第3話 ロッククライミング

 霊峰れいほうと呼ばれる割には普通の山道が続いていた。一時間程度しか登っていないが、まだ山を下ってくる観光客らしき人たちとすれ違う。どう見ても軽装の彼らを見ているととても伝説級の竜が棲む霊峰とは思えなかった。

 ちょっとした動物は見かけるが魔物らしき姿はどこにもない。家の近所の裏山みたいな雰囲気である。

 

「ねぇ、本当にこの山にそんな恐ろしい竜がいるの?」


 アルはすれ違うおばさんに挨拶をしてからエリザに尋ねた。さっきから村の住民が山菜とかキノコを持って下りてくるばかりである。


「心配するな、もう少し上まで行けば分かるさ」


 エリザは不敵な笑みを浮かべて先を歩いていく。晴れ渡る空、遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくる。そのまましばらく登っていくと、大きな岩が見えてきた。


「うっ」


 アルは思わず絶句した。先ほどまでのハイキングコースとは明らかに違う、険しい岩場にたどり着いたのである。その手前にはふもとの村人が立てたと思われる大きな看板が立っていた。


『これより先、魔物の住処すみかにつき、危険』


 どうやらこの看板までなら村人や観光客も自由に行き来出来るようだ。その看板より先は明らかにこれまで歩いてきた場所とは雰囲気が違う。


「さて、ここからはちょっと大変だぞ」


 エリザはアルにそう言って両手で自分の頬を叩く。ぽきぽき指を鳴らして膝を曲げ伸ばしたりとウォーミングアップをし始めた。


「え? まだ登るの?」


 アルは険しい岩肌を見上げて驚いたように尋ねる。


「当たり前だろ? 何のためにここまで来たんだよ。お前の修行のためだろ」


 エリザは看板を尻目に険しくなった岩山をよじ登り始めた。


「あっ、待ってよ」


 アルは仕方なくエリザの後を付いていく。



 

 しばらくは両手でよじ登るようにして進まなければならなかった。さっきまで晴れ渡っていた空も嘘のようにどんよりと曇り、風も強くなってきた。

 エリザは百二十キロもある巨体を苦にもせずどんどんよじ登っていく。厚い脂肪の内側には屈強な筋肉がしっかりと付いているのである。皮製とは言え全身鎧を着た状態で戦斧せんぷと背負い袋を背負っているにも拘らず、アルが気を抜くと見失うほどのスピードである。


 アルは何とか置いていかれないようにエリザを追う。アルはもう少し軽めの素材の胴鎧と特注の剣を装備している。エリザの背負い袋とは比べ物にならないほど小さな袋を背に、それでもアルはエリザを追うのが精一杯であった。


「おい、頑張れ。もうすぐちょっと広い場所に出るぞ」


 エリザはすいすいとよじ登りながらアルを励ます。一足先に広い場所にたどり着いたエリザは背負い袋からロープを出してアルのほうに垂らした。「おい、それをしっかり身体に巻きつけろ。あたしが引っ張った方が早い」


 アルはちょっと情けなかったが、素直にロープを身体に巻きつけた。意地を張ってエリザの場所までよじ登っても無駄に疲れるだけである。そこはゴールではなく出発地点なのだ。ここは素直にエリザに頼った方が良い。


 そこからは普通の山道になっていた。入口が険しくなっていたのはうっかり観光客が紛れ込まないようにするためなのだろう。魔物もここより下へは行かないようである。魔物にしたって人間と遭遇したくはないのだ。数十年前までは魔物たちも平気で村に出没していたが、ワイバーンの群れが殲滅せんめつされた時からこの境界を越える魔物はほとんどいなくなっていた。


「アル、ここからが本番だぞ」


 エリザは丁度良い岩を見つけて腰掛け、背負い袋から温泉饅頭を取り出してもしゃもしゃと食べている。アルにも一つ差し出すがアルは首を振って断る。とても何かを口にするような状況ではない。むしろ朝食べた物を吐いてしまいそうだ。

 辺りは薄暗く、今にも雨が降りそうな曇天どんてんに変わっていた。灰色の山肌がいっそう不安を掻き立てる。


「あっ、なんか洞穴ほらあながあるよ」


 アルはすぐそばに小さな洞穴を見つけてエリザに言った。


「ちっちゃい穴だな。しかも上じゃなくて下に向かってるじゃないか」


 エリザは覗き込んで鼻で笑う。「これじゃ、子どもしか通れないぞ」


「僕はなんとか通れそうだよ」


 アルが言うとエリザは、


「坊やだからさ」


 と、異世界の架空の話に出てくる金髪の少佐のような事を言った。「さて、そろそろ出発するか」


「え? この洞穴は調べなくて良いの?」


 アルは不思議そうにエリザにく。


「こんな出発地点の洞穴なんて探索され尽くしてるに決まってるだろ? 大体、あんな狭いところじゃあたしは戦えないぞ? お前一人で戦うのか?」 

 

 エリザは呆れたようにそう言った。「さ、そろそろ出発しよう」


「うん」


 歩き出したエリザを追ってアルは荷物を背負って歩き出す。


 ゴォォォォッ!!


「え?! 何? 今の音……」


 アルは振り返った。一瞬、洞穴の中から大きな声が聞こえてきた気がした。恐る恐る近づいて耳を澄ませてみたが、静かな風の音しか聞こえてこない。


「おい! 置いていくぞ!!」


 エリザが痺れを切らせてアルを怒鳴りつける。


「あっ、待ってよ」


 アルは慌ててエリザの方に駆け出した。

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