第40話
病室の窓から外を眺める。
潜水艦から持ち出した放射能測定装置は昨日の夜の時点で50%を越えていた。
かなり体力が衰えて来ている。
もうすぐ痛みと共に全身の浮腫と筋肉の移動が起こり始めるであろう。
息子は眠っている。
糸川は昨日の夜の時点で死を覚悟した。
息子も今では食べることもできず、院内には看取ってくれる人も殆どいなくなった。
献身的な看護師も数人残っていたが、放射能の汚染濃度を考慮すれば自分の精神を保つことだけでも大変であろう。
糸川は、昨日の夜に覚悟を決めていた、石田医師が置いて行ったポットをサイドテーブルに置く。
先ほど見た外の景色、人はどこにも見当たらない。
シャッターも窓も締め切られ、街は廃墟のように静かだ。
糸川は厳重に締められたポットの蓋を開ける。
顔色は悪く、まるで死人のようだ。
ポットの広い口を寝息を立てている息子の鼻へと持って行く。
これが最善の方法だとは思っていない。
どんどん弱っていき、苦しそうにしている息子の姿を見ると、そして、その上、放射能による苦しみが襲ってくる。
もしかしたら、自分の方が早く死ぬかもしれない。
最後の最後まで一緒にいると約束したのに、自分が先に死んで、苦しみもがいている一人ぼっちになった息子はどんな思いをするだろうか?
糸川は、さらに外科手術用ガス麻酔薬の入ったポットを息子の鼻に近づけていく。
息子の呼吸が深く静かになっていく。
やがて胸の動きがなくなると、糸川はポットを握りしめたまま、泣いた。
声を上げて泣いた。
「済まない、この子を最後まで守りきれなかったよ、許してくれ」
そう言うと更に泣いた。
そして泣きながら今度は自分の鼻腔にポットの口を当てがった。
意識が遠のいていく。
「会いに行ったら、君は私を受け入れてくれるだろうか?」
妻に問いかけてみる
遠のいて行く意識の中で、全てが暗闇に飲み込まれていく。
闇が広がり、全てが見えなくなり始めた頃、窓が眩しいくらいに輝き出した。
その光の中から、優しい手が一本、差し伸べられてきた。
糸川は殆ど意識がなくなった目でその手を見た。
「生きていたのかい?」
と、その手の持ち主に声を掛ける。
糸川を見つめる優しい目をした女性の、もう片方の手には息子が抱かれ糸川に微笑みを投げかけている。
「やぁ、幕僚長、なんだ死んでいなかったのかい」
そう言いながら、糸川は差し伸べられて来た優しい手を握り締めて立ち上がった。
「ほら、約束した通りだろ? この子を最後まで守ってあげたよ」
その声に糸川の妻は微笑みかけ、二人の間に子供を立たすと、3人で手を繋いで病院のエントランスを抜け、誰も居ない表通りへと歩いて行った。
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