第3話⁂真理と竜司⁂




 祖父徹の加賀友禅工房には、母の真理が少女の頃には大勢のお弟子さんがいた。


 母の真理は、それはそれは美しい女性でお弟子さんの憧れでもあり、到底手の届かない遠い存在だったが、それでも…真理が工房に現れると、若いお弟子さん達がにわかに浮足立って仕事にならない、そんな現象が起こっていた。


 それでも、どういう訳か、弟子の竜司だけは真理とやけに仲が良かった。弟子の中でも稀にみる才能の持ち主で、祖父の徹も竜司の腕前には太鼓判を押していた。



 ★母真理の章

 着物業界は年々売り上げが落ち込み斜陽の一途を辿っている。父のような人間国宝の肩書きを持って居てしても、悠長な事は言っていられない厳しい昨今の着物業界。


 そんな折、一九九八年真理二三歳の時に、北陸に六店舗あった石川県発祥の有名百貨店の金兼百貨店で父徹の個展が開かれた。


 その百貨店に父の作品加賀友禅の振袖を着て受付をしていた真理なのだが、金兼百貨店の御曹司太郎の目に留まり、真理を是非ともお嫁さんにと言う願っても無い話が舞い込んできた。

 それでも…そんな願っても無い話が舞い込んだと言うのに、父の徹は浮かない顔、そして…竜司を呼び付けている。

 

「竜司チョット!」


「ハイ」

 

 竜司は、工房でもう既に五年以上の修行を積んでいたので、同協会の会員二 名

(師匠ともう一 名)の推薦を得る話が出ていたのだが、人間国宝作家で師匠の徹に思いも寄らない事を言われた。


「娘の真理と付き合っている事は以前から知っていた。だが…申し訳ないが真理と別れてくれ!頼む!真理と別れてくれたなら当然推薦してやるし、将来を保証してやる。だが、真理に付きまとったら、推薦は取り止めだ!」


【加賀友禅作家:工房を営む師の下で5 年以上の修行を積み、ふさわしい技術と能力を身につける必要がある。そして同協会の会員2 名(師匠ともう1 名)の推薦を得て協会の会員資格を得る】


 徹にしても生きるか死ぬかの瀬戸際だ。

 弟子も大勢抱えて、例え人間国宝の身の上であったとしても、着物は斜陽産業。その荒波を乗り越える為にも、金兼百貨店との縁談話は渡りに船どころか、暗闇から脱却できる唯一の光明。可愛い弟子もへったくれも無い。自分が生き残っていく為に必死なのだ。


 もし金兼百貨店に娘が嫁げば、それこそ色んな便宜が図って貰え願ってもない話。例えば、個展や展示会その他諸々の利点が数え切れないほどある。

 


(ここまで頑張って来たのに推薦を断られたら終わりだ)竜司は泣く泣く身を引いた。

 真理も『縁談話を断れば、竜司は推薦してやらない』と父徹から言われ、更に家族一丸となって結婚を押し切られ、泣く泣く結婚に踏み切っていた。


 だが、すでにお腹には竜司の子供がいた。そして生まれた娘が恵だった。


 (家族の為にも、恵が竜司の娘である事は絶対に秘密にしないと!)そう強く思う真理だった。

 それでも…運の良い事に、血液型も夫の太郎がB型で真理がA型だったので、全ての血液型で適合するので疑われなかった。


 ▽◆

 だが、結婚生活は真理にとっては決して幸せではなかった。

 実は…夫の太郎が三五歳まで結婚しなかったのには、訳があった。

 ズバリ!愛する女がいたからなのだ。

 

 その女性は有能な秘書で、金兼百貨店を裏で支えている重要な人物。決して若くはないが、気遣いは誰にも負けない、副社長太郎にとってお母さん的な優しい女性で、どんな事も包み込むことの出来る素晴らしい女性なのだが、太郎より十歳も年上の女性だ。


 両親に結婚したいと懇願したが、当然の如く大反対されてしまった。

「十歳以上も年上の女なんか絶対ダメだ!そんなに結婚したければ二人とも首だ。出て行け———ッ!」と、けんもほろろ。

 

 普通は世襲制と聞くと、デ キ ナ イと揶揄されがちだが、この副社長にはその言葉は全く無縁だ。それだけ優秀という事なのだが、優秀と言われる由縁は、この秘書が裏で支えているからと言っても過言ではない。

 

 それにしても、こんな美しいお嫁さんを望んで結婚して置きながら、この夫も酷い夫だ。要は親が結婚を矢のように催促するので、仕方なく結婚に踏み切った。綺麗でどこに出しても恥ずかしくない真理は、只のお飾り妻だった。

 

 

 そんな事情もあり、優しい最高の男竜司を失った事を後悔して、涙にふける毎日。

 一方の竜司は徹から推薦されて今は会員資格を得て、独立の為に徹の下で日々勉強の日々が続いている。そして…今尚、真理の事が忘れられずにいる。


 そんな時に真理が度々里帰りをして来た。

 一時は愛し合った仲。

 こうして二人は隠れて会うようになる。





 ★美知子の章

 

 それでは恵が幼い頃に、母と蘭子さんがよく口にしていた名前「美知子」その女性は一体誰なのか?

 実は…現在七十五歳の美知子と言う女性は、現在八十五歳の人間国宝の祖父徹のお弟子さんだったのだが、いつの頃からか祖父徹と抜き差しならぬ関係になっていた。

 

 ◆▽

 美知子は子供の頃から絵を描く事が大好きで、将来の夢は絵描きか、ペンキ屋さんになる事だった。

 ある日の事、百貨店で催された新進気鋭の作家で、荒田徹伝統工芸加賀友禅作品展を母と一緒に見に行った。

 そこで……一点物の訪問着に目が行きジ~ッと見ては、また戻って来て、また離れたかと思うと、その訪問着の場所に戻って来てと、幾度も行き来しているのを見ていた荒田徹先生が、とうとう余りの熱意と言うか何というか、余りにもその訪問着に関心を示すので話し掛けてくれた。


「君その訪問着に興味津々だね?」

 先生の事は雑誌でも見て知っていたので、緊張して言葉が出ない。


「あっあっあの、あの~?この薔薇が……余りにも奇麗なので……見惚れてしまい……」


「そうかい?バラの花が好きなんだね?」

 出逢いはこの様な、先生とお客さまと言う出会いでは有ったが、すっかり加賀友禅の美しさに魅了された美知子だった。


 実は…美大時代から絵画展に応募しまくっているが、一向に目が出ない。世の中そうは甘くない。絵では到底食べていけないと悟った美知子は、自暴自棄になりふさぎ込んでいた。

 そんな時に……運の良い事に偶然にも荒田徹先生に会うことが出来た。


 そして…この訪問着にすっかり魅了された美知子は、母におねだりしてやっとの事ゲットすることが出来た。

「お母さんどうしても……どうしても……この着物が欲しい」


 高額とは思ったが、可愛い我が娘、余りにも懇願するので根負けした母は、仕方なく高額の着物を嫁入り道具として買ってくれた。


 すっかり徹のファンになった美知子は、度々工房にも足を運び徹とすっかり親しくなり話すチャンスに恵まれていった。


 美大卒で絵描きを目指している事を話し、更にこの工房に弟子入りしたい胸の内を幾度となく話していた。


 そんなある日先生が「じゃ~一度絵を持っていらっしゃい」

 こうして弟子入りの許可が下りた。


 まだその頃は徹も三十四歳と若かった事も有り、弟子も数えるほどしかいなかった。

 いつも一緒に同じ空間で若い男と女が一緒に居れば起こってしまう過ち。

 徹は一時の火遊びのつもりかもしれないが、うぶな美知子はそうはいかない。

  

 抜き差しならぬ関係になり、徹との関係を知った祖母の多美子が嫉妬に狂い美知子を追い出した。


 ▽◆ 

 傷付き夢破れた美知子は、自殺しようと人影もまばらな夕暮れ時の夏の海にボ-トで向かった。かなり沖合に出たので、人はいないと思い海に飛び込んだ。

 

 その時夜釣りをしにやって来ていた男に、偶然にも助けられ死ねなかった。

 

 夏の海は今まさにセピア色に染まっていた。


 その男は、一見するとボ~とした冴えない男に映るが、今の傷付いた美知子にはゆったりとして、心が癒され心地よかった。

 

 やがて…月日は流れ美智子は、一緒にいるとゆったりと時間が流れ癒される、この男性といると救われる気がした。この男定職には就いていないが、お金には困っていない株の投資家らしい。こうしてやがて結婚した。そして…竜司が生れた。


 やっと穏やかな生活が始まった美知子では有ったが、運命とは残酷だ。

 運の悪い事に徹の妻多美子が、交通事故で亡くなった。








 


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