第2話 鬼人族の少女
赤い鎧を着こみ太刀を腰に下げた少女が一人森の中を走っていた。黒い艶やかな長髪を風になびかせ走るその姿は非常に美しいものだったが、その険しい顔からは切迫した状況が伝わってきた。さらに少女の後を追うように追走する影が五つ。
それらの気配を感じ取った少女は形のいい眉を吊り上げ栗色の眼を細めると逃げることをやめ舌打ちして立ち止まる。すると、五つの影は即座に少女を取り囲んだ。そして影の正体である黒いローブを着た男たちの中からリーダー格と思われる金色の髪を逆立てた男が一歩前に出た。
「追いかけっこはもう終わりかいお嬢ちゃん」
「……ええ。このまま拠点までついて来られたら迷惑ですもの。だからここで貴方達を斬ることにしましょう」
少女がそう言いながら腰に下げた太刀を鞘から引き抜くと逆立った髪の男が大げさに両手を広げながら口笛を吹く。
「ひゅー、カッコいいねぇ。俺達のアジトをコソコソと嗅ぎまわっていたネズミにしてはいい度胸だ。その威勢がハッタリじゃなきゃいいけどな――おい、遊んでやれ。まだ殺すなよ、こんな上物の女、ただ殺すには惜しいからな」
リーダー格の男が笑いながらそう言うと四人の男達も負けず劣らず下卑た笑みを浮かべながら腰に下げた剣を引き抜き一斉に斬りかかる。しかしその斬撃はいづれも空を切った。なんといつの間にか男たちの包囲を少女が抜け出していたのだ。そのうえ少女の持つ太刀は血に濡れており、それは何かを斬ったことを物語っていた。
さらに一拍遅れて斬りかかった男たちの身体から血が噴き出し倒れる。その光景を見て驚いていたリーダーの男だったが、背を向けていた少女が振り返り、先ほどとは様子の違うその顔を見せられたことで得心する。
「……なるほど。その額の角と瞳――お嬢ちゃん、アンタ、鬼人(きじん)族か。ハハハ、コイツは愉快だな」
先ほどまでは存在しなかった額の赤い一本の角に栗色から変色した赤い瞳、それらを見たリーダー格の男は楽しそうに笑い、その様子を見た少女は不快そうな顔をする。
「……何が可笑しいのですか。貴方の仲間が死んだんですよ」
「そいつらが死んだのは弱かったからだ。弱い奴が死んだところで俺は何とも思わねえよ。それよりも世にも珍しい鬼人族と巡り会えた喜びって奴の方が勝るのさ。しかし噂は本当だったんだな、普段は人間と同じ見た目だが魔力を使うと額から角が生えて目の色が変わるってよ。しかもその状態のアンタらは一騎当千の怪物って話じゃねえか。こいつは楽しみだ」
「……楽しみ? ……どうやら状況がわかっていないようですね。貴方はこれから私に斬られて死ぬんですよ」
「いいや、死なないさ。だって俺の方が強いからな」
「ならば――試してみましょうか」
少女の額の角と瞳が赤く光り、腰に下げた剣を抜いた男が薄く笑った瞬間、二人の姿はその場から消えた。その代わり鋼を叩きつけ合うような甲高い音が断続的に周囲に響き合い、森の木々は次々となぎ倒され地面は次々と陥没していく。
それは二人の戦士の人知を超えた戦闘による爪痕だった。それから激しい攻防は続き十数分ほど時間が経過した後、ついに決着がつく。少女の太刀が男の剣を持つ右腕を斬り飛ばしたのだ。
「――これで終わりです。利き腕と剣を失った貴方はもう戦えない」
「……へへ……流石鬼人族。化け物染みた怪力や身体能力は言うまでもないが、剣の腕も魔力の使い方も申し分ないな。普通に剣で斬りあったら勝ち目なんか無さそうだ。仕方ねえ、こっちもそろそろ本気出すか」
「……この期に及んで負け惜しみですか」
「負け惜しみかどうかは見てりゃわかるぜぇ、う、があああああああああッ!!!」
男が叫ぶとその失った血が滴る腕から瞬時に新しい腕が再生した。その様子を見た少女は絶句する。
「な、なんですかそれは……」
「何驚いてやがるんだ。お前は俺らのことを調べてたんだろう? 魔族様に忠誠を捧げている俺達『信奉者』についてよぉ」
「……では……まさか……魔族になんらかの力を……?」
「ご明察。俺達はすでに魔族様にその力の一部を授けられているのさ。だから普通の人間なら致命傷でも、力を得た一部の人間はこうして瞬時に回復できるってわけよ。しかもそれだけじゃねえ。こいつを見やがれぇぇぇぇぇぇ!!!」
男が絶叫すると、その肉体が瞬時に膨れ上がると同時に上半身の衣服が肉体の大きさに耐え切れなくなったのか弾け飛んだ。下半身の衣服も同様に弾け飛ぶも辛うじて残っていたが、その巨大さを如実に物語っていた。
さらに変化はそれだけではなかった。170センチ半ばほどだった男が突然三メートル近い筋骨隆々とした巨人になったことも少女にとっては驚きだったが、さらに驚きだったのがその肌の色だ。露出した上半身だけでなく全身が灰色に染まっていたのだ。
「驚いたかいお嬢ちゃん。これが俺のとっておきだ。さあそれじゃあ戦いを再開しようかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「くッ……!」
男は無造作に変化した巨大な腕を自らの敵目がけて振り下ろすも、それを後ろへ跳んで少女は回避する。しかし行き場を失った腕が地面に叩きつけられると、その衝撃で大地に大穴が開いたのだった。
(……なんて力……直撃したらマズイ……けどッ……!)
少女は巨人と化した男目がけて突進する。当然男は迎撃の為、拳の連打を放つもそれらを紙一重でかわし続ける。
(思った通り、速さは私の方が上だッ! これならッ……!)
そして少女は大振りの攻撃が繰り出されるのを待ち、それをひらりとかわすと懐に飛び込み渾身の突きを心臓に放つ。
「――なッ……!?」
だが聞こえたのは男の断末魔の叫びでは無く少女の驚きに染まった声だった。その理由は地面に落ちた刀の切っ先。まるで岩に太刀を突き刺した際に鳴るような音と共に刀の先端部分が欠けて落ちたのだ。
「ざーんねーんでーしたぁぁぁ!」
「――ぐふッ!?」
そして嘲笑うような男の声と共に繰り出された拳が少女の腹部を捉える。その衝撃によって空中へと放り出され、勢いのまま木々をなぎ倒し数十メートルほど先まで転がると鬼の少女は吐血した。
「う……ぐ……」
「おおー、流石鬼人族だな。普通の女だったら今の一撃でひき肉になってるところだぜ。いやーでもよかった、このまま死んじまったら楽しめなくなっちまうしなぁ、げへへ。まあ楽しんだ後は結局殺しちまうんだけどな、ゲハハハハ」
地面を踏み砕きながら近づいて来た男が嬉しそうに舌なめずりすると、少女は悔しそうに歯噛みし立ち上がろうとした。しかし――。
「ぐぅッ……!」
少女は血を吐きながらも懸命に立ち上がろうとしたが、なかなかうまくいかずそんな様子を男はニヤニヤと見守りながらゆっくりと近づいてくる。
(……足に力が入らない……鬼の角が出ている時は自然治癒力が通常よりも高まるけれど……それでもおそらく動けるようになるまであと2、3分はかかる……それまであの男が私を放置するとは思えない……ここまでなのか……私は……こんなところで終わるわけには……)
そうして動かない体に代わって首だけでも男の方に向け吠える。
「……絶対に負けない……私は魔族を倒さなきゃいけないんだッ! 一族の仇を取るためにッ! この世界を救うためにッ……!」
「ギャハハハ! そのザマで何言ってやがる! お前がどう頑張ったって世界は魔族様の物になるのさ! 魔族様の奴隷になるしか人間に生きる道はない! だからこそ俺は賢い選択をした! こうして魔族様のしもべに自分からなることで世界が支配された後、少しでもいい立場でいられるようによ!」
「……貴方に……人としての誇りはないのですかッ……!」
「無いね。だからこうして生きていられるんだ。誇りなんてものをもつと碌なことにならない。お前も誇りなんぞのために戦うからそんな目に遭うのさ」
そう言い捨てると、悔し涙を浮かべる少女に男は凶悪な笑みを張りつけながら手を伸ばそうとした。だがその手は途中で止まり、嬉しそうな笑みは怪訝そうなものへと変わる。
「な……なんだ……何か膨大な力が近づいて……ぐッ……!」
何かに気づいた男は慌てたように空中へと体の向きを変え、ここでようやく少女は男の様子が変わった理由に気が付く。
(……なに……あれ……)
空から巨大な白い光が少女と男目がけて向かって来ていたのだ。しかもその光は通常では考えられないほどの膨大な魔力で構成されていた。アレに呑まれればおそらく肉体は完全に消滅するであろうことは誰にでも予想できた。ゆえに男は逃げ出そうとしたようだが、それよりも速くその光の塊はその巨体を捉え激突する。
「な、なんなんだこりゃ――ぐわああああああああああああ!?」
恐怖に引きつった男が疑問の言葉を言い終える前にその肉体は消滅し、男を呑み込んだ白い魔力の塊は地面に激突すると同時に爆発する。近くにいた少女もその余波を受け死を覚悟するが、爆発の際にその衝撃波で十数メートルほど吹き飛ばされたもののなんとか生存する。そして朦朧とする意識に喝を入れ、折れた剣を支えにしてなんとか立ち上がった。
(……鬼の力を使うのも、もう無理……魔力の限界だ……でも立てるくらいにはなんとか回復出来た……けどあの白い光はいったい……いや、待って……そういえばおばあちゃんが言ってた……一族が受け継いだ予言書にはこう書かれていたって……『この世が終わりに瀕する時、空の果てより白き希望の光舞い降りる。そして降りし光は剣の神に変じ、この世を終末から救わん』……おばあちゃんはこの予言を、この世の終わりに天界から剣の神が現れて救世主となり世界を救済するとそう解釈していた。今はまさにこの世の終わりと言っても過言じゃない状況……だとしたら……)
鬼の角が霧のように霧散すると同時に瞳の色も元に戻った少女は震える足に力を入れ歩き出す。殴られた腹部には鈍い痛みが残り、体のあちこちには木々に衝突した際についたと思われる切り傷があったが、全ての痛みを我慢し光が作った大穴の方へ近づいていく。やがてたどり着くと大穴の中心に人の姿を見つけ、見下ろすようにその姿を凝視した。
そこに立っていたのは一人の男性。年齢はおそらく二十段前半ほどだろう。撥ねた銀色の髪、漆黒の鎧を着こんだその青年は白く美しい一本の剣を地面に突き刺しながら物憂げな表情をしていたが、少女の視線に気づいたのかそちらに宝石のような赤い瞳を向ける。眼が合った少女はその青年の美しい容姿と身に纏った膨大で神聖な魔力に思わず見惚れ固まってしまうも、すぐに正気に戻ると穴の下に飛び降り駆け出す。
(――間違いない。この人だ、こんな神聖ですごい魔力を持っている人見たことない。あの怪物を一瞬で消し飛ばした力といい……そう、きっとこの人こそが――)
そう確信したからこそ少女は絶望の闇に射した一筋の光に眼を輝かせながら問いかける。
「――すみません、突然の無礼を承知でお聞きしたいのですが……貴方は……もしや……予言書に記されし伝説の剣の神にして――世界を救うため舞い降りた救世主様であらせられますか……?」
「……はい……?」
(……ッ! はい、と言ってくださった……ということは、やはり……)
少女は歓喜に満ちた表情で涙を流すと跪く。
「――私の名はオボロ・ヒサメ。救世主様、どうか貴方のお力を貸していただけないでしょうか?」
こうしてブレイドラースと鬼人族の少女オボロは奇跡的な邂逅を果たしたのだった。
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