヴェラは後ろに下がって剣をかわす。あと少し遅れたら内臓まで達するところだった。
「ひっ! お前、本気で殺す気じゃな?!」
ヴェラはアルの殺気に
「へっ、十分生きただろ?」
アルは不敵に笑う。これまでのアルとは違う凶暴な姿に、近くにいたエリザさえも驚いている。
「おい、アル。お前、本当にアルか?」
エリザは思わずアルに尋ねる。
「何言ってるんだ、俺が分からないのか? 我こそは、勇者アル様だよっ!」
普段、アルは俺なんて言わない。何か様子がおかしい。
「お前、わらわの血を浴びて凶暴化しておるな?」
ヴェラは返り血を浴びたアルを怯えたように見る。
「へへっ、良い気分だ。誰にも負ける気がしねぇ!!」
脳内物質が次々と溢れ出し、アルは高揚感に包まれていた。
「エリザ、今のうちに私たちも準備するわよ!」
「デリル? お前、魔力使い果たしたんじゃないのか?」
元気いっぱいのデリルを見て驚くエリザ。
「いいから早く! ヴェラは今、凶暴化したアルくんにうろたえてるわ」
エリザの手を掴み、一気に上空へ舞い上がる。「正真正銘、これが最後のチャンスよ!」
「ど、どうする気だよ、デリル」
エリザは突然浮上させられて戸惑いを隠せずに言う。
「もう一回やるわよ! ここからなら落下の勢いでさらに威力が増すわ!」
デリルはそう言いながら詠唱を始める。
「え? ここからあたしを落そうってのか?!」
エリザは思わず下を見た。あの巨大なヴェラが豆粒のように小さく見える。こんなところから落とされたらエリザ自身も危ない。
「ぐっ、お前がその気ならわらわも本気で行くぞ!」
地上ではヴェラとアルが死闘を繰り広げている。だが、いくら竜の血を浴びたとはいえ、アルの地力が上がった訳ではない。「死ねいっ!」
ヴェラはアルをなぎ倒すように尻尾を振るった。ヴェラの尻尾はアルを吹き飛ばし、アルの身体は洞窟の岩肌に激突する。アルはそのまま動かなくなった。
「やべぇ! アルの奴、やられたっぽいぞ! ……くそう、やるしかねぇ!」
エリザは覚悟を決めてデリルに目で合図した。
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