1-16.幕引き

「これらの荷について申し開きはありますか」

「もちろんございます。この品々はいずれも話し合いのうえで……」

 滔々とオドネルが始めた弁明を、聖女は左手をあげて早々に遮った。

「わたくしはあなたを詮議する立場にありません」

 さっと兵士がオドネルの身柄を確保する。クラウゼにはオドネルの背中しか見えなかったが聖女を睨みつけでもしているようすが窺えた。が、聖女は動じない。


「あなたは以前の略奪について一過言あるようですね。心に重荷を抱えておいでなら、ブラッドウッド枢機卿を訪ねることをお勧めします。かの慈悲深き方ならばあなたの心の闇を受けとめてくださるでしょう。ぜひ、ブラッドウッド枢機卿を頼ってください」

 ブラッドウッド枢機卿といえば〈大聖堂〉の名物枢機卿だ。というか、二度も名前をあげて、さらっと面倒ごとを押し付けたのではないのか、この聖女。クラウゼは内心で首を傾げる。


 オドネルが連行されたのち、聖女アレクサンドラは改まった顔つきで聴衆を見まわした。

「さて、みなさん」

 澄んだ声音が呼びかける。

「この、山と入り江の土地に住むみなさん、そうではなく外からいらしたみなさんも。聞いていただきたいことがあります」

 そっと目を伏せ、憂い顔をする聖女に注目が集まる。間を置き、見開かれたすみれ色の瞳には並々ならない気力がみなぎっていた。


「精霊の加護厚きこの土地には、幸福の種が詰まっています。資源は乏しくても、乏しいものを分け与え、工夫し、活かそうとするみなさんの心根こそが幸福の宝なのです。多くを持つことが幸福なのではありません。富をかき集めたところで、財物でふさがったその手で何ができるというのでしょう。我が身一人が贅沢を享受したところで、まわりが飢えに苦しむならば、いずれ同じ苦しみに陥ることになるのです。どんなものも独占してはなりません。この厳しい土地に暮らすみなさんはよくご存じです。在ることを感謝し、無いことを嘆きはしない、素晴らしい心映えです。

 ……ですから、そんなみなさんを苦しめる悪しき心がこの土地を覆わんとしていることが悲しくてなりません。塩や穀物の値段が信じられないほど高くなり、つましく暮らす人々を苦しめています」


 クラウゼは息を詰めて水色の瞳を見開いた。それこそ、彼が心を痛めていることでもある。一歩二歩前に出て、クラウゼはすみれ色の瞳の聖女を凝視する。

「ここに領主から預かった命令書があります」

 聖女はずっと右手に持っていた羊皮紙の紐をといて広げた。

「商人クラウゼ! 前へ」


 突然のことにクラウゼは固まった。彼を見知った者たちが振り返る。食堂の店員に背中を押され、つまずきそうになりながらクラウゼは聖女が立つお立ち台へと走った。

 間近で見上げると聖女の美貌は圧倒的だった。淡い金色のまつげの一本一本まで煌めいているようだ。やはりターニャではない。いや、ターニャも美しかったが。


「商人クラウゼ。正式に法官が着任するまで、今日からあなたに市場の監督を命じます」

 有無をいわさず命令書を押し付けられ、受け取ったもののクラウゼには訳がわからなかった。

「なぜ、僕が……」

「精霊のお導きです」

 それ以外の理由などあるかといわんばかりの厳かな物言い。クラウゼはかしこまって任命を受けるしかない。


 その場に膝をついて礼をすると、聖女は満足そうに微笑んで聴衆に向かって右手を翳した。

「みなさんに精霊の加護があらんことを! 山と入り江の大地に光あれ!」

 乳白色の腕輪が神々しく光り輝くと人々は歓喜の声を合わせた。

「山と入り江の大地に栄光あれ!」

「精霊のご加護を!」

「聖女さま!」

「聖女アレクサンドラ!」


 おりしも鐘楼の鐘の音が響き渡った。人影もないのに鐘が揺れて鳴っている。それこそが聖女の奇跡のように。

 人々は喜んで口々に聖女アレクサンドラの名を叫び続けた。

 のちに、鄙びた河口の港町は、聖女アレクサンドラの最初の奇跡の場所として認定される。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る