第5話 張りぼての剣神と決意の逃走

 とある森に置き捨てられた屋敷があった。そこはかつて貴族の屋敷だったが、家が取り潰され現在はただの廃墟と化していた。そんな廃墟の当主の間にて山羊のような折れ曲がった角を生やした一人の長身の男がいた。黒髪のその男は貴族のような衣装を身に纏っていたが肌は赤褐色であり、普通の人間では無い事は容易にわかった。だが傍に控える人間の老執事はその見た目に動じることなく話しかける。


「アルグラッド様、ご報告申し上げます」


「なんだバトラー、この屋敷を嗅ぎまわっていたネズミの始末が済んだのか?」


「いえ、それが……ネズミを追っていたブロッケンたちと念のために向かわせたハガクレの消息が途絶えました」


「……なんだと」


 赤い液体で満たされたワイングラスを優雅に傾け豪華な椅子に座っていた男――アルグラッドは老執事バトラーにわずかに怒気を向けながら言う。


「どういうことだ、詳しく説明せよ」


「はっ、追跡に向かわせた者たちには蟲を使った定期連絡をするように申し付けていたのですが、追跡に出てからすでに二日経過しているにもかかわらずいっこうに連絡が来ないのです」


「……なるほど。つまり狩りに出かけて逆に狩られたと、そういうことか?」


「おそらくは……」


「まったく……我の細胞の一部を与えておきながらなんという体たらく。人間という生き物はいったいどこまで脆弱なのだ。貴様の教育が悪かったせいでもあるのではないか、バトラーよ。確か奴らに戦闘訓練を行ったのは貴様だろう」


「返す言葉もございません。全ては私の責任です。どのような罰でも受ける覚悟でございます」


「ふん、まあよいわ。我の配下の中で最も強き力を持つ貴様を消してしまっては自らの戦力を大きく削るようなもの。そんな愚行はせぬよ。だが何度も失敗を許すほど我も甘くはないぞ。貴様ら人間に力を与えているのは我の恩情だ。封印が解け始めているとはいえ我ら魔族の数は未だに少ない。そのうえ我らの手足となって動く下級魔族の数も前大戦によって大幅に減り十分ではない。だからこそ下等な貴様ら人間を使ってやっているのだ。そのことゆめゆめ忘れるでないぞ」


「はっ、アルグラッド様の恩情に感謝いたします。その恩情に報いるためこの命使う所存です」


「ならば言葉では無く行為で示せ。この屋敷にいる全戦力を以て屋敷の警護に当たらせよ。ネズミ一匹通させるな」


「かしこまりました。しかし全戦力と申しますと、新たに出そうとした斥候なども警備に当たらせることになってしまいますが、よろしいのでしょうか?」


「構わぬ。探っていたならどのみちもう一度向こうからやって来るだろう。その時こそ……」


 そう言ってアルグラッドは持っていたワイングラスを粉々に握りつぶした。


「……我の顔に泥を塗ったこと。後悔させてやるぞ下等生物」


 アルグラッドはその身に纏った膨大な魔力を放出しながら厳かな声で呟いたのだった。



 一方その頃、ハガクレとの戦闘を終え二日が経過したブレイドラースは小屋から離れた森の中でうずくまり一人頭を抱えていた。原因はオボロの勘違いである。戦いの後、剣神やら救世主の事などを全て聞き出した結果、盛大に誤解されていることに気づき慌てて訂正しようとしたのだが――。


(……言い出せなかった……だって……俺が訂正する前にこれで一族の仇を討てるとか、世界の終わりを食い止められるとかすごいキラッキラした目で俺を見つめながっら言うんだもん……わざとじゃないとはいえこれ騙したことになるよなぁ……おかげで聞きだした日から頭を抱えてずっと悩むハメになった……マジでどうすっかなぁ……俺はアバターに魂を入れられただけのただの人間――いや、待てよ……)


 そう心の中で呟いたブレイドラースは立ち上がると気弱な表情を真剣なものへと変える。


(……でもこの世界の終わりにあの自称神が俺をこの世界に遣わしたってことは……剣神うんぬんはともかく俺がその予言の救世主ってことになるんじゃないか。ってことは俺には――このブレイドラースには凄まじい力が秘められてるんじゃないだろうか……だとしたら……ふふ)


 不敵な笑みを浮かべたブレイドラースは陽光に照らされた髪をかき上げる。


「そういえば、このブレイドラース自身の能力をちゃんと確かめてなかったな。もしかしたらとんでもないチート能力が秘められているのかもしれない。とりあえず異世界転移物でお約束のアレをやってみるか、フッ――ステータスオープン!」


 手を突き出して叫ぶブレイドラースの眼前にステータス画面は――。


「……あれ。おかしいな……ステータスオープン!」


 ――現れなかった。


「……ステータスオープン! ステータスオープン! ステータスオープン! ステータスオープン! ステータスオープン! ステータスオープン! ステータス――」


 その後、舌を噛むまで繰り返すがステータスの画面は出なかった。


「……なるほど。そういう世界ではないみたいだな。まあいいさ、別にステータスを見なくても自分の能力くらい確かめられるさ。よし、行くぞ! まずはランニング! 全力で走ってスタミナとスピードの確認だ! うおおおおおおおおお!」


 そしてブレイドラースは驚愕の事実を知ることになる。


「なッ……!? こ、これはッ……!?」


 その走り方をブレイドラースは知っていた。小中高と体育の時間やマラソン、短距離走のときに眼にしていたのだ。それは独特の走り方だった。両腕を胸の前で横に振りながら走るそれはそれはまさしく――。


「――お、女の子走りだとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!??」


 ――そう、ブレイドラースは全力で女の子走りをしていたのだった。


「は!? え!? なんで!? どうしてこうなるんだよ!? も、もう一度普通に走るつもりでぇぇぇぇぇ――やっぱり女の子走りになるぅぅぅぅぅぅぅ!?」


 一度立ち止りもう一度普通に走ろうとするも、意識すればするほど気合を入れれば入れるほど腰をクネクネとさせた女の子走りになってしまうのだ。しかも大して走っていないにもかかわらず喘息を起こしたかのように咳き込み大量の汗を流してしまっていた。そんな自分に愕然とするブレイドラースはハッとした顔になる。


「ま、まさか……走り以外も……」


 そうして確かめてみた結果は案の定だった。腕立て伏せは一回も出来ず、腹筋、背筋、スクワットは五回すらこなせず、走り幅跳びは跳ぶ直前でこけてしまう。他にも思いつく限りの事をしてみたが、まるで笑いを誘うように盛大に失敗するばかり。挙句の果てにスキップすら出来ないことが判明した。それらの結果を受け、ブレイドラースは絶望する。


「な、なんだこいつ……運動音痴にもほどがあるだろうブレイドラース……」


 そうして胡乱気な眼差しで近くに見えた湖に近づいて行った。そしてブレイドラースはおもむろに飛び込む。


「も、もしかしたら水中戦闘に特化した――あばばあばあばばばぶへごはァァァァァァァァァァ!!??」


 凄まじい勢いで沈み溺れる自らの体を水中にまで伸びた植物の蔓を掴むことでなんとか地上にあげたブレイドラースはぜえぜえと息をつきながら再び絶望する。


「こ、こんなバカな……い、いや、そうだ……そうだよ! 鎧着てたから泳げなかっただけだよ! バカだなァ俺は! よし今度は脱いでいくぞ! 今度は大丈――おぼァァァァァァァァァァァァぁああああああああああああああ!!??」


 鎧を脱いだにもかかわらず鉛のように海に沈んでいく自らの体を再び蔓を掴むことで引き上げたブレイドラースは絶叫する。


「ふざけんなァァァァァァァァ! なんだこいつ! なんで浮かばないんだよ!? どんだけクソ雑魚人間なんだよッ!? あんのクソ神ぃぃぃ、なんで世界救済する主人公的ポジションのブレイドラースをこんな雑魚にしたんだよぉぉぉ! こんな脈絡も無く……いや……そういえば……」


 剣之介の肉体の時に読んだブレイドラースのプロフィール欄を思い出す。


「……戦闘では役に立たないお笑いキャラってアバターのプロフィール欄には書いてあったけど……ま、まさか忠実にその設定を再現しやがったのかッ……!? な、なんて余計なことをしやがるんだァァァァァァァァァ……!」


 そうして何度も地面を殴ったブレイドラースだったが、木の傍に立てかけていた白い剣を見たことで一抹の希望を抱く。


「そ、そうだ! ブレイドラース本体がクソ雑魚でも神剣というチート装備が与えられているじゃないか! それらを駆使すればどんな強敵だって蹴散らせるはず! そういえばごたごたしててちゃんと神剣の効果を確認してなかったな! 今やろうすぐやろう! というわけで出でよ、残りの十二本の神剣よ!」


 ブレイドラースがそう叫ぶとその肉体から神々しい光が溢れ出し、剣に形を変えると様々な色と形をした十二本の剣が地面に突き刺さる。


「よし、まずはこの赤い剣からいくか。見た感じ炎属性っぽいな。そんじゃさっそく――赤き剣よ、その力を示せ!」


 ブレイドラースが念じながら言うと、淡い光が赤い刀身に宿ると輝きを増していきやがてその切っ先から――。


「おおおおおおおおおおおおおおッ!!!」


 ――百円ライターから出るような火が出現した。


「……え? これで終わり……なわけないよな、流石に……ハハハ、こやつめ……さあ、練習は終わりだ! 赤き剣よ、その煉獄の炎で大地を焼き尽くせ!」


 ブレイドラースの叫びと共に再び赤い剣は輝きそして先ほどよりも数ミリほど大きな種火が出現したのだった。


「…………」


 ブレイドラースはそれを見てフッと微笑むと、赤い剣をゴミのように投げ捨てた。


「――よし次ッ! 今度は大丈夫! 今のはハズレ! 今度はこの青い剣だ! 力を示せぇぇぇぇぇぇ!!!」


 青い刀身が輝くと今度は小さな雫が一滴ぽつりと切っ先から垂れた。それを見たブレイドラースは再び剣を投げ捨てる。


「今のもハズレ、次ぃぃぃぃぃぃ! 今度はこの緑色の剣だ! 力を示せぇぇぇ!」


 そう言うと今度も刀身が輝き、切っ先から手で扇いだ方がマシなレベルの風が吹く。


「つ、つ、次ぃぃぃ! 今度こそ強力な力を示せぇぇぇ!!!」


 今度は投げ捨てると同時にひっつかんだ黄色の剣に向かって叫ぶ。


「強力な能力出てこおおおおおおおい!!!」


 今度は黄色い剣の切っ先から小指の爪程度の大きさの小石がぽろっと出現し地面に落ちたのだった。


「ちゅぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!!」


 そうして片っ端から全ての剣の効果を確認していった。しかしどの剣もチート装備などと呼べるほどの強さはなく、それどころか雑魚敵にさえ通用するかどうか怪しいレベルの物ばかりだった。ゆえにすべての神剣の能力調査を終えたブレイドラースはあまりの酷さに愕然とする。そして縋るように立てかけられていた白い神剣のもとへと向かい手に取ると念じる。


「お願いしますお願いしますどうかどうか俺を助けてくれた時のようなあの凄まじい白い光を見せてくださいどうかどうかこのとおりぃぃぃぃぃぃぃ!!!」


 ブレイドラースは願いながらそう叫ぶが、白い神剣はその声にこたえることはなかった。


「……なんで出ないんだよぉぉぉ……落下して死にそうだったあの時助けてくれたじゃんよぉぉぉ……何が神剣だ……チート装備だと思ったら、全部クソ装備じゃねえかぁぁぁ……」


 打ちひしがれるブレイドラースだったが、背後から物音がしたため急いで立ち上がる。見ると、そこにいたのはオボロだった。


「あ、ブレイドラース様。訓練中、失礼しました。明日、廃墟に巣くう魔族たちと信奉者たちの掃討を行う予定なのですが……」


 そう言いつつ地面に投げ捨てられていた赤い剣――百円ライターブレードを凝視し始めたオボロはしばらく見惚れるようにそれを見つめていたが、ハッとした様子で我に返る。


「も、申し訳ございません。あまりに美しい剣だったもので……え、えっと魔族やその信奉者のアジトである廃墟への襲撃は予定通りでよろしいでしょうか?」


「え、あ、ああ、うん……そうだな……そう、しようか……け、けどオボロは傷とかはもう大丈夫なのか?」


「はい。鬼人族は回復力が高いので大抵の怪我はすぐに治ってしまうのです」


「そ、そうなのか……ところで信奉者ってなんだったかな……ちょっとド忘れしちゃって……」


「信奉者とは魔族に魂を売りしもべとなった者たちのことです。私の調べでは調査した廃墟は信奉者たちのアジトになっていたようです。しかしまさか魔族までいるとは思いませんでしたが」


「……その信奉者っていうのはみんな怪物に変身できる能力を持っているんだろうか?」


「全員ではないと思いますが、おそらく魔族の細胞を移植して耐えられた者だけがあの姿になれるのだと思います。私も遭遇したのはまだ二体だけですのでなんともいえませんが」


(ってことはもしかしたらその敵のアジトっぽい場所にカチコミをかけたらあの化け物みたいな連中がうじゃうじゃ湧いて出て来るかもしれないってことだよな……)


 ブレイドラースはハガクレの異常な強さを思い出し戦慄しつつも、考えをまとめようとした。


(……仕方ない。ここは誤解を解いて正直にオボロに話そう。俺は剣神でもなければ救世主になれる器でもないって。というか下手すれば一般人にすら負けるクソ雑魚ですって言うしかない。そうすれば突入作戦は中止になるだろう。ぶっちゃけ今の状態で戦ったら魔族はおろかその信奉者とか言うのにも負けそうだしな)


 ブレイドラースはそう決意するとオボロに話しかけようとしたが――。


「――オボロ」


「ブレイドラース様」


 ――二人の言葉が偶然重なり、オボロが慌てる。


「も、申し訳ございません! ご用件があるのでしたらお先にどうぞ!」


「ああ、いいよ。オボロが先に言ってくれ。俺は後でもいいから」


「わかりました。ではお先に失礼します。つい先日近くの町に刀を買いに行った時に入手した情報なのですが……実は最近、ここより西の王国で自らを剣の神と名乗る者が現れ民衆をたぶらかしおかしな宗教を起こしているという噂を聞いたのです」


「へ、へー、そうなのかぁ」


「ええ。剣の神の名を騙るなどとんでもない恥知らずです。おそらく現存していた予言書の一部が利用されたのでしょうが、これは決して許される事ではありません。ブレイドラース様も本物の剣神として大いにお怒りでしょうが、私も同じ気持ちです。世界を救う救世主の名を騙り民衆をたぶらかすなど許されざる行ないでしょう。その人物が私の目の前にいないことが口惜しくてたまりません。もし目の前に現れてくれたのなら、神の名を騙った愚か者として斬り捨てているところです」


「…………」

 

 鬼の角を生やして殺気を放ち神の名を騙る詐欺師を斬ると言ったオボロを見て顔から大量の汗を流す詐欺師――もといブレイドラースだったが、そんな様子を知ってか知らずか鬼の少女は首を傾げて問いかけて来た。


「私の話は以上なのですが、ブレイドラース様のお話とはいったいなんなのでしょうか」


「……ナンデモナイヨ……タイシタヨウジジャナカッタカラキニシナイデ……」


「……? そうですか? では私は先に小屋に戻ります。作戦の決行は明日の明方頃になると思いますのでブレイドラース様もそれまではごゆるりとお休みください」


「……ワカッタ……」


 鬼の角を霧散させ頷いた笑顔の可憐なオボロを見送った後、ブレイドラースは天を仰ぐ。


(……事情を説明して作戦を中止するのは無理そうだ……不幸な行き違いとはいえ神の名を騙った詐欺師として俺が斬られる……かといってこのまま突入したところで勝算は100%無い。となると取り得る手段はたった一つ)


  ブレイドラースは結論を出すと爽やかな顔で笑う。


「――逃げるか」


 ブレイドラースは逃走を決意した。

 

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