死の村

さらに奥へと進んでいくと今度は辺りが濃霧に包まれた。さっきまでは森特有の鬱陶しさはあったものの、これほどではなかった。そもそも唐突に濃霧が発生するなんてありえない。私の手を握るフランの手に力が入る。数メートル先なんて全く見えない程の霧だから、絶対に離れてはいけない。手を離してはいけない。万が一フランが凶暴な魔物に襲われてしまえばひとたまりもないだろう。それだけは避けなければいけない。私も力強く手を握り返して、足元に注意しながら少しずつ慎重に進んでいった。

 

「見て、あっち。まだ気づいてないみたい」

 

普段なら奇襲にあってもおかしくない距離、木の影にひときわ大きな魔物がいた。ゴブリンの一種ではあるけれど、私達が普段戦うような個体よりも強靭そうな身体付きだ。フランが後ろに隠れて、私は剣を抜く。大きく深呼吸をして、音を立てずに忍び寄った。ヒュン、肉を両断したというのに、風を切る音だけが響いた。ゴブリンの汚らわしい首が地に転がり落ちて、白目を向いている。追い討ちをかけるようにレイピアを突き刺して、その後首無しの胴体をさらに切断した。何度も何度も何度も何度も、万が一があったとしても二度と立ち上がれないように。大量に血が噴き出し、刃こぼれが目立つ剣はゴブリンの鮮血で汚れてしまった。フランが持っていたハンカチを借りてさっと拭き取り、鞘に納めた。魔物は腐敗が早く、もう腐臭が漂ってきたのだ。仲間が近くにいないとも限らない、死体を彼女に直視させないようにしながら、その場を立ち去った。

 

 

「アリア、やっぱり強い!えへへ、また守ってもらっちゃった」

 

まるでプレゼントをねだる子どものようにはしゃいでいる。この子の明るさが、殺し合いという殺伐とした場には必要だと思う。

 

「守るなんて、そんなのは当たり前のことだろう」

「きゃっ、さすがあたしの王子様!」

 

照れる私を楽しそうにからかっていた。さっきのゴブリンではもう手遅れだったが、もう少し早ければ皮くらいなら売ることができたかもしれない。多少の後悔が残ったけれど、考えても仕方がない。まだ深い深い森が続いているが、目的地はおそらくもうすぐだろう。その証拠に、私達の視界を遮る霧もまるで部外者を拒絶するようにだんだんと濃くなっていった。

 

 

目を凝らしてやっと見えてきたのは、決して広くはないであろう農村だった。村の入り口まで辿り着くと、そこはあまりにも異様だった。

 

「嘘……、これが、村なの……?」

 

健気に振る舞っていた彼女は絶句し、驚きを隠せないようだった。濃霧と深い木々に隠されていたその地は、入り口の看板はとっくに腐り落ちて、道には私の腰くらいまで成長した雑草が生き生きと仁王立ちしている。さらに、視界内の家屋の壁は剥がれ落ちて変色し、不潔な虫が這いずり回って巣を作る。中央の井戸に少し溜まっていた水は緑色をしており、その中には虫が集る死体が横たわっていて、とても人が暮らせるような物ではなかった。フランは力無く座り込み、呼吸は荒かった。まるで何かの命を自ら絶ってしまった時のように。涙を落とす彼女をなんとかなだめた。数十分が経ってようやく落ち着きを取り戻した彼女と共に、村の内部へ侵入していく。

 

ある一軒家の前に、一人の女性が寝そべっている。見るまでもなく死んでいた。開きっぱなしの口から虫が這い出てきた。かつて人間として生きていたとは思えないほどの無残な姿。けれどそれはこの人だけではなかった。あの人も、あそこの道で倒れている人も、皆酷かった。見るのもおぞましくて避けるように奥へと進むと、村長らしき家の中から一人の老人が出てきた。こちらに向かって足を引きずっている。怪しいのは言うまでもない。フランを遠ざけてから近寄った。そこには、私の想像の何倍も醜い姿の老人がいた。目は虚で髪は抜け落ち、震える程の斑点と、皮膚はただれている。加えて生きている人間からはしないはずの、鼻をねじ曲げるような腐卵臭が襲ってきた。

 

「大丈夫ですか。意識はありますか。返事をしてください」

 

私は必死に問いかけた。この村で何があったのかは分からない。その解明よりも、まずはこの人の治療が優先だ。返事は帰ってこなかったが、この人だけはまだ助かるはず、限りなく死に近いけれど、生の炎は消えてはいない。

 

「フラン、この人はまだ生きてる。早く治療を!」

 

フランは慌てている。そんなのは当たり前だ、こんな未知の症状に対しての特効療法なんて持ち合わせているわけがなかった。焦りで汗が滴ったその時、老人の口がわずかだが振動している。何か言葉を発している。私は耳を近づけた。

 

「虫が、虫が這っているんだ……。誰か、だれか……」

 

嗚咽と共に、小さな虫が老人の口からこぼれ落ちた。体内で害虫が暴れているのだ。鋭い針が無数に生えた痛々しい虫が、肺を、腸を、血管を這いずり回っているのだ。それを聞いて、私にできることは一つしかなかった。

 

「フラン、よく聞いてくれ。私が体内の虫を老人ごと焼き切る。だからその後すぐに、治癒してあげてほしい。できるだろうか」

「分かった。アリアが言うならやってみるね」

 

手を思いっきり老人に押し当て力を込めた。その瞬間、私の手は炎に包まれて、それが老人の身体へと一瞬で燃え広がる。数秒間、老人は炎の餌食となり、焦げていく。老人を媒介に火がさらに燃え盛った瞬間、私は力を抜いた。すると、炎は一瞬で音もなく消え去った。

 

「今だ、フラン」 

「うん!」

 

私が手を当てた位置へ、今度はフランが手を押し当てた。真っ黒に焦げ切っていた老人の身体はたちまち色を取り戻し、先の状態が嘘のように回復した。まるで今生まれてきたかのように。目をパチパチさせる老人を見て、やった、成功だねとフランが飛び跳ねた。

 

「な、何が起こったんじゃ。これは、夢か、それとも奇跡か。ワシはとうとう死んだのか……」

 

ほんの刹那の間の出来事に、動揺する老人。皆が死んでいった不治の病で、とうとう自分も仲間入りを果たす時に、それが一瞬で完治した。そんなことは、確かに奇跡としか言いようがないかもしれない。

 

「おじいさん、気を確かに。あなたは確かに打ち勝ったのです。どうか私達に、この状況の経緯を教えていただけないでしょうか」

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