アリアの強さ

「たまに窮屈を感じることはありましたが、無くなってみると広いものですね……」

 

戻ってきたセバスは呟いた。炎に呼応するように霧は一瞬で消え去り、村には眩しい位の日が差している。これは皮肉なのだろうか、私の中にはこれで良かったのかという自責の念だけが募っていく。私自身の手でセバスの長年の思い出を消してしまった。もう真っ直ぐに彼の顔を見ることはできなかった。

 

「本当にありがとうございました。これで皆も安心して逝けると思います。ワシに出来ることがあれば、何でも言ってください」

「セバスさんは、これからどうするの?」

「どこか他の場所で隠居しようと思います。ここに暮らすのは、老人には広過ぎます」

 

ドン。唐突に大きな地ならしが響いた。後ろを振り返ると、数メートルはある巨大な魔物が、こちらを凝視していた。その魔物は、焼け野原を見て嘲笑した。

 

「この村を滅ぼせとは言ったが、ここまでやれだなんて誰も言ってないぞ。全く、融通が効かん奴だ」

 

その言葉を聞いて私の心は沸々と煮えていた。全てはこいつの差し金だったのだ。セバスの尊い理想を、人の美しき営みを、このクズは滅した。そのギョロギョロと動く一つ目に、私は睨み返した。絶対に許さない、なるべく酷く跡形も残らないように殺す。そう決めた。

 

「なんだ、女と腐った老人だけか。女は売りさばくとして、こいつは殺しちゃってもいいか」

「まずい、まずいよアリア。私達殺されちゃう」

「逃げんなよ。面倒だからな」

 

村の入り口、看板があった辺りに右足を進ませた。再び大きな地ならしが響いた。それ以上、この魔物に、クズにこの地を汚させるわけにはいかなかった。

 

「それ以上動くな。一歩でもこの村に近づいた瞬間、お前を殺す」

 

殺人鬼のような瞳で、私は鞘に手をかけた。こいつは、そんな私の取るに足らない言葉を嘲笑った。

 

「威勢だけはいいな。お前如きに何が出来る?」

 

その一つ目の魔物が左足を前に進ませようとした時、アイリス・ルーランは剣を抜いた。まるで光の如く、もはや残像すら認識させない速度で、その左足をでたらめに切り裂いた。あんなに余裕綽々だった巨体は大きな悲鳴を上げたがもうアイリスは止まらない。バランスを崩して後ろに倒れた隙に今度は右足を一瞬にして小さな肉塊の山にした。その新緑の瞳は光り輝き、顔は至って平然だ。けれどそれは、溢れる怒りを抑えているのだ。装備は真っ赤に染まり、レイピアには肉片がこびり付いている。けれどそれでアイリスの怒りは止まるわけがなかった。続いて右腕、そして左腕、数秒もかからない間に細切れにして、咆哮をあげながら倒れ悶える魔物の首に飛び乗った。その魔物には、もう四肢は無い。

 

「懺悔の言葉はあるか」

「わ、悪かった。頼む、許してくれ、お願いだ。どうせこれじゃ助からない。だからいいだろ?な?」

「魔物は一センチあれば復元できる。あまり人間を舐めるな」

 

その大きな瞳にアイリスは澄ました顔で赤いレイピアを突き刺した。何度も何度も何度も何度も。顔中が返り血で染まっても、それでも止めなかった。やがてとっくに魔物が動かなくなって、アイリスの瞳が紅くなった頃、ようやく首を一太刀で刎ねた。首が転がる音は情けなかった。アイリスが放った火は、首を燃料に大きく燃えている。身につけていたアクセサリーだけ奪い取って、彼女は二人のところへと戻った。

 

「な、なんて強さじゃ……。あの大きさの魔物を一瞬で……」

「さすがアリア!かっこよすぎる!あたしの騎士様!王子様!大好き!」

 

セバスは驚嘆でしばらく微動だにせず、フランはアイリスが血で汚れていることなど気にしないで、抱きついていた。

 

「私はセバスさんの思い出を壊してしまった。これで、少しは償いになったでしょうか」

 

あれ程の巨体の魔物を葬ったにも関わらず、アイリスは浮かない顔をしている。自慢することなく、驕ることなく、ただ死の村を燃やしたことを悔やんでいた。それは救いであったはずなのに、ひたすらに自分を責めていた。

 

「もう、あんまり自分を責めちゃダメだよ、ね、村長さん?」

「私は本当に感謝しているのです。あなたのような人が現れたことを。終わりを待つだけだった私達を救い、さらに巨大な魔物まで。鬼神の如き強さであっという間に消し去った。それなのにどうしてあなたを責めることができるでしょうか。何もお礼ができない自分が憎いです。あなたはまさに神の生まれ変わりです。どうかこの老いぼれに、お礼をさせてください」

 

アイリスがセバスの言葉に狼狽していたところを、フランが閃いたように紡いだ。

 

「そうだ、セバスさん、あたし達と一緒に、ここで新しい思い出をつくりませんか。ここを一から再建して、村を興し、さらには大きな国にするんです。そうすれば、大事なここから離れなくて済むよね!」

 

突拍子のない発言にセバスは目をパチパチさせて、何を言っているのか理解できないようだった。それもそのはず、一から村を興すだなんて、時間も費用も人材も、何もかもが足りていない。けれどアイリスは乗り気だった。

 

「セバスさん、私の夢は、魔物の絶滅と人間の平和です。そのためにはまず、あなたの幸せを、安住を見つけたい。それに、私が壊してしまったこの村を自身の手で再建することが、罪滅ぼしになると思うのです。そして今度は、どんな魔物にも負けない街を築きたい」

 

そんなことできるはずがない、その言葉はセバスからは出てこなかった。唐突の発言だから理解が追いつかなかっただけで、この二人ならばやってのけるかもしれない、その可能性を考えるには、材料は多過ぎたのだ。奇跡を目の前で何度も起こしてきたこの二人を、セバスが止められるはずがなかった。ただ頷いて許可を出すことしか、彼にはできなかった。

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