1-14.鎮静
矢はヘンリックさんの足元に突き刺さった。ピッチフォークを取り落としヘンリックさんはしりもちをついた。
「ヘンリックさんっ」
駆け寄ってきたのはユナリアだった。ショックで固まっていたロザベラはそれで我に返って視線を前方に投げた。
キツネ目の商人の後ろで二人の男が弓を構えている。
「何をするんだ!」
ヘンリックさんの息子が気色ばむ。
「話をこじらせるからですよ、きちんと銀貨を渡すと言ってるのに。納得いかないのなら力づくにならざるを得ません」
キツネ目の商人はまた目を細めたようだった。
――一、お金で解決。二、コネで解決。三、暴力で解決。
シスター・アレクサンドラの言った通り、だけど、信じられない思いでロザベラは商人たちを見やる。
「ふざけるな、だからって何をしてもいいとでも……」
村の三人の男たちは興奮して商人たちに詰め寄る。矢が向けられる。いけない!
とっさにロザベラは胸の前で手を握り精霊に助けを求めていた。
ごうっと突風が起き、矢は空中で薙ぎ払われた。同時に煽られた松明の炎が教会の外壁を撫でた。
焦げ付くにおいが強くなる。炎が壁に燃え移る。突風に乗って駆け上がり、屋根の端まで広がった炎は、ドラゴンの意匠を伝って夜空に燃えあがった。
ドラゴンが炎を吐いた――――。
見上げた人々は、打たれたようにしんと荘厳な光景に見入った。
「精霊の加護です!!」
凛と声が響き渡った。立ち竦む女たちの後ろからシスター・アレクサンドラが現れた。
「聖女さま……」
「聖女さま」
シスター・アレクサンドラは少しだけ口元をほころばせて人々に向かって頷いた。淡い金髪に炎が映えて、白皙の美貌に迫力が増す。
胸の前で組んでいた手を解き、片腕をあげてドラゴンへと差し伸べる。
「みなさんは精霊に護られています。危険はありませんが少し離れてください」
真っ先に動いたのはユナリアだった。ヘンリックさんを支え起こしてロザベラの脇を通り過ぎ斜面を下る。
女たちも動き出し、ヘンリックさんの息子たちを手招きしどつくようにして後に続いた。
「商人オドネル」
呼ばれて振り向いたのはキツネ目の商人だった。
「わたくしはシスター・アレクサンドラ。〈大聖堂〉の聖女です」
商人だけでなくロザベラも驚いた。シスター・アレクサンドラが自ら聖女と名乗った……。
「言いたいことは明日、船着き場で聞きましょう。今はあなたも避難なさい」
オドネルはまた目を細めた。無言で頭を垂れ踵を返す。村の人たちとは反対に仲間を引き連れて森へと向かった。
まわりに誰もいなくなってからシスター・アレクサンドラはロザベラに呼びかけた。
「火を消すのよ」
「は……」
そんなことはわかっている。だが立て続けに起きた予想外の出来事にロザベラは動揺していた。
村の人を守りたかっただけで、教会を燃やすつもりなどなかったのに。
「わ、わたし……」
目に涙をにじませてロザベラはくずおれそうになる。
「ちょっと、しっかりしてよ」
シスター・アレクサンドラはロザベラの腕を支えた。
「あなただけが頼りなんだから。ほら、ちゃちゃっと火を消して」
「で、でも」
「大丈夫、壁がちょっと燃えちゃってるだけじゃない、なんてことない。それよりさっさと精霊に頼んでよ、聖女サマ」
にやりとシスター・アレクサンドラは微笑む。炎を背にしているので、輪郭が縁どられて輝いているみたいだ。
金色のお姫様みたい……。
ぼんやりと考えて、ようやく気持ちが落ち着いた。
シスター・アレクサンドラと向かい合ったまま、ロザベラは手を組み目を閉じた。
「雄々しき炎の精霊よ、ひとたび息吹きを和らげたまえ」
燃え盛っていた炎の先端がふっと勢いをなくす。
「自由なる風の精霊よ、一息に巻きあがれ!」
ふわり、とワンピースの裾が舞い上がる。
そよ風のような小さなつむじ風は、次の刹那、爆発的な旋風となって炎を散り散りに引きちぎりながら天空へと駆けのぼった。
雲をも撒き散らして、静けさが戻ったときにはただ、まぶしい月明かりと星の瞬きが、何事もなかったように聳える黒い教会を照らし出していた。
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