第一話

1-1.旅立ち

 朝日を受けて白く輝く大聖堂の威容の向こう、白波が立つ海は今日も荒れているように見えた。

 通常の巡礼や宣教の旅では船に乗り、この荒れた海原を越えていかなければならない。移動の苦労がないことはラクなようにも思えるけれど。


 うーん、と眉根を寄せながらアレクサンドラは背後を見返る。

「ねえ……」

 思ったよりも連れと距離が開いていて、アレクサンドラはその場で歩みを止めてシスター・ロザベラが追い付いてくるのを待った。

 長身のアレクサンドラと小柄なシスター・ロザベラとで歩幅が違うことはもちろん体力にも差があるようだと、まだ短い行程で察しがついた。


 潮風で頭髪が痛まないように被ったフードをおさえながらアレクサンドラはもう一度、大聖堂と寄り添って建つ修道院を見下ろす。

 旅立ちの感慨はあまりない。脱出できてせいせいしている。生きていくために〈大聖堂〉に身を寄せた自分のような娘にとってはその程度でしかない場所だ、とアレクサンドラは考えるが、それともやっぱり自分が特別薄情なのかも、とも少し思う。


 一緒に育った中には熱心に求道に励んでいるシスターももちろんいるし、学問を修め故郷に役立つ人材として戻りたいと希望しているブラザーもいる。

 そこはそれ、人それぞれで、自分のような考えの者がいたってもちろんかまわないはずだ。〈大聖堂〉は万人を受け入れる。受け入れ、その者にふさわしい役割を与える。

 まさか自分に相応なのが、人見知り聖女の身代わり兼お供だとは思いもよらなかったが。


 修道服の裾とこげ茶色の縮れ毛を強風に煽られながらシスター・ロザベラがようよう坂をあがってくる。

「すみません、シスター・アレクサンドラ。わたし、歩くの遅くて」

「大丈夫よ。急ぐ旅ではないし」

〈転移門〉が隠れているとされる墳墓はもう目と鼻の先だ。とはいえ、問題なのは門をくぐったあと、どこに到着するか予想ができないことだ。


『聖女は、聖女を必要とする人々のもとへと導かれるのです。我々は知るよしもありません』

 言ってのけた司祭を張り倒してやりたかったがぐっとこらえた自分はエライ。誰も誉めてくれないのでアレクサンドラは自分で自分を誉める。

 もし人気のない森のど真ん中へでも放り出され、そのまま夜になってしまったら、と想像しただけでも恐ろしく、こうして夜明けと共に出発したのだが。


 できれば、あまり不便な場所は遠慮したい。できれば、華やかな商業都市が良い。遊びがいがあるというものだ。

 つらつら考えながら丘をのぼりきると、斜面がなだらかになったそこは古代の墳墓郡である。

 小振りの盛り土がぽこぽこ点在する奥にはひときわ大きく、正面に石造りの扉を備えた小山のような墳墓があった。

 今までは、古代の支配者の墓だとばかり思っていた。これが聖女専用の〈転移門〉への入り口だとは。


 シスター・ロザベラが後ろに付いてきているのを確認してから、アレクサンドラは乳白色の腕輪を取り出した。〈聖女〉の証であり、通行証にもなると渡されたものだ。

 教えられた通りに石の扉の前にかざしてみる。すると、扉は音もなくかき消えた。周囲に溶け込むように、あとかたもなく。


 足元には階段が下へと続いている。腰をかがめて頭をくぐらすようにして入り込むと、ぽうっと内部が明るくなった。燭台のようなものは見当たらない。床や壁そのものが白くぼんやりと発光している。


 階段を下りきるとまっすぐな通路が奥へ奥へと続いている。「あ」とシスター・ロザベラが小さく声を上げた。背後を見ると、出入り口が再びふさがれていた。

「…………」

 無言のまま、ふたりは顔を見合わせ、無言のまま、奥へと進み始めた。


 得体が知れない。床も壁も天井も、どういう装置で発光しているのかも、石なのか土なのか木材なのか材質すら見当がつかない。

 そうはいってもいちいち驚いていては始まらない。自分の見たものしか信じない超リアリストのアレクサンドラは、こういうものだと一気に受け入れたし、シスター・ロザベラはどちらかといえば神秘的な現象に感動しているようすだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る